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【一二三慎太のプロフィール】東海大相模で甲子園準優勝を果たした元阪神の逸材

星野 あかり 星野 あかり • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
目次

一二三慎太(ひふみ・しんた)氏は、1992年9月29日生まれ。大阪府出身の元プロ野球選手です。

阪神タイガースの公式新人プロフィールによると、2010年のドラフト2位で指名された際は投手として登録され、身長184cm、体重86kgの右投右打の選手でした。

項目 内容
名前 一二三慎太
読み方 ひふみ・しんた
生年月日 1992年9月29日
2026年現在の年齢 34歳
出身地 大阪府
出身高校 東海大学付属相模高校
投打 右投右打
ドラフト 2010年阪神2位
プロ入り時のポジション 投手
主な経歴 阪神タイガース、石川ミリオンスターズ
現在の活動 パーソナルトレーナー、野球指導

東海大相模高校で150キロの速球を武器に活躍

一二三氏の名前が全国的に知られるきっかけとなったのが、東海大相模高校時代の活躍です。

2010年夏の第92回全国高校野球選手権大会では、エースとしてチームを牽引しました。

当時の持ち味は、横手投げから繰り出す最速150キロのストレート。力強い直球を軸に相手打線を抑え、東海大相模を決勝まで導きました。

決勝では沖縄の興南高校と対戦。惜しくも優勝には届きませんでしたが、チームは準優勝という輝かしい成績を残しています。

阪神タイガースの公式コラムでも、当時の一二三氏は投手としてだけでなく、打者としての能力も高く評価されていました。

実際、甲子園での通算成績は2度の出場で25打数15安打、打率6割、1本塁打。投打両面で能力を示していた選手でした。

2010年ドラフトで阪神タイガースから2位指名

高校野球での実績を評価され、2010年秋のドラフト会議で阪神タイガースから2位指名を受けます。

将来の主力投手候補として期待され、プロ野球選手としてのキャリアをスタートさせました。

高校時代に150キロを記録した右腕が、プロの世界でどこまで成長するのか。阪神ファンからも期待を集める存在でした。

しかし、プロ入り後に待っていたのは、想定外の故障との闘いでした。

【阪神タイガース時代の成績と転落】右肩故障から野手転向に至った経緯

一二三慎太

一二三氏のプロ野球人生を振り返るうえで、最も大きな転換点となったのが右肩の故障です。

高校時代には投手として高い評価を受けていましたが、プロ入り後は十分な投球機会を得られませんでした。

右肩故障の理由は何だったのか

阪神の公式コラムによると、一二三氏は2011年の春季キャンプで右肩に違和感を訴えました。

キャンプ序盤にはブルペンで投球していたものの、その後は体力強化とリハビリを中心とした調整に変更。

5月にはキャッチボールを再開したものの、回復は一進一退でした。8月以降には再びノースロー調整となり、投球再開の見通しが立たない状況が続きました。

球団側は当初、手術を避けて保存療法を基本とするリハビリを進めていましたが、十分な回復には至りませんでした。

なお、故障の医学的な根本原因や具体的な診断名について、公開情報だけから断定することはできません。

2022年の合同トライアウトでは、本人が肩の手術を2回経験したことも明かしています。

なぜ投手から外野手に転向したのか

右肩の状態が改善しなかったことで、一二三氏は投手としてのキャリアを見直す必要に迫られました。

2011年のシーズン終了後、本人は野手転向を決断。2012年から登録ポジションを外野手に変更しました。

この判断には、本人が高校時代から優れた打撃能力を持っていたことも関係しています。

甲子園での打撃成績が示すように、投手以外のポジションでも能力を発揮できる可能性はありました。

