「三億円事件の犯人は警察官の息子だった」という説は、事件から半世紀以上が経過した2026年現在も、多くの人の関心を集めている。
その中心にいるのが、事件発生からわずか5日後に捜査線上に浮上した19歳の少年Sだ。父親は現職の白バイ隊員で、少年自身も事件直後に青酸カリを服用して死亡したと報じられている。こうした状況から、少年Sこそ真犯人だったのではないかという疑惑が生まれた。
しかし、警察官の息子だったことや事件直後に死亡したことだけで、犯人と断定することはできない。捜査に加わった名刑事・平塚八兵衛は少年Sをシロと判断したとされる一方、別のジャーナリストや作家は異なる犯人像を提示してきた。2026年3月にも関連報道が掲載され、改めて注目を集めている。
【事件の全体像】三億円事件とは何だったのか?府中市で起きた大胆な現金強奪

三億円事件は、1968年(昭和43年)12月10日に東京都府中市で発生した現金強奪事件だ。
事件の標的になったのは、東芝府中工場の従業員に支給する冬のボーナスだった。
当時は現在のような給与の銀行振り込みが一般化する前であり、大量の現金を金融機関から工場まで運搬する必要があった。その輸送中の現金が、白バイ警察官を装った男によって奪われたのである。
事件の発生から現金強奪まで警察庁の警察白書によると、事件当日、東芝府中工場の従業員に支給するボーナス計2億9,434万円を積んだ銀行の現金輸送車が、府中刑務所北側の道路で偽の白バイに停止させられた。
犯人は警察官を装い、車両に爆弾が仕掛けられている可能性があると説明。銀行員4人を車外に避難させ、発煙筒による煙を利用して現金輸送車を奪い、そのまま逃走した。
この事件で特徴的だったのは、犯人が警察官という立場を巧みに利用したことだ。
本物の警察官だと信じた銀行員たちは、犯人の指示に従ってしまった。偽白バイや警察官の制服など、周到に準備されたとみられる犯行だった。
三億円事件の基本情報| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 事件発生日 | 1968年12月10日 |
| 発生場所 | 東京都府中市・府中刑務所北側 |
| 被害金額 | 約2億9,434万円 |
| 被害対象 | 東芝府中工場の従業員ボーナス |
| 現金輸送 | 日本信託銀行の現金輸送車 |
| 犯人の変装 | 白バイ警察官 |
| 犯行の特徴 | 偽白バイと爆弾の存在を装った強奪 |
| 公訴時効 | 1975年12月10日 |
| 事件の結末 | 犯人逮捕に至らず未解決 |
事件後、警視庁は大規模な捜査を展開した。遺留品や目撃証言を集め、犯人のモンタージュ写真も公開したが、決定的な手掛かりには結びつかなかった。
【最大の疑問】警察官の息子・少年Sはなぜ犯人候補になったのか?
