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高畑勲『かぐや姫の物語』は何を描いた?原作との違いと罪・月への帰還を徹底解説

霧島 直人 霧島 直人 • 更新: • 公開: • 読了約 24 分
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スタジオジブリの高畑勲監督が手がけた『かぐや姫の物語』は、2013年11月23日に公開された長編アニメーション映画です。日本最古の物語文学とされる『竹取物語』を題材に、かぐや姫が地上で過ごした時間、月へ帰らなければならない理由、そして彼女が抱えた喜びや悲しみを独自の視点から描いています。

本作の大きな特徴は、昔話として知られるかぐや姫の物語に、ひとりの女性が自分らしく生きようとする姿を重ねたことです。朝倉あきの声の演技、久石譲の音楽、水彩画や日本画を思わせる大胆な作画表現も高く評価され、第87回アカデミー賞の長編アニメーション賞にもノミネートされました。

【あらすじ】高畑勲監督『かぐや姫の物語』はどんな映画?

かぐや姫高畑勲

『かぐや姫の物語』は、竹から生まれた不思議な少女が成長し、やがて月へ帰っていくという『竹取物語』の基本的な筋書きを受け継いでいます。ただし、高畑勲監督が描いたのは、単なる昔話の再現ではありません。

物語の中心にあるのは、かぐや姫というひとりの人間が何を望み、何を失い、どのように生きようとしたのかという心の動きです。

竹から生まれた少女と山里での暮らし

山で竹を取って暮らす翁は、光り輝く竹の中から小さな女の子を見つけます。少女は驚くほどの速さで成長し、翁と媼のもとで育てられることになります。

山里の子どもたちと一緒に遊び、自然の中を駆け回る幼い姫。そこには、身分や財産とは無縁の、自由で生命力に満ちた日々がありました。

特に幼なじみの捨丸との交流は、映画における重要な要素です。自然とともに暮らす生活の中で、姫は季節の移り変わりや人とのつながりを知り、地上で生きる喜びを感じていきます。

都での生活と失われていく自由

やがて翁は、竹から見つかる黄金や豪華な衣装を、姫を高貴な女性にするための天からの授かり物だと考えます。そして、姫を都へ連れていき、上流社会にふさわしい教育を受けさせようとします。

都では、作法や教養を身につけるための厳しい生活が始まります。姫は美しく成長し、多くの男性から求婚されるようになりますが、彼女が求めていたのは華やかな身分や財産ではありませんでした。

求婚者たちには、それぞれ実現不可能に近い宝物を持ち帰るよう求めます。さらに帝からも関心を寄せられますが、姫の心は満たされません。

山里で過ごした自由な日々と、都で求められる姫としての振る舞い。その間に生まれる大きな隔たりが、物語の悲劇性を深めていきます。

十五夜に訪れる別れ

姫はやがて、自分が月の世界からやって来た存在であること、そして月へ帰る日が近づいていることを知ります。

翁と媼は姫を守ろうとしますが、月からの迎えを止めることはできません。大切な人々と過ごした地上での記憶を抱えたまま、姫は月の世界へ帰ることになります。

この結末が強い印象を残すのは、月への帰還が幸福な帰郷として描かれていないためです。姫にとって地上は、苦しみがある一方で、何にも代えがたい喜びを与えてくれた場所でした。

【制作理由と経緯】高畑勲はなぜ『かぐや姫』を映画にしたのか

高畑勲監督が『竹取物語』に関心を持ったのは、映画化の企画が始まるずっと前のことでした。スタジオジブリが2013年に発表した作品紹介でも、監督がこの題材を最初に考えてから50数年が経過していたことが紹介されています。

日本アカデミー賞の作品紹介によると、本作には約8年の制作期間と総製作費50億円が費やされました。高畑監督にとっては『ホーホケキョ となりの山田くん』以来、14年ぶりの新作長編アニメーションでもありました。

高畑勲が抱いた三つの疑問

映画化の出発点となったのは、昔話として広く知られているにもかかわらず、物語の核心には説明されていない部分が残っていることでした。

プロデューサーの西村義明氏が制作発表時に紹介した高畑監督の問題意識には、次の三つの疑問があります。

  • かぐや姫は、なぜ数ある星の中から地球を選んだのか。
  • 地上で過ごした約3年半の間、何を考え、何を感じていたのか。
  • 月の世界で犯した罪とは何であり、その罰とは何だったのか。

これらの疑問は、単に物語の設定を補足するためのものではありません。高畑監督は、原作では十分に描かれていないかぐや姫の心を掘り下げようとしていました。

つまり、映画化の目的は、誰もが知っている昔話をもう一度映像にすることではなく、かぐや姫をひとりの人間として描き直すことにあったのです。

8年に及んだ制作と第7スタジオ

本作の制作では、従来のアニメーション制作の常識にとらわれない表現が追求されました。

そのためにスタジオジブリでは、第7スタジオという制作体制が設けられています。人物造形・作画設計を田辺修、美術を男鹿和雄、作画監督を小西賢一が担当し、高畑監督の求める映像表現を形にしていきました。