阪神の公式コラムでも、リハビリ中に受けた守備練習でコーチから高い評価を得ていたことが紹介されています。

ただし、投手としての故障が完全に解消したわけではなく、野手として新しい技術を身につけながら、プロの競争を勝ち抜かなければならない状況でした。

プロ野球成績は?一軍出場はゼロだった

一二三慎太氏のプロ野球成績で押さえておきたいのは、阪神在籍中に一軍公式戦への出場が一度もなかったという事実です。

阪神タイガースの球団創設80周年記念サイトにも、その記録が明記されています。

一方、二軍では外野手として試合に出場し、打撃経験を積んでいました。

特に2013年はウエスタン・リーグで打率.255、4本塁打、20打点を記録。二軍での成長が期待された時期もありました。

その後の二軍打率は2014年が.179、2015年が.203でした。

一二三慎太のプロ野球キャリア年表
時期 出来事・実績 ポイント 2010年夏 東海大相模で甲子園準優勝 最速150キロのエースとして活躍 2010年秋 阪神ドラフト2位指名 投手としてプロ入り 2011年 右肩痛でリハビリ 投手としての公式戦登板なし 2012年 外野手に転向 二軍で野手として出場 2013年 二軍打率.255 4本塁打、20打点 2015年オフ 育成選手契約へ移行 背番号123で再出発 2016年10月 阪神から戦力外通告 NPBでの所属を終える 2017年 石川ミリオンスターズの練習生 投手復帰を目指す 2018年3月 不起訴処分が報道される 処分理由は非公表 2022年11月 12球団合同トライアウト参加 投手として2奪三振 2024~2026年 3TIVE公式サイトで店長として紹介 トレーナー・野球指導活動

【2016年の戦力外通告と逮捕報道】石川ミリオンスターズ退団までの経緯

阪神で一軍出場を果たせなかった一二三氏は、2015年オフに育成契約へ移行しました。

背番号を36から123に変更し、支配下登録への復帰を目指しましたが、2016年10月に球団から戦力外通告を受けます。

戦力外後は独立リーグで投手復帰を目指す

阪神退団後、一二三氏が次の挑戦の場として選んだのが、ルートインBCリーグの石川ミリオンスターズでした。

2017年には練習生としてチームに加わり、投手として再出発する道を模索します。

しかし、練習生として活動していた同年11月、沖縄県内で発生した事件をめぐり、強制性交の疑いで逮捕されたことが報道されました。

2018年1月6日には、石川ミリオンスターズから自主退団したことが発表されています。

2017年の逮捕報道と2018年の不起訴処分

この事件について、時系列を整理すると次のようになります。

- 2017年11月: 沖縄県内での事件について、女性に対する強制性交の疑いで逮捕されたと報道。
- 2018年1月6日: 石川ミリオンスターズからの自主退団が発表される。
- 2018年3月24日: デイリースポーツが、那覇地方検察庁による不起訴処分を報道。

重要なのは、逮捕報道だけで事件の結論を判断できないという点です。

2018年3月24日のデイリースポーツの記事では、那覇地検が不起訴処分としていたことが明らかになったと報じられています。

一方、検察側は不起訴処分の理由を公表していません。

【一二三慎太は冤罪だった?】不起訴処分の意味と検索される理由

一二三慎太氏について調べると、「逮捕」「不起訴」「冤罪」という言葉が一緒に検索されることがあります。

これは、逮捕報道が大きく取り上げられた一方、その後の不起訴処分については十分に知られていないことが背景にあると考えられます。

不起訴処分は無罪判決と同じなのか

法律上、不起訴処分とは、検察官が事件を裁判にかけるための起訴をしないと判断することです。

そのため、次の3つは区別する必要があります。

- 逮捕:犯罪の疑いがある人物の身柄を拘束する手続き。
- 不起訴:検察官が公訴を提起しないと判断すること。
- 無罪判決:裁判所が審理した結果、被告人を無罪と判断すること。

