読売ジャイアンツの坂本勇人選手は、若い頃から卓越した打撃センスと華のあるプレーで注目を集めてきたプロ野球選手です。現在のベテランとしての姿からは想像しにくい可能性がありますが、高校時代には通算39本塁打を記録し、19歳で巨人の開幕スタメンを勝ち取るなど、早くから大きな可能性を秘めていました。
兵庫県伊丹市で過ごした幼少期、田中将大選手との意外な少年時代の交流、伊丹シニアでの経験、青森の光星学院高校での甲子園出場、そして2006年の高校生ドラフト1巡目での巨人入団。こうした歩みを振り返ると、坂本選手がどのようにして球界を代表する遊撃手へ成長したのかが見えてきます。2026年11月現在の年齢や最新成績、若い頃の写真についても紹介します。
【原点を徹底解剖】坂本勇人の幼少期は?田中将大との意外な関係

坂本勇人選手は1988年12月14日生まれ、兵庫県伊丹市出身です。プロ野球選手としてのキャリアは青森県の高校から始まったように見えますが、野球の基礎を身につけたのは地元の伊丹市でした。
小学1年生から昆陽里タイガースで野球を始める日刊スポーツの選手プロフィールによると、坂本選手は小学1年生から地元の少年野球チーム「昆陽里タイガース」で野球を始めました。
このチームで一緒にプレーしていたのが、後に東北楽天ゴールデンイーグルスやニューヨーク・ヤンキースなどで活躍する田中将大選手です。2人は小学校時代からの幼なじみで、同じ中学校にも通っていました。
興味深いのは、当時のポジションです。坂本選手が投手、田中選手が捕手という組み合わせでバッテリーを組んでいました。現在の2人のポジションを考えると、意外に感じるエピソードです。
2025年9月30日、田中選手が日米通算200勝を達成した際にも、坂本選手は少年時代からの関係を振り返っています。スポニチの報道では、小学生時代の田中選手は体が大きく、プロレス技の練習をしていた印象があると懐かしそうに語っていました。
加えて、坂本選手が右打ちを続けるようになった背景にも田中選手との思い出があります。少年時代、左打ちで飛距離を競った際に田中選手の打球の方が遠くまで飛んだことがあり、坂本選手は右打ちで勝負するようになったというエピソードが伝えられています。
後に日本プロ野球名球会入りを果たす2人が、少年時代には同じチームで野球を楽しんでいたという事実は、坂本選手の経歴を語るうえで欠かせない背景です。
中学時代は伊丹シニアで全国大会を経験小学校時代の昆陽里タイガースを経て、坂本選手は中学時代に伊丹シニアへ進みました。硬式野球の環境で実戦経験を積み、全国大会にも出場しています。
少年野球から硬式野球へ移行する時期は、選手としての成長に大きな影響を与えます。打球の速さや投手の球威、守備の判断速度など、求められる技術が大きく変わるためです。
坂本選手の場合、この時期に培った実戦経験が、高校進学後の早い段階でレギュラーを獲得する土台になったと考えられます。
また、幼なじみの田中将大選手とは高校進学後に別々の道を歩みますが、互いの存在はその後も刺激になっていました。田中選手は駒大苫小牧高校へ、坂本選手は青森県の光星学院高校へ進学します。
【高校時代の真相】光星学院高校で甲子園出場!高校通算39本塁打の実力
坂本勇人選手の若い頃を語るうえで、最も注目したいのが青森県の光星学院高校(現・八戸学院光星高校)での3年間です。
高校時代の坂本選手は、単に将来性を評価された選手ではありません。早い段階からレギュラーとして試合に出場し、強打の内野手として存在感を発揮していました。
1年秋からレギュラーに定着した早熟の才能日刊スポーツのプロフィールによると、坂本選手は光星学院高校で1年秋からレギュラーを務めました。
高校通算本塁打は39本。当時の高校野球選手としても目を引く数字です。広角に打球を飛ばす打撃力に加え、遊撃手として内野を守る能力も評価されていました。
母校の監督を取材した日刊SPA!の記事では、高校時代の坂本選手について、広いグラウンドでも左中間方向へ大きな打球を飛ばしていた様子が紹介されています。
「あの子には球場の広さは関係ない」
