2026年11月3日時点で、北井佑季は神奈川県所属のS級2班選手として活動している。KEIRIN.JPの選手プロフィールによると、登録番号は015527、登録期は119期、脚質は「逃」だ。
現在の主な情報を整理すると、次のとおり。
| 項目 | 2026年11月時点の情報 |
|---|---|
| 氏名 | 北井佑季(きたい・ゆうき) |
| 生年月日 | 1990年1月27日 |
| 年齢 | 36歳 |
| 出身地 | 神奈川県 |
| 所属 | 神奈川 |
| 登録期 | 119期 |
| 登録番号 | 015527 |
| 現在の級班 | S級2班 |
| 級班所属日 | 2026年4月5日 |
| 脚質 | 逃 |
| ホームバンク | 平塚競輪場 |
| 師匠 | 高木隆弘 |
KEIRIN.JPの2026年10月26日更新データでは、年間成績は次のようになっている。
| 成績項目 | 数値 |
|---|---|
| 総出走回数 | 65回 |
| 1着 | 32回 |
| 2着 | 10回 |
| 3着 | 5回 |
| 優勝 | 6回 |
| 勝率 | 49.2% |
| 2連対率 | 64.6% |
| 3連対率 | 72.3% |
特筆すべきなのは、出走65回で32勝、優勝6回という数字だ。長期欠場から戻った選手として、競争力を取り戻していることが数字に表れている。
加えて、11月2日更新の直近4か月成績では、14走して3勝、2着5回、3着1回。競走得点は104.64で、2連対率57.1%、3連対率64.2%となっている。
年間成績と直近4か月の成績は集計期間が異なるため、分けて見る必要がある。
また、10月23日の奈良F1では、2着・4着・1着という結果を残した。少なくとも直近の開催でも勝ち星を挙げている。
これらはKEIRIN.JPの公式選手記録に基づく数字であり、2026年の競走実績を把握するうえで重要な指標だ。
S級2班への昇班は2026年4月5日北井の級班は、ドーピング問題の前後で大きく変化した。
- 2025年2月28日:S級1班に格付け
- 2026年1月1日:A級1班
- 2026年4月5日:S級2班に特別昇級
2026年1月の復帰時点ではA級1班からの再出発だった。
しかし、3月から4月にかけて立川、岸和田、玉野の3開催で連続して完全優勝。3日間すべて1着という開催を3場所続けたことで、特別昇級の条件を満たした。
復帰からわずか3か月ほどでS級に戻ったことは、競技面での大きな転換点だった。
さらに4月26日には名古屋G3で優勝。S級復帰2場所目でグレードレースを制し、競輪祭への出場権も獲得した。
【ドーピング違反の全貌】メタンジエノン検出からJKA処分までの経緯

北井佑季の騒動で最も重要なのは、検査日、違反認定日、処分決定日を混同しないことだ。
問題が発生したのは2024年12月。KEIRINグランプリ2024の直前に実施された検査が発端だった。
検出されたのはメタンジエノンの代謝物JKAが2025年2月20日に発表した内容によると、北井は2024年12月29日にドーピング検査対象選手に選ばれ、尿検体を採取された。
その後、禁止物質である蛋白同化男性化ステロイド薬「メタンジエノン」の代謝物が検出された。
メタンジエノンは筋肉増強作用を持つ蛋白同化ステロイドに分類される物質だ。スポーツのアンチ・ドーピング規則に関係する禁止物質であり、競輪においても重大な問題となる。
JKAは検出された事実に基づいて、北井をドーピング違反と認定した。
検査の経過については、A検体とB検体の両方で同じ禁止物質の代謝物が確認されたことが公表されている。
ドーピング違反発覚から復帰までの時系列騒動の経緯を整理すると、次のようになる。
| 時期 | 出来事 | 関係者・制度上の意味 |
|---|---|---|
| 2024年6月16日 | 高松宮記念杯G1優勝 | 北井がG1初制覇 |
| 2024年12月29日 | ドーピング検査 | KEIRINグランプリ2024前日の検査 |
| 2025年1月29日 | A検体の分析結果通知 | メタンジエノン代謝物を検出 |
| 2025年1月30日 | あっせん保留 | 2月・3月のあっせんを取り消し |
| 2025年2月13日 | B検体の分析 | 本人の希望による再分析 |
| 2025年2月14日 | B検体の結果通知 | A検体と同じ代謝物を検出 |
| 2025年2月20日 | ドーピング違反認定 | JKAが公式発表 |
| 2025年2月27日 | S級S班から除外決定 | S級1班への格付け |
| 2025年3月1日 | 3か月のあっせん停止開始 | JKAによる処置 |