一二三氏について報道されたのは不起訴処分です。裁判で無罪判決が出たという情報ではありません。

また、不起訴には複数の理由があり得ますが、今回の処分理由は那覇地検から公表されていません。

したがって、特定の理由を推測して断定することはできません。

「冤罪」という検索ワードの真相

ここで押さえておきたいのは、不起訴になったことだけで冤罪が確定するわけではない一方、逮捕されたことだけで有罪が確定するわけでもないということです。

事件の真相を判断するには、捜査結果や検察の判断理由などが必要になります。

しかし、今回の件では不起訴理由が公表されていません。

そのため、公開情報から確認できるのは、逮捕報道があったこと、石川ミリオンスターズを退団したこと、そして2018年3月に不起訴処分となったことまでです。

検索結果の見出しだけを読んで、本人の有罪や冤罪を決めつけるのは適切ではありません。

【2022年のトライアウトとパーソナルトレーナー転身】再びマウンドに立った理由

一二三氏のその後を語るうえで、大きな節目となったのが2022年の12球団合同トライアウトです。

阪神を退団してから6年。プロ野球の舞台から離れていた元甲子園準優勝投手が、再び投手としてマウンドに立ちました。

12年ぶりの投手復帰で2奪三振

2022年7月、一二三氏は自身のSNSを通じて、同年11月に開催される合同トライアウトへの参加意向を明らかにしました。

当時は野球から離れて5年、投手から離れて11年が経過しており、肩の手術も2回経験していたと報じられています。

そして、2022年11月8日、楽天生命パーク宮城で開催された12球団合同トライアウトに参加しました。

阪神時代の背番号36のユニホームを着用し、右サイドスローから投球。

結果は次のとおりです。

項目 結果
対戦打者 3人
奪三振 2
四球 1
投球フォーム 右サイドスロー
球速 130キロ前後
使用球種 ストレート、スライダー

日本ハムの樋口選手、片岡選手から三振を奪い、最後の打者には四球を与えました。

12年間のブランクを経ての投球であり、観客からも拍手が送られたと報じられています。

トライアウト参加はNPB復帰が目的だったのか

興味深いのは、トライアウト後に一二三氏自身が語った参加理由です。

当時のデイリースポーツの報道によると、一二三氏は、現在トレーナーとして活動しており、肩の故障などで挫折を経験する人に、自分が挑戦する姿を見せたかったと説明しています。

また、本人は現役復帰を考えていないとも話していました。

つまり、トライアウトへの参加は、単純にプロ野球への復帰を目指すものではありませんでした。

むしろ、故障を経験した人に向けて、再び挑戦する姿勢を示す意味合いが強かったのです。

長いブランクを経て2つの三振を奪ったことは、現役時代とは違う立場から野球に向き合う一二三氏の姿を示す出来事となりました。

【一二三慎太の現在は?】パーソナルトレーナーと大阪のジム「3TIVE」

2026年に確認できる公式情報

2026年現在の一二三氏について、本人を紹介する公式ジムサイトで確認できるのが、大阪市中央区のパーソナルジム「3TIVE(スリーティブ)」です。

公式サイトでは、一二三慎太氏が店長として紹介されています。

HITGYMではなく現在確認できる公式サイトは3TIVE

一二三氏について検索すると、「HITGYM」というジム名も関連キーワードとして挙がります。

ただし、2026年に確認できる本人のプロフィール掲載サイトでは、現在の店舗名として「3TIVE」が紹介されています。

同サイトには、本人の経歴やトレーナー資格、野球指導の案内などが掲載されています。

HITGYMという名称と現在の3TIVEとの関係や、店舗名の変更時期については、公開された公式情報からは確認できません。両者を同一の店舗として扱うのは避ける必要があります。

3TIVEでの仕事内容と指導内容

3TIVEの公式サイトによると、店舗では主に次のサービスを案内しています。

- 加圧トレーニング
- パーソナルストレッチ
- 野球教室
- ピッチング指導
- 野球施設への出張指導

特に注目したいのが、元プロ野球選手としての経験を生かした野球指導です。

公式サイトには、一二三氏が東海大相模高校を甲子園準優勝に導いた経験を生かし、マンツーマンで子どもたちにピッチング指導を行うと紹介されています。

また、本人のプロフィールには以下の資格・技術が掲載されています。

分野 公開されている内容
加圧トレーニング 加圧ジャパン公認加圧インストラクター
トレーナー資格 国際プロフェッショナルパーソナルトレーナーズ機構認定資格
ストレッチ ベーシック、アドバンス、トリガー、ダイナミック
その他 ヘッドスパマッサージ
得意分野 徒手抵抗トレーニング

2024年には本人名義のトレーニング情報も発信

3TIVEの公式ブログには、一二三氏本人が店長として執筆した記事が掲載されています。

確認できる記事には、次のようなものがあります。

- 2024年8月21日:加圧トレーニングと肩こり軽減について
- 2024年9月7日:加圧トレーニングとリハビリについて
- 2024年10月22日:食事制限より食事選択が大切という内容
- 2024年10月28日:PFCバランスについて