これは高校時代の坂本選手の打球を見ていた仲井宗基監督の評価として紹介された言葉です。体格だけでは測れない長打力が、当時から際立っていたことをうかがわせます。
2006年春のセンバツで甲子園に出場坂本選手が甲子園の土を踏んだのは、2006年春に開催された第78回選抜高校野球大会です。
光星学院高校の主力打者として、坂本選手は4番・ショートで出場しました。1回戦の相手は岡山県の関西高校です。
2006年3月25日に行われた試合は、光星学院が先制したものの、6回に4失点するなど苦しい展開となり、最終的には4対6で敗れました。
坂本選手自身は先制適時打を含む3安打を記録。チームは初戦敗退となりましたが、全国の舞台でも打撃力を示しました。
実は高校3年夏の甲子園には出場していないここで押さえておきたいのが、甲子園出場の時期です。
坂本選手は2006年春のセンバツに出場していますが、同年夏の甲子園には出場していません。青森大会の決勝で青森山田高校と対戦し、4対5で敗れたためです。
高校2年生だった2005年夏も、青森大会決勝で青森山田高校に1対8で敗れています。この試合では坂本選手が本塁打を放ち、チーム唯一の得点を記録しました。
つまり、坂本選手の高校野球時代は、甲子園で何度も勝ち上がったスターというより、地方大会や東北大会でも強烈な打撃力を見せ、プロのスカウトに将来性を認められた選手という側面が強いのです。
2006年の東北大会決勝では、仙台育英高校を相手にチームが24対4で勝利。坂本選手は3安打7打点を記録したと、母校監督への取材記事で紹介されています。
甲子園での実績だけでなく、こうした地方大会での活躍や高校通算39本塁打という数字が、プロ入りへの評価につながりました。
【2006年ドラフト】坂本勇人の巨人入団当時は?背番号61のルーキー時代
高校時代に頭角を現した坂本選手は、2006年の高校生ドラフトで読売ジャイアンツから1巡目指名を受けました。当時17歳だった坂本選手にとって、プロ野球選手としての人生が本格的に始まる大きな転機です。
堂上直倫の抽選を外した巨人が坂本を指名2006年の高校生ドラフトで、巨人が最初に1巡目で指名したのは、愛工大名電高校の堂上直倫選手でした。
堂上選手には巨人、中日、阪神の3球団が競合。抽選の結果、巨人は交渉権を獲得できませんでした。
その後、巨人が指名したのが光星学院高校の坂本勇人選手です。日本野球機構の2006年ドラフト選択選手一覧にも、坂本選手は高校生選択会議の1巡目として記録されています。
当時の坂本選手は、全国的な知名度という点では田中将大選手や堂上直倫選手ほど目立つ存在ではありませんでした。しかし、巨人のスカウト陣は打撃センスや将来性を高く評価していました。
週刊ベースボールONLINEの回顧記事では、当時のスカウトだった大森剛氏が坂本選手の1巡目指名を積極的に進言した経緯が紹介されています。後に巨人の中心選手へ成長する坂本選手の獲得には、現場のスカウトによる評価が大きく関係していました。
2007年にプロ初出場、背番号は61プロ入り1年目の2007年、坂本選手の背番号は61でした。現在の背番号6とは異なり、当時はまだ一軍定着を目指す若手選手という立場です。
週刊ベースボールONLINEが紹介した当時の写真は、2007年9月29日のファーム日本選手権で撮影されたものです。年齢は18歳。現在の実績を知ってから見ると、まだプロ野球選手としてのキャリアを歩み始めたばかりの時期だったことが分かります。
2007年は二軍で77試合に出場し、7月に一軍デビュー。9月6日の中日戦では、プロ初安打・初打点となる決勝打を放ち、お立ち台にも上がりました。
NPB公式の年度別成績によると、2007年の一軍出場は4試合、3打数1安打、打率.333、2打点でした。限られた出場機会のなかで結果を残し、翌年の飛躍につなげています。
若い頃の写真で注目したいポイント坂本勇人選手の若い頃の写真を探す場合、2007年のファーム日本選手権や2008年の開幕当時の写真が、初期の姿を確認する資料になります。