| 2025年3月25日 | 6か月の出場自粛が公表 | 日本競輪選手会による追加対応 |
| 2025年6月1日 | 1か月のあっせん停止措置 | 競走中の違反行為に対する別の処置 |
| 2025年12月 | 再検査 | 北井によると検査結果は陰性 |
| 2026年1月8日 | 平塚競輪で復帰 | A級1班として実戦復帰 |
| 2026年4月5日 | S級2班に特別昇級 | 3場所連続完全優勝 |
| 2026年4月26日 | 名古屋G3優勝 | S級復帰後のグレードレース優勝 |
ここは検索する読者が混乱しやすいポイントだ。
北井本人は2026年1月6日に日本競輪選手会を通じて発表したコメントで、次のように説明している。
この10か月間の制裁期間は、これまで競輪選手として歩んできた中で経験したことのない、非常に苦しく、厳しい時間でした。
処分の内訳は、主に以下の3つに分けられる。
1.JKAによる3か月間のあっせん停止
2025年3月1日から5月末までの3か月間、競走へのあっせんが停止された。
2.競走中の違反行為による1か月のあっせん停止措置
2025年6月1日から1か月間、別途あっせんしない処置が決定した。これはドーピング違反そのものとは別の競走上の処置である。
3.日本競輪選手会による6か月間の出場自粛
2025年3月25日に選手会が追加対応を公表。ドーピング違反に対して厳しく対応する方針のもと、6か月間の競輪出場自粛を求めた。
これらを合わせると、本人が説明した制裁期間の10か月という数字につながる。
ただし、実際にレースから離れていた期間は、制裁期間だけを単純に数えたものではない。あっせん保留などもあり、最後の競走から復帰までは約1年間に及んだ。
したがって、「制裁期間10か月」と「約1年間の競走離脱」は異なる意味の数字として理解する必要がある。
薬物は何から検出されたのか?もう一つの疑問が、メタンジエノンが体内に入った経路だ。
2026年1月7日の復帰前取材で、北井は口にするものから体内に入ったと説明した。また、当時摂取していたサプリメントなどを検査機関に提出したことも明かしている。
一方、何から禁止物質が検出されたのかについては、分析機関から詳細が明らかにされていない。
そのため、特定のサプリメントや食品が原因だったと断定することはできない。
ここで区別したいのは、次の2点だ。
- 公表された事実: メタンジエノンの代謝物がA検体・B検体から検出され、JKAが違反認定した。
- 公表されていない情報: 禁止物質が混入した具体的な製品や摂取経路。
北井本人は自分の管理責任を認め、処分を受け入れる姿勢を示している。
【元Jリーガーの異色経歴】北井佑季のプロフィールとサッカー時代
北井佑季が一般的な競輪選手と異なるのは、競輪デビュー以前にプロサッカー選手として活動していた点だ。
1990年1月27日、神奈川県生まれ。桐光学園高校から近畿大学へ進学し、その後プロサッカーの世界に進んだ。
ポジションはミッドフィールダー(MF)。複数のクラブでプレーし、2018年シーズンを最後にサッカー選手としての現役生活を終えた。
所属クラブとJリーグ通算成績SC相模原が2019年3月16日に公表した現役引退のお知らせには、北井のプロフィールと公式記録が掲載されている。
| 所属・経歴 | 内容 |
|---|---|
| 高校 | 桐光学園高校 |
| 大学 | 近畿大学 |
| プロ初期 | FC町田ゼルビア |
| 所属クラブ | 松本山雅FC |
| 所属クラブ | カターレ富山 |
| 最後の所属クラブ | SC相模原 |
| ポジション | MF |
| 現役引退 | 2018年シーズン終了後 |
Jリーグ通算成績は以下のとおり。
| リーグ | 出場試合 | 得点 |
|---|---|---|
| J1 | 0 | 0 |
| J2 | 64 | 5 |
| J3 | 101 | 9 |
| 合計 | 165 | 14 |
Jリーグでの通算出場は165試合、得点は14点。KEIRIN.JPのプロフィールでも、Jリーグで9年間プレーした経歴が紹介されている。
サッカー引退後、なぜ競輪に転身したのか2018年シーズンを最後にサッカー選手を引退した北井は、新たな目標に向かうことを決めた。
その後、競輪選手養成所に入所し、119期として競輪選手への道を歩み始める。
養成所時代にはゴールデンキャップ賞を獲得。卒業記念レースでは総合55位という記録も残している。
2021年5月1日、静岡競輪場でデビュー。初勝利は同年5月3日、初優勝は同年7月12日の西武園だった。
さらに2022年にはS級へ特別昇級し、競輪界で急速に存在感を高めていった。
競輪への転身後、約3年でG1を制するまでに成長した背景には、サッカー時代に培った持久力や身体能力、試合状況を読む経験もあったと考えられる。