特に興味深いのが、リハビリについて取り上げた記事です。

自身も肩の故障と長期間向き合ってきた経験を持つ一二三氏が、トレーニングや身体のケアについて情報を発信していることが分かります。

もちろん、個人の経験と医学的な治療効果は別に考える必要がありますが、元投手としての経験を現在の仕事に生かしている点は注目できます。

2026年現在も活動しているのか

3TIVEの公式サイトには、2026年のキャンペーン情報や店舗案内、予約導線が掲載されています。

また、一二三氏は引き続き店長プロフィールに掲載され、野球教室の案内にも名前が記載されています。

したがって、2026年時点で確認できる公表情報では、野球選手としてではなく、トレーナー・指導者として活動する姿が中心です。

一方、2022年のトライアウト以降にNPBへ復帰したという公表情報は確認できません。

2026年以降の新たな競技活動や個人的な近況については、本人による新しい発信がない限り、詳しい状況までは分かりません。

【プロの結論】一二三慎太の経歴から分かること

一二三慎太氏のキャリアは、高校時代の華々しい実績と、プロ入り後の予想外の挫折、そして競技生活から離れた後の再出発という流れで整理できます。

特に重要なのは、次の3点です。

1. 甲子園準優勝とプロ入りは、成功の保証ではなかった

高校時代に150キロを投げ、阪神からドラフト2位で指名された選手であっても、故障によってキャリアの方向性が変わることがあります。

2. 野手転向は才能の否定ではなく、競技を続けるための選択だった

右肩の状態が改善しないなかで、一二三氏は打撃能力を生かす方向へ舵を切りました。結果として一軍出場には届きませんでしたが、野球との関わりを完全に断つことなく、新しい可能性を模索しました。

3. トレーナーへの転身によって経験の生かし方が変わった

2022年のトライアウト参加時には、故障を抱えた人に自分の姿を見せたいという思いを語っています。現在確認できる3TIVEでの仕事も、身体づくりや野球指導という形で競技経験を生かすものです。

選手としての実績だけを見れば、一軍出場のないままプロ野球生活を終えた人物です。しかし、その後の活動まで含めて見ると、単なる戦力外選手という枠では捉えきれません。

【一二三慎太に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:一二三慎太は現在何をしていますか?

A1:2026年に確認できる公式情報では、大阪市中央区のパーソナルジム「3TIVE」の店長として紹介されています。パーソナルトレーニングや野球指導などが主な活動として掲載されています。

Q2:一二三慎太は阪神タイガースで一軍出場しましたか?

A2:一軍公式戦への出場はありません。2010年ドラフト2位で入団しましたが、右肩故障による投手から野手への転向などを経て、2016年に戦力外通告を受けました。

Q3:一二三慎太の逮捕報道は不起訴になったのですか?

A3:はい。2017年11月の逮捕報道後、2018年3月に那覇地方検察庁による不起訴処分が報じられています。ただし、不起訴の理由は公表されていません。

Q4:一二三慎太は冤罪だったのですか?

A4:不起訴処分になったことは確認できますが、冤罪だったと断定できる公的情報は確認できません。不起訴は無罪判決とは異なり、処分理由も非公表です。

Q5:一二三慎太は2022年のトライアウトで何三振を奪いましたか?

A5:2022年11月8日の合同トライアウトで、打者3人と対戦して2三振を奪いました。阪神時代の背番号36のユニホームを着用して登板しました。

Q6:一二三慎太のジムはHITGYMですか?

A6:HITGYMという名称と本人との関係については、現在の公式情報から詳細を確認できません。本人を店長として掲載する公式サイトで確認できる店舗名は「3TIVE(スリーティブ)」です。

一二三慎太氏は、2010年夏の甲子園準優勝投手として注目され、阪神タイガースにドラフト2位で入団した元プロ野球選手です。しかし、右肩故障によって投手から野手への転向を余儀なくされ、2016年に戦力外通告を受けました。

その後の逮捕報道については、2018年3月に不起訴処分となったことが報じられています。処分理由は公表されておらず、冤罪や有罪を断定できる情報はありません。

2022年には合同トライアウトで12年ぶりに投手として登板し、2奪三振を記録しました。2026年現在、本人を店長として紹介する3TIVEの公式サイトでは、パーソナルトレーナーや野球指導者としての活動が確認できます。

高校野球のスターからプロ野球選手、そしてトレーナーへ。一二三氏の歩みは、野球選手としてのキャリアが終わった後も、自身の経験を別の形で生かしていく道があることを示しています。

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星野 あかり

栄養情報は公的食品データベース、調理法はメーカー公式表記で裏取り。体験談は取材の了承を得た範囲でのみ引用します。

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