制作の難しさを象徴するのが、脚本の完成までにかかった時間です。プロデューサーの西村氏は、脚本がまとまるまでに約3年を要し、当初の脚本は映画にすると3時間半ほどの分量だったと振り返っています。

多くのエピソードを削る必要があった一方、それぞれが人物の心情を理解するために欠かせない場面でもありました。結果として、制作期間は長期化し、映像の一枚一枚に膨大な労力が注がれることになりました。

2013年の公開時に完成したのは、単なる古典の映画化ではなく、高畑監督が長年温めてきたアニメーション表現の到達点を示す作品だったのです。

【声優・音楽・スタッフ】朝倉あきと久石譲が支えた作品の魅力

『かぐや姫の物語』の魅力を語るうえで欠かせないのが、声優陣と音楽、そして映像制作を支えたスタッフです。

スタジオジブリの公式作品情報に掲載されている主要スタッフとキャストを整理すると、次のようになります。

役割・登場人物 担当者 作品との関係・見どころ
監督・原案・脚本 高畑勲 作品全体の構想と演出を担当
脚本 坂口理子 高畑勲とともに脚本を担当
かぐや姫 朝倉あき 主人公の成長と心の揺れを表現
捨丸 高良健吾 姫の幼なじみ。山里での生活を象徴する人物
翁 地井武男 姫を見つけ、育てる竹取の翁
媼 宮本信子 姫を温かく見守る育ての母
音楽 久石譲 映画音楽を担当
主題歌 二階堂和美 「いのちの記憶」を歌唱
人物造形・作画設計 田辺修 人物の表情や動きを設計
美術 男鹿和雄 自然や山里、都の背景美術を担当
作画監督 小西賢一 作品の作画を統括
かぐや姫役の朝倉あきが選ばれた理由

主人公のかぐや姫を演じたのは、俳優の朝倉あきです。

スタジオジブリの2013年11月の公式発表によると、かぐや姫役の選考は難航し、朝倉は数百人の候補者の中からオーディションで選ばれました。

本作のかぐや姫は、幼い少女から美しい女性へと成長するだけではありません。山里での無邪気な姿、都での戸惑い、求婚者への反発、地上に残りたいという願いなど、年齢や状況によって感情が大きく変化します。

朝倉の演技は、こうした繊細な心の変化を表現するうえで重要な役割を果たしました。

地井武男の翁役とプレスコ方式

翁を演じた地井武男も、本作を語るうえで忘れられない存在です。

本作では、完成した映像に合わせて声を録音する一般的な方法ではなく、先に声を収録するプレスコ方式が基本的に採用されました。

スタジオジブリの公式発表によると、地井の声は2011年夏に収録されています。地井は2012年6月に亡くなりましたが、先行して録音が行われていたため、翁役として映画に出演することができました。

翁の声には、姫を大切に思う優しさと、彼女の将来を案じる親としての気持ちが込められています。地井の出演は、作品にとっても大切な記録となりました。

久石譲の音楽と二階堂和美の主題歌

音楽を担当したのは久石譲です。宮崎駿監督作品での仕事で知られる久石が、高畑勲監督の長編映画を担当したのは本作が初めてでした。

久石の音楽は、壮大なオーケストラによる表現だけでなく、自然の中で生きる喜びや、避けられない別れの悲しみを丁寧に支えています。

主題歌「いのちの記憶」を歌うのは、シンガーソングライターで僧侶でもある二階堂和美です。

2026年に公開されたジブリパークの二階堂へのインタビューでは、主題歌制作の経緯も紹介されています。高畑監督は、二階堂のアルバム『にじみ』を聴き込んでおり、映画を見終えた人が再び前を向けるような歌を求めていました。