三億円事件の犯人説の中でも、特に強い関心を集めてきたのが「警察官の息子S説」だ。
少年Sが捜査対象として浮上したのは、事件発生からわずか5日後だった。
19歳の少年Sと白バイ隊員の父親2026年3月24日に文春オンラインが掲載した別冊宝島編集部の記事によると、少年Sは当時19歳で、父親は現職の白バイ隊員だった。
また、Sは地元の不良少年グループのメンバーであり、当時、鑑別所から逃走して指名手配されていたとされる。
警察が少年Sに注目した背景には、複数の事情があった。
- 父親が現職の白バイ隊員だったこと。
- オートバイや警察関係の知識を得やすい家庭環境だったこと。
- 所属グループが同年3月に発煙筒を使用した強盗事件を起こしていたこと。
- その事件と三億円事件の犯行手口に類似点があったこと。
特に注目されたのが、父親の職業と偽白バイの存在だ。
犯人が警察官に扮していた以上、警察関係の知識や装備に接する機会があった人物は捜査上の関心を集めやすい。
ただし、父親が白バイ隊員だったことは、少年自身が犯行に関与した証拠ではない。親の職業と子供の犯罪責任は、明確に区別する必要がある。
少年Sは事件5日後に死亡していた少年S説が長く語り継がれている最大の理由は、事件直後の死亡報道にある。
報道によると、1968年12月15日、立川署の刑事が少年Sの自宅を訪問した。
母親は息子が不在であると説明したが、実際には自宅にいたとされる。その後、少年Sは青酸カリを服用して死亡した。
事件発生からわずか5日後というタイミングだった。
この出来事は、捜査関係者や後年の事件研究者に大きな疑問を残した。
「警察が接触しようとした直後に死亡したのはなぜなのか」「事件への関与を疑われることを恐れていたのではないか」といった推測が生まれたのである。
しかし、死亡の事実と三億円事件への関与は別問題だ。
死亡した理由や本人の心理について、犯行を認めた確実な証言が残っているわけではない。少年Sを犯人とする決定的な証拠が確認されたわけでもない。
【時系列で検証】少年S・平塚八兵衛・モンタージュ写真の関係
少年S説を理解するには、事件発生から公訴時効までの経緯を整理する必要がある。
特に重要なのが、警視庁の捜査に加わった平塚八兵衛と、犯人の顔として公開されたモンタージュ写真の存在だ。
三億円事件の主要年表この年表から分かるのは、少年Sへの疑惑が事件発生直後から存在していた一方、捜査の過程で犯人像が定まらなかったことだ。
平塚八兵衛はなぜ少年Sをシロと判断したのか平塚八兵衛は、数々の重大事件を担当したことで知られる警視庁の刑事だ。
三億円事件では1969年4月24日に捜査へ加わり、斉藤勲とともに捜査を進めた。
2026年の文春オンライン記事では、平塚は少年Sをシロと判断したと説明されている。
その背景には、従来の捜査で浮上していた疑惑だけでなく、事件全体の犯行状況を改めて検証する姿勢があった。
平塚は単独犯説を重視したとされる。
一方、作家の松本清張は、事件を複数犯による犯行と考え、平塚の捜査上の推理とは異なる見解を示していた。
この違いが、少年S説をめぐる議論を長く残すことになった。
三億円事件のモンタージュ写真はなぜ破棄された?事件から約2週間後の1968年12月21日、警視庁は銀行員の証言などをもとに作成した犯人のモンタージュ写真を公開した。
当時は、犯人の顔が公開されれば情報提供が集まり、事件が解決するという期待もあった。
ところが、この写真は後に信頼性を疑問視されるようになる。
文春オンラインが2025年12月10日に掲載した記事では、モンタージュ写真は既に死亡していた男性の写真をほぼそのまま流用したものだったとの説明が紹介されている。
そして、1974年12月に正式に破棄された。
つまり、長年にわたり犯人の顔として認識されていた写真そのものが、捜査の終盤で信頼性を失ったのである。
【真犯人説を比較】少年Sを犯人とする説と否定する説の根拠
少年S説をめぐっては、事件直後の状況や遺留品に関するさまざまな情報が取り上げられてきた。
しかし、捜査側の判断と後年のジャーナリストによる推理には違いがある。
少年Sを犯人と考える側の主張2021年7月2日、テレビ東京の番組関連記事では、45年以上にわたって三億円事件を取材してきたジャーナリストの近藤昭二氏が、少年Sに関する独自の犯人説を紹介した。