ただし、サッカーと競輪は競技構造が異なる。サッカー経験だけで競輪の強さを説明できるわけではなく、養成所での訓練や競輪選手としての実戦経験も大きな要素だ。
【高松宮記念杯G1優勝】北井佑季がトップ選手になった理由
北井の競輪人生を語るうえで欠かせないのが、2024年6月16日の高松宮記念杯競輪だ。
この大会は岸和田競輪場で開催されたG1レース。北井は決勝で優勝し、競輪デビューから約3年1か月でG1初制覇を達成した。
2024年6月16日の決勝で何が起きた?決勝では神奈川勢の郡司浩平、北井佑季、和田真久留が連携。
郡司が先行してレースの主導権を握り、北井はその後ろから勝負を仕掛けた。
最終ホーム付近から展開が動き、北井は1センター付近で番手からまくりに転じる。最後は後続を振り切り、優勝を果たした。
2着は和田真久留。神奈川勢によるワンツー決着となった。
この優勝によって、北井はKEIRINグランプリ2024への出場権も獲得した。
当時の優勝賞金は副賞を含めて4790万円。競輪界のトップ選手としての地位を確立した重要な勝利だった。
G1優勝後の転落と2026年の再出発2024年のG1優勝後、北井は同年末にS級S班へ昇格。12月30日のKEIRINグランプリ2024にも出場した。
しかし、その前日に受けたドーピング検査で禁止物質の代謝物が検出されたことで、キャリアは大きく変わる。
2025年2月にはS級S班から除外され、競走から長期間離脱することになった。
そして2026年1月に復帰。A級からスタートし、4月にはS級2班へ特別昇級した。
2026年4月26日の名古屋G3では、最終2コーナーからのまくりで優勝。2023年9月の向日町以来となるG3通算2度目の優勝を記録した。
北井にとって、この勝利は単なるタイトル獲得ではない。長期欠場を経て、再び上位カテゴリーで勝負できることを示した結果でもあった。
【復帰後の評判を検証】ファンや競輪関係者はどう受け止めた?
ドーピング違反からの復帰は、競技成績だけで評価が決まるものではない。
長年応援してきたファン、同じ競輪場で戦う選手、競輪関係者にとって、今回の問題は競技への信頼に関わる出来事だった。
復帰前に本人が謝罪と反省を表明2026年1月6日、日本競輪選手会を通じて北井は正式なコメントを発表した。
その中では、競輪ファンや選手、関係者に謝罪するとともに、自分自身の管理の甘さや競輪選手としての自覚について反省したことを説明している。
翌7日には、師匠の高木隆弘神奈川支部長とともに平塚競輪場で取材に応じた。
北井は厳しい意見があることについても、当然のこととして受け止める姿勢を示した。
また、復帰前の2025年12月に実施された再検査で陰性が確認されたことも、競走復帰の判断につながった。
復帰初戦は2026年1月8日の平塚競輪復帰戦の舞台は、地元の平塚競輪場だった。
2026年1月8日開幕の湘南クリーンサイクル杯で、北井はA級1班として実戦に戻った。
約1年ぶりの競走ということもあり、注目度は高かった。
復帰前の取材では、競技から離れていた期間について、自分の甘さや反省すべき点と向き合ってきたと説明している。
復帰に際しては、支えてくれた人たちへの感謝も述べた。
2026年4月のG3優勝で見えたファンの反応復帰後の評判を考えるうえで注目したいのが、4月26日の名古屋G3だ。
日刊スポーツの現地報道によると、表彰式ではファンから「北井、お帰り」という声が上がった。一方、やじはなかったと伝えられている。
これは現地で確認された反応であり、すべてのファンが北井を支持しているという意味ではない。
ドーピング違反によって失われた信頼が、G3優勝だけで完全に回復したと判断することもできない。
ただし、競技者としての復帰を歓迎する声が実際にあったことは、復帰後の評価を考えるうえで重要な材料になる。
北井自身も、今後は長い距離を踏む自分の走りをファンに見てもらいたいという趣旨の発言をしている。
復帰後の評価は競技力と信頼回復の2軸で見る北井の現状を評価する際には、2つの視点が必要だ。
競技力については、数字が明確な判断材料になる。
2026年は6回の優勝を記録し、4月にはS級2班への特別昇級も達成した。名古屋G3も制しており、上位カテゴリーで戦う力を取り戻している。
一方、信頼回復については、成績だけでは判断できない。
今後の活動においては、禁止物質の混入を防ぐための自己管理、摂取物の確認、継続的なアンチ・ドーピングへの取り組みが問われる。
競輪選手として勝ち続けることと、スポーツ選手として信頼を取り戻すことは、別々に積み重ねなければならない課題だ。
【プロの結論】北井佑季の2026年は復活の年なのか?