監督が楽曲に託した方向性は、単なる悲しい別れの歌ではなく、もう一度会いたいという気持ちでした。

そのため「いのちの記憶」は、物語の悲劇性を強調するだけでなく、地上で出会った人々とのつながりや、生きた時間そのものを肯定する楽曲として機能しています。

【原作との違い】映画版は『竹取物語』をどう描き直したのか

『かぐや姫の物語』は『竹取物語』を原作としていますが、物語のすべてをそのまま映像化したわけではありません。

基本的な出来事は受け継ぎながら、原作では描写が限られている姫の幼少期や心情を大幅に膨らませています。

原作と映画版の主な違い

大きな違いは、かぐや姫の人間としての生活が、映画では物語の中心に据えられていることです。

原作の『竹取物語』は、竹取の翁による発見、姫の成長、求婚者たちの難題、帝との関係、月への帰還という展開を持つ物語です。

映画版では、その出来事の間にある日常や感情を丁寧に描き、姫がどのように生き、何を望んでいたのかを掘り下げています。

  • 幼少期:山里での暮らしや子どもたちとの交流を大きく描写。
  • 捨丸の存在:原作には登場しない幼なじみを加え、姫の人間的な愛情や地上への思いを表現。
  • 都での生活:高貴な女性としての教育や作法が、姫の自由を奪っていく過程を描写。
  • 求婚者たち:原作にある難題のエピソードを引き継ぎながら、人物の滑稽さや欲望を浮き彫りにする。
  • 月への帰還:原作にある宿命的な別れを、地上で生きたいという姫の感情と結びつけて描写。
捨丸はなぜ映画版で重要な存在になったのか

特に注目したいのが、捨丸という人物です。

原作には存在しない映画独自の人物であり、山里で過ごした幼少期から、成長後の姫との再会まで、彼女の人生に深く関わります。

捨丸との交流によって、姫が地上で得たものは単なる美しい自然の景色だけではなかったことがわかります。そこには、誰かを好きになる気持ちや、誰かと一緒に生きたいという願いがあります。

この人物を加えたことで、映画は月と地上という二つの世界の対比だけでなく、ひとりの女性が愛情や社会的な制約の中で何を選ぼうとしたのかという人間ドラマへと広がりました。

昔話から女性の人生を描く物語へ

原作のかぐや姫は、求婚者たちを退け、最後には月へ帰る不思議な存在として描かれます。

一方、映画版の姫は、社会から与えられる役割に疑問を持ち、自分の望む生活を求める女性として描かれています。

翁は姫を幸せにしようと考えて都へ連れていきます。しかし、父親の善意が必ずしも娘の幸福につながるわけではありません。

高貴な身分、美しい衣装、豪華な住居、結婚相手。周囲が幸福だと考える条件が、姫自身の望みと一致しないところに、この作品の現代的なテーマがあります。

高畑監督は、古典文学を現代の観客が自分自身の問題として考えられる物語へと再構築したのです。

【月に帰る理由と罪と罰】かぐや姫が地球に来た本当の意味

『かぐや姫の物語』で最も多くの解釈を生んでいるのが、月から地上へ来た理由と、最後に月へ帰らなければならなかった理由です。

作品の宣伝コピーにも使われた「姫の犯した罪と罰。」という言葉は、映画を理解するための重要な手がかりですが、完成した映画の内容を単純な謎解きとして受け取ると、本質を見失ってしまいます。

『竹取物語』では罪の内容が明確に説明されていない

まず押さえておきたいのは、月で罪を犯したという設定自体は、映画が初めて作り出したものではないということです。

原作の『竹取物語』にも、かぐや姫が月の世界で罪を犯し、その償いのために地上へ降ろされたという説明があります。

国立国会図書館のレファレンス協同データベースに掲載された宮城県図書館の調査回答でも、古典文学の注釈書をもとに、かぐや姫の地上への降下が罪による流謫であり、贖罪の期限が終わったために月へ戻ることになったと整理されています。

ただし、原作では具体的にどのような罪だったのかが明確に説明されていません。

高畑監督が映画化にあたって掘り下げようとしたのは、この説明されていない部分でした。

地球への憧れが物語の出発点

映画では、月の世界は清浄で、苦しみや悲しみ、激しい感情から切り離された世界として表現されています。

一方の地球には、花や草木、川、動物、季節の移り変わりがあります。そこには美しさだけでなく、死や別れ、嫉妬、怒り、悲しみといった苦しみも存在します。

それでも姫は地上に憧れます。

喜びだけではなく、悲しみさえも含めた人間の生を経験したい。限られた時間の中で誰かを愛し、自然に触れ、自分の意志で生きてみたい。そうした願いが、地球への憧れの根底にあると読み取れます。

月の世界の価値観からすれば、こうした地上への執着は秩序からの逸脱です。しかし、姫にとっては、まさにその感情こそが生きることの意味でした。

「罪と罰」は単純な善悪の問題ではない

ここで注意したいのが、映画の宣伝コピーと完成版のテーマは必ずしも同じではないという点です。

企画段階では、月の世界での禁忌や、地上から戻った女性の記憶をめぐる設定も考えられていました。しかし、それらの企画段階の構想を、そのまま完成版で描かれた確定的な出来事として扱うことはできません。

高畑監督が宣伝コピーの「姫の犯した罪と罰。」に対して慎重な姿勢を示していたことも、関連書籍をもとにした解説で紹介されています。

完成版を読み解くうえでは、罪の内容をひとつの答えに限定するよりも、地上の生に強く憧れた姫の存在と、それを許さない月の世界の価値観との衝突に注目する必要があります。