特に2007年の18歳当時の写真は、背番号61をつけていたルーキー時代を記録したものです。現在の背番号6で活躍する姿とは違う、プロ入り直後の坂本選手を知ることができます。
若い頃のイケメンぶりに注目するファンも少なくありません。顔立ちや雰囲気の評価は人それぞれですが、2015年の侍ジャパン公式選手紹介でも、坂本選手は華やかな選手として紹介され、山田哲人選手との二遊間コンビのビジュアル面にも言及されていました。
野球の実力と華のある存在感が、若い頃から坂本選手の人気を支えていたことが分かります。
【2008年が転機】19歳で巨人の開幕スタメン!若い頃の活躍と成績
坂本選手のプロ野球人生を振り返るうえで、大きな転換点となったのが2008年です。
高卒2年目、まだ19歳だった坂本選手は、巨人の開幕スタメンを勝ち取りました。当時の巨人は小笠原道大選手、ラミレス選手、李承燁選手など実績豊富な打者をそろえたチームでした。その中に若い坂本選手が加わったことは、大きな注目を集めました。
2008年3月28日、8番・二塁で開幕スタメン2008年3月28日、巨人は神宮球場で東京ヤクルトスワローズとの開幕戦を迎えました。
この試合で坂本選手は8番・二塁として先発出場。19歳での開幕スタメンは、1994年の松井秀喜選手以来となる出来事として報じられました。
翌3月29日の開幕第2戦では遊撃手としてスタメン出場。レギュラー遊撃手だった二岡智宏選手の故障もあり、坂本選手は本来のポジションであるショートの座をつかんでいきます。
集英社新書プラスの2008年シーズン回顧記事では、原辰徳監督が坂本選手を起用し続けた背景や、本人の負けん気の強さ、試合後も練習に向かう姿勢が紹介されています。
単に若い選手を試したというだけではありません。大型補強を進める巨人が、将来のチームを担う生え抜き選手として坂本選手に出場機会を与えたことが、その後の成長につながりました。
2008年4月6日には19歳で満塁ホームラン開幕スタメンに抜擢された坂本選手は、4月6日の阪神戦でプロ初本塁打を記録しました。しかも、その一発は満塁ホームランです。
19歳3カ月での満塁本塁打は、当時のセ・リーグ最年少記録として報じられました。巨人の10代選手による満塁本塁打も球団初の快挙でした。
若手選手が一軍で経験を積む段階を超え、チームの勝敗を左右する存在へ成長していたことを示す一打です。
2008年の年間成績は144試合出場NPB公式記録による2008年の坂本選手の打撃成績は、次のとおりです。
| 項目 | 2008年の記録 | 内容・評価 |
|---|---|---|
| 年齢 | 19歳 | 高卒2年目 |
| 開幕戦 | 8番・二塁 | 3月28日に先発出場 |
| 年間出場試合 | 144試合 | 全試合出場 |
| 打席数 | 567打席 | 年間を通して主力として起用 |
| 安打 | 134本 | 安定した打撃を記録 |
| 打率 | .257 | 高卒2年目として存在感を発揮 |
| 本塁打 | 8本 | 長打力も示した |
| 打点 | 43打点 | 得点機会でも貢献 |
| 盗塁 | 10個 | 走塁面でも活躍 |
特に注目したいのは、144試合すべてに出場した点です。若い選手にとって、一軍の試合に継続して出場することは、技術だけでなく体力や精神面でも大きな挑戦になります。
2008年の坂本選手は、打率だけを見れば突出した数字ではありません。しかし、19歳で年間を通して出場し、134安打、8本塁打、43打点を記録したことは、将来の主力遊撃手としての可能性を十分に示していました。
翌2009年には打率.306、178安打、18本塁打を記録し、ベストナインにも選出。2010年には31本塁打を放ち、若手有望株からリーグを代表する打者へと成長していきます。
【写真・プロフィール】坂本勇人の若い頃はイケメン?身長・体重も紹介
坂本勇人選手について検索すると、「若い頃の写真」「イケメン」「身長」「体重」といった外見に関する疑問も多く見られます。
プロ入り当時の坂本選手は18歳。2008年の開幕時には19歳でした。若々しい表情と、プロ野球選手としてのキャリアが始まったばかりの初々しさが印象的な時期です。