北井佑季の2026年を評価するなら、単純な復帰という言葉だけでは足りない。
2024年にはG1優勝とS級S班昇格を経験し、競輪界のトップに立った。
その直後にドーピング違反が発覚し、長期欠場と級班降格を経験した。
2026年にはA級1班から再スタートし、3場所連続完全優勝でS級2班に昇級。さらにG3優勝まで成し遂げた。
この流れから見えてくるのは、競技能力の回復と、競技者としての信頼回復は別のプロセスだということだ。
北井佑季の今後を判断する3つのポイント今後の北井を追う際には、次の3点に注目したい。
1. G1での競争力: 2024年に制した高松宮記念杯のような大舞台で、再び優勝争いに加われるか。
2. 年間成績の安定性: 勝率や連対率だけでなく、長期的に安定した競走内容を維持できるか。
3. 信頼回復への取り組み: 摂取物の管理やアンチ・ドーピングへの姿勢を継続できるか。
2026年11月時点で、KEIRIN.JPの出場予定には11月18日からの小倉・競輪祭が掲載されている。G1の舞台に戻る機会となるため、今後の重要な注目ポイントだ。
【北井佑季に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:北井佑季は現在何班ですか?
A1:2026年11月現在はS級2班です。2026年4月5日に3場所連続完全優勝を達成し、特別昇級しました。
Q2:北井佑季のドーピング違反では何が検出されましたか?
A2:2024年12月29日の検査で、禁止物質である蛋白同化男性化ステロイド薬「メタンジエノン」の代謝物が検出されました。JKAは2025年2月20日に違反を認定しています。
Q3:北井佑季はいつ競輪に復帰しましたか?
A3:2026年1月8日、地元の平塚競輪場で復帰しました。A級1班から再スタートし、同年4月にはS級2班に特別昇級しています。
Q4:北井佑季のJリーグ通算成績は?
A4:Jリーグ通算165試合出場、14得点です。J2が64試合5得点、J3が101試合9得点で、J1の出場記録はありません。
Q5:北井佑季はG1で優勝したことがありますか?
A5:あります。2024年6月16日の高松宮記念杯競輪でG1初優勝を達成しました。2026年には名古屋G3でも優勝しています。
Q6:北井佑季の2026年の成績は?
A6:KEIRIN.JPの10月26日更新データでは、65走32勝、優勝6回、勝率49.2%です。11月2日更新の直近4か月成績では14走3勝、2連対率57.1%となっています。
北井佑季は、元Jリーガーという異色の経歴を持ち、競輪デビューから約3年でG1を制した実力者だ。
しかし、2025年に発覚したドーピング違反によって、S級S班からの除外、長期欠場、級班降格という大きな転機を迎えた。
2026年1月の復帰後は、A級1班から3場所連続完全優勝を達成。4月にはS級2班への特別昇級を果たし、名古屋G3でも優勝した。
11月現在の年間成績も32勝、優勝6回と、競技面では存在感を示している。
ただし、競技成績が戻ることと、ドーピング問題によって損なわれた信頼が回復することは同じではない。
今後の北井佑季を評価するうえでは、G1での結果だけでなく、自己管理やアンチ・ドーピングへの継続的な取り組みにも注目する必要がある。
2026年は競技者としての再出発を結果で示した年。次に問われるのは、その実力を維持しながら、長期的に信頼される選手であり続けられるかという点だ。
主な情報源:公益財団法人JKA、KEIRIN.JP、一般社団法人日本競輪選手会、SC相模原公式発表、日刊スポーツ、netkeirin。成績は各資料の更新日を明記したうえで掲載。