近藤氏が取り上げたのは、主に次のような状況証拠だった。
- 偽白バイに取り付けられていたトランジスタメガホンに関する新聞紙片。
- その新聞の配布地域と少年Sの居住地域との関係。
- 逃走後に発見されたジュラルミンケースに付着していた土壌。
- 少年Sの自宅周辺の土壌との類似性。
これらは、少年Sと事件を結び付ける可能性のある材料として紹介された。
ただし、テレビ東京の記事でも、これらは状況証拠にとどまると説明されている。土壌や新聞紙片の一致だけで、実行犯が誰だったかを確定することはできない。
少年Sを犯人と断定できない理由一方、松本清張の推理を紹介した文春オンラインの2025年12月10日の記事では、少年Sの犯人性を否定する材料も取り上げられている。
具体的には、次の3点だ。
1. 脅迫状の筆跡と少年Sの筆跡が一致しなかった。
2. 脅迫状に使用された切手の唾液から推定された血液型と、少年Sの血液型が異なっていた。
3. 関連する脅迫状が送られた時期に、少年Sは別件で逮捕され、警察に留置されていた。
これらは、少年Sが単独で事件全体を実行したとする説に矛盾を生じさせる材料として紹介されている。
ただし、松本清張は複数犯説を採用すれば、こうした矛盾を説明できる可能性があると推理した。
ここで重要なのは、単独犯説と複数犯説では、同じ証拠の評価が変わるという点だ。
少年Sが脅迫状を書いていなかったとしても、別の人物が脅迫状を送った可能性を想定すれば、少年Sの関与そのものを完全に否定できるとは限らない。
反対に、複数犯説を採用したからといって、少年Sの犯行が証明されるわけでもない。
噂と確認できる事実の違い| 論点 | 確認できる内容 | 評価 |
|---|---|---|
| 父親の職業 | 白バイ隊員だったと報道 | 少年の犯行を証明しない |
| 少年Sの年齢 | 事件当時19歳と報道 | 犯人確定の根拠ではない |
| 青酸カリによる死亡 | 事件5日後の死亡が報じられた | 犯行の自白とは異なる |
| 遺留品の状況 | 少年Sとの関連を指摘する取材がある | 状況証拠の域を出ない |
| 平塚八兵衛の判断 | Sをシロと判断したとの報道 | 捜査上の重要な評価 |
| 真犯人の特定 | 犯人逮捕に至っていない | 未解決 |
少年S説は、複数の状況証拠や事件直後の出来事が重なったことで強い印象を残している。
しかし、疑惑が強いことと、犯罪事実が証明されていることは同じではない。
この区別こそ、三億円事件の犯人説を検証するうえで欠かせない視点だ。
【2026年最新報道】三億円事件の少年S説に新事実は出たのか?
2026年に入ってからも、三億円事件は未解決事件を扱う報道や書籍で取り上げられている。
特に注目されたのが、文春オンラインによる2026年3月24日の記事だ。
2026年3月24日、少年S説を改めて掲載この記事は、宝島社の書籍『日本の未解決事件100 犯罪から読み解く「昭和」「平成」「令和」史』からの抜粋として掲載されたものだ。
少年Sが事件直後に捜査線上に浮上した経緯や、青酸カリによる死亡、平塚八兵衛によるシロ判定などが紹介されている。
2026年の報道で改めて浮かび上がったのは、事件直後の捜査で有力視された人物が、後の捜査では犯人候補から外されたという複雑な経緯だ。
2025年12月には公訴時効成立から50年もう一つの節目は、2025年12月10日だった。
三億円事件の公訴時効が成立した1975年12月10日から、ちょうど50年に当たる日である。
この節目に合わせて、文春オンラインでは松本清張の犯人推理を再検証する記事が掲載された。
松本清張は、警視庁が採用した単独犯説に疑問を呈し、少年Sの周辺人物も含めた複数犯説を展開していた。
この推理は、事件の手口や遺留品、脅迫状の問題を別の角度から考える材料になっている。
2026年現在、真犯人は判明しているのか現時点で確認できる2026年の関連報道では、少年Sを真犯人と確定する新たな公式発表や、事件を解決に導く決定的な鑑定結果は示されていない。
少年S説、複数犯説、警察関係者関与説など、さまざまな仮説が存在するものの、いずれも事件全体の真相を確定するには至っていない。
また、1975年12月10日に公訴時効が成立しているため、事件は刑事裁判で犯人の責任を問うことのできない歴史的な未解決事件となっている。