若い頃の写真は2007年のファーム日本選手権が注目若い頃の姿を確認する資料として分かりやすいのが、週刊ベースボールONLINEが2023年に掲載した「現役トッププレーヤーの『夜明け前』」という特集です。
同特集では、2007年9月29日のファーム日本選手権で撮影された18歳の坂本選手の写真が紹介されています。背番号61をつけていたプロ1年目の姿で、現在のスター選手になる前の貴重な記録です。
また、2008年の開幕スタメン当時の写真を見比べると、プロ入り直後から一軍の中心選手へと成長していく過程を追うことができます。
若い頃からイケメンと注目された理由坂本選手が若い頃からイケメンと評される理由としては、整った顔立ちや華やかな雰囲気、グラウンドでの存在感などが挙げられます。
侍ジャパンの公式選手紹介でも、坂本選手は華やかな選手として取り上げられました。山田哲人選手との二遊間コンビについても、実力だけでなくビジュアル面での魅力が紹介されています。
ただし、イケメンという評価は個人の好みによるものです。写真を比較する際は、若い頃の顔立ちだけでなく、当時の年齢や撮影時期、ユニホームの背番号などにも注目すると、坂本選手のキャリアの変化が分かりやすくなります。
坂本勇人の身長・体重・基本プロフィールNPB公式選手プロフィールに掲載されている2026年時点の基本情報は以下のとおりです。
- 名前:坂本勇人
- 生年月日:1988年12月14日
- 出身地:兵庫県伊丹市
- 年齢:37歳(2026年11月3日時点)
- 身長:186cm
- 体重:86kg
- 投打:右投右打
- ポジション:内野手
- 所属球団:読売ジャイアンツ
- 背番号:6
- 高校:光星学院高校
- ドラフト:2006年高校生ドラフト1巡目
身長186cmという恵まれた体格は、内野手としての守備範囲や打撃面でも注目される特徴です。現在の登録体重は86kgとなっています。
なお、2026年12月14日には38歳の誕生日を迎えます。2026年はプロ20年目のシーズンに当たります。
【2026年最新】坂本勇人は現在何歳?巨人での成績と通算記録
2026年11月現在、坂本勇人選手は37歳です。2007年にプロ入りして以来、読売ジャイアンツでプレーを続けており、2026年はプロ20年目のシーズンとなりました。
若い頃は遊撃手として長年レギュラーを務め、打撃でも守備でもチームを支えてきました。一方、30代後半を迎えた現在は、出場機会や打撃成績に変化が見られます。
2026年シーズンの打撃成績NPB公式の個人年度別成績によると、坂本選手の2026年レギュラーシーズンの成績は次のとおりです。
- 出場試合数:67試合
- 打席数:173打席
- 打数:154打数
- 安打数:27安打
- 打率:.175
- 本塁打:5本
- 打点:19打点
- 二塁打:5本
- 三振:44
- 出塁率:.260
- 長打率:.305
- OPS:.565
2026年の特徴は、出場試合数が67試合にとどまり、打率も.175だったことです。規定打席には到達していません。
一方で、本塁打は5本を記録しています。2025年の3本から2本増えたものの、打率や出塁率、長打率を含めて見ると、かつてのレギュラー時代とは異なる数字になっています。
2023年には22本塁打を記録していた現在の成績を評価する際には、直近数年の数字を比較することも大切です。
2023年の坂本選手は116試合に出場し、打率.288、22本塁打、60打点を記録しました。長打率は.524で、OPSも.884という高い数字でした。
その後、2024年は109試合で打率.238、7本塁打、2025年は62試合で打率.208、3本塁打となっています。
2026年も67試合で打率.175という成績であり、2023年と比較すると打撃面での変化は明確です。ただし、出場試合数や打席数が異なるため、打率だけで選手としての価値を判断することはできません。
通算2474安打・303本塁打という実績2026年シーズン終了時点で、坂本選手のNPB通算成績は以下のとおりです。
- 通算試合数:2339試合
- 通算安打数:2474安打
- 通算本塁打:303本
- 通算打点:1079打点
- 通算打率:.285
- 通算二塁打:474本
特に注目したいのが、2020年11月8日に達成した通算2000安打です。名球会の公式記録にも達成日が掲載されており、長年にわたって安打を積み重ねてきた実績を示しています。
また、2016年には首位打者と最高出塁率のタイトルを獲得し、2019年にはセ・リーグ最優秀選手にも選ばれました。遊撃手としてゴールデングラブ賞を複数回獲得していることも、坂本選手のキャリアを特徴づけています。
【プロの結論】若い頃の才能と現在の評価は分けて考える坂本選手のキャリアを振り返ると、若い頃から備えていた打撃センスと、プロ入り後に積み上げた経験の両方が、長期的な成功につながったことが分かります。
高校通算39本塁打という長打力、19歳で開幕スタメンを勝ち取った適応力、そして2008年に144試合すべてで先発出場した継続性。これらは単なる若さだけでは説明できない能力です。
一方、2026年は出場機会が限られ、打率も.175となりました。かつての成績と現在の数字には差がありますが、通算2474安打、303本塁打という実績まで含めて評価する必要があります。
プロ野球選手の価値は、特定のシーズンの打率や本塁打数だけで決まるものではありません。長期間にわたって一軍でプレーし、チームの中心として結果を残してきた経験も重要な評価材料です。
坂本選手の場合、若い頃の才能が早くから開花し、その後も巨人の主力として長く活躍したことこそ、最大の特徴といえるでしょう。
【坂本勇人の若い頃】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:坂本勇人は高校時代に甲子園へ何回出場しましたか?
A1:2006年春の第78回選抜高校野球大会に出場しています。光星学院高校の4番・遊撃手として関西高校との1回戦に臨み、3安打を記録しましたが、チームは4対6で敗れました。2006年夏は青森大会決勝で敗退しており、夏の甲子園には出場していません。
Q2:坂本勇人の高校通算本塁打は何本ですか?
A2:高校通算39本塁打です。光星学院高校では1年秋からレギュラーを務め、広いグラウンドでも長打を放つ打撃力が評価されていました。
Q3:坂本勇人と田中将大は幼少期からの知り合いですか?
A3:はい。2人は兵庫県伊丹市の昆陽里タイガースで一緒にプレーした幼なじみです。少年時代は坂本選手が投手、田中選手が捕手としてバッテリーを組んでいました。同じ中学校にも通い、プロ入り後も互いを意識する関係が続いています。
坂本勇人選手の若い頃を振り返ると、兵庫県伊丹市での少年野球から、伊丹シニア、光星学院高校、そして巨人への入団まで、着実に成長してきた過程が見えてきます。
特に印象的なのは、次の5つのポイントです。
- 小学1年生から昆陽里タイガースで野球を始め、田中将大選手とバッテリーを組んだ。
- 中学時代は伊丹シニアで全国大会を経験した。
- 光星学院高校では1年秋からレギュラーとなり、高校通算39本塁打を記録した。
- 2006年の高校生ドラフト1巡目で巨人に入団し、2008年には19歳で開幕スタメンを獲得した。
- 2026年現在は37歳。通算2474安打、303本塁打を積み重ねた巨人のベテラン内野手としてプレーしている。
若い頃の坂本選手は、将来を期待された高校球児から、わずか2年で巨人のレギュラーへと成長した選手でした。その後も首位打者、最多安打、最優秀選手、通算2000安打など、数々の実績を残しています。
2026年の打撃成績だけを見ると、全盛期とは異なる状況にあります。しかし、高校時代からプロ20年目までの歩みを通して見ると、坂本勇人という選手が日本プロ野球に残してきた足跡の大きさが分かります。
18歳の背番号61から、巨人の背番号6へ。若い頃の写真に写る一人の有望株が、長年にわたって球界を代表する内野手へ成長した軌跡は、今も多くの野球ファンの記憶に残っています。