2026年の最新報道は、犯人が判明したというニュースではなく、過去の捜査や犯人説を改めて検証する動きとして捉えるべきだ。
【プロの結論】警察官の息子S説から読み解く三億円事件の本質
三億円事件が半世紀以上にわたって関心を集めている理由は、単に約3億円という巨額の現金が奪われたからではない。
事件には、犯人の巧妙な変装、偽白バイ、複数の遺留品、信頼性を失ったモンタージュ写真、そして事件直後に死亡した少年Sという複数の謎が存在する。
その中でも、警察官の息子S説には、特に慎重な検証が必要だ。
犯人説を判断するときに見るべき3つの基準1. 捜査線上に浮上したことと犯人であることを区別する
少年Sが事件直後に容疑者として浮上したことは、複数の出版報道で紹介されている。
しかし、容疑者として注目された人物が、そのまま犯人だったということにはならない。
2. 状況証拠と決定的証拠を区別する
遺留品の土壌、新聞紙片、父親の職業、死亡のタイミングなどは、事件を考える材料にはなる。
しかし、それぞれの証拠が何を証明し、何を証明できないのかを分けて考える必要がある。
3. 捜査担当者の判断と後年の推理を比較する
平塚八兵衛の単独犯説と、松本清張の複数犯説では、事件の捉え方が異なる。
また、ジャーナリストによる少年S真犯人説も存在する。
これらを比較することで、三億円事件に残された疑問がより明確になる。
少年S説の最大の問題は、事件への疑いを生んだ事情が複数ある一方で、犯行を確定できる証拠が公に示されていないことだ。
警察官の息子だったことも、事件直後に亡くなったことも、それだけでは真犯人であることを意味しない。
【三億円事件の犯人と警察官の息子】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:三億円事件の犯人は警察官の息子だったのですか?
A1:警察官の息子である19歳の少年Sが容疑者として浮上したことは報道されている。しかし、Sが真犯人だったと確定した事実はない。平塚八兵衛がシロと判断したとする報道も存在する。
Q2:少年Sはなぜ青酸カリで自殺したのですか?
A2:1968年12月15日深夜に青酸カリを服用して死亡したと報じられている。警察の接触があった直後という経緯から疑惑が生まれたが、死亡の理由や事件との直接的な関係は確定していない。
Q3:少年Sの父親は本当に白バイ隊員だったのですか?
A3:2025年・2026年の文春オンラインの記事などで、父親は現職の白バイ隊員だったと紹介されている。ただし、父親が三億円事件に関与したと証明されたわけではない。
Q4:平塚八兵衛は少年Sを犯人だと考えていたのですか?
A4:2026年3月の文春オンライン記事では、平塚八兵衛は少年Sをシロと判断したと紹介されている。平塚は単独犯説を重視していたとされる。
Q5:三億円事件のモンタージュ写真は現在も有効なのですか?
A5:いいえ。1968年12月21日に公開されたモンタージュ写真は、信頼性への疑問から1974年12月に正式に破棄されたと報じられている。
Q6:三億円事件は2026年現在も未解決なのですか?
A6:はい。犯人の逮捕や真相の公式な確定には至っていない。1975年12月10日に公訴時効が成立しており、2026年現在も歴史的な未解決事件として扱われている。
三億円事件の「警察官の息子が犯人」という説の中心にいるのは、1968年当時19歳だった少年Sだ。
父親が白バイ隊員だったこと、事件発生から5日後に青酸カリを服用して死亡したこと、所属グループと犯行手口に類似点があったことなどが、疑惑を生んだ背景にある。
一方で、平塚八兵衛は少年Sをシロと判断したとされ、松本清張は複数犯説を提示した。ジャーナリストによる独自の状況証拠の検証も存在する。
2026年3月の報道でも少年S説は取り上げられたが、新たな犯人特定には至っていない。
事件から約58年が経過しようとする今、確かなのは、少年Sが有力な容疑者として語られてきたことと、三億円事件そのものが未解決のままであることだ。
警察官の息子だったから犯人なのか。事件直後に死亡したから犯人なのか。
その二つを短絡的に結び付けず、捜査上の事実と後年の推理を区別することが、三億円事件の真相に近づくための重要な手掛かりとなる。