地上へ行くことが罰であるなら、姫にとってその罰は願ってもない機会でした。反対に、月へ帰ることが本来の居場所への帰還であるなら、なぜ姫はそれほど悲しまなければならないのでしょうか。

この逆説こそが、本作の悲劇性を生み出しています。

なぜ最後には月へ帰らなければならないのか

物語上の理由は、地上で過ごす贖罪の期間が終わり、月から迎えが来たためです。

これは原作にもある設定で、姫自身の希望によって帰還を選んだわけではありません。

月の使者が訪れると、地上の人々は抵抗する力を失い、姫を守ろうとする翁や媼の願いも届かなくなります。

さらに天の羽衣を身につけることで、姫は地上での記憶や感情から切り離されていきます。

この場面で描かれているのは、単なる故郷への帰還ではありません。愛した人々との思い出、地上で経験した喜びや悲しみ、そして自分が生きた時間そのものを失ってしまうことへの悲しみです。

月へ帰る理由は物語の設定として説明できます。しかし、なぜその帰還が悲劇なのかという問いに対しては、地上で生きることの価値そのものが答えになっています。

【水彩画のような作画と評価】高畑勲の映像表現は何が革新的だったのか

本作を一目見て印象に残るのは、従来のジブリ作品とは異なる映像表現です。

細い鉛筆線のような輪郭、描き残された余白、にじみを感じさせる色彩。まるで日本の絵巻物や水彩画が動き出したような画面が、物語全体を包み込んでいます。

完成された絵よりも生きた線を重視

高畑監督が求めたのは、すべてを緻密に描き込んだ美しい映像ではありませんでした。

田辺修が担当した人物造形・作画設計では、人物の表情や動きを、力強く自然な線で表現することが追求されました。

男鹿和雄による背景美術でも、あえて描き込みすぎない余白が大切にされています。

映像のすべてを説明するのではなく、観客が絵の向こう側にある自然や人物の感情を想像できるようにする。その考え方が、作品全体の独特な映像美につながっています。

疾走シーンに見る水彩画的な表現

特に有名なのが、姫が怒りや悲しみを爆発させて走り出す場面です。

このシーンでは、人物の輪郭が激しく揺れ、背景との境界が崩れていくような表現が用いられています。整った線で人物を固定するのではなく、感情の高まりそのものを映像にしています。

日本アカデミー賞の公式作品紹介でも、姫が疾走するシーンの水彩画表現が取り上げられています。

ただし、映画全編が水彩絵の具だけで描かれているわけではありません。WEBアニメスタイルの制作スタッフへの取材によれば、水彩による動画制作は一部のカットで採用され、素材をスキャンしてテクスチャーとして使用するなど、制作上の工夫も行われました。

つまり、本作の水彩画的な映像美は、単純に絵の具で描いたというだけではなく、線の勢いや色の質感、余白の使い方を組み合わせた高度なアニメーション表現なのです。

国内外での評判と評価

『かぐや姫の物語』は、公開当時から映像表現や物語の深さを評価する声がありました。

海外の映画批評でも芸術性が高く評価され、Rotten Tomatoesでは2026年11月の確認時点で批評家支持率100%、観客スコア90%を記録しています。これらは同サイトの集計値であり、今後更新される可能性があります。

一方、評価が分かれやすい部分もあります。

上映時間は約137分と長く、物語の中盤では都での生活や求婚者たちとのエピソードが比較的ゆっくり進みます。英国映画協会の映画評でも、映像への高い評価とともに、上映時間や中盤の展開の長さが指摘されていました。

つまり、短い時間で刺激的な展開を楽しみたい人には、やや長く感じられる可能性があります。一方で、人物の表情や自然の描写、物語の余白を味わいたい人にとっては、何度も見返したくなる作品です。

アカデミー賞ノミネートと国内外の受賞歴

本作は国内外の映画賞でも評価されました。

  • 2014年・第37回日本アカデミー賞:優秀アニメーション作品賞。
  • 2014年・アニー賞:脚本賞を受賞。
  • 2015年・第87回アカデミー賞:長編アニメーション賞にノミネート。

アカデミー賞では、ディズニー作品『ベイマックス』などと並んで長編アニメーション賞の候補となりましたが、受賞には至っていません。

ノミネートされたという事実は、作品の国際的な評価を示す重要な実績です。

また、日本アカデミー賞の作品紹介では、8年の制作期間と50億円の総製作費、独特な作画表現、朝倉あきのオーディション選出なども紹介されています。

高畑勲の遺作として残された意味

高畑勲監督は2018年4月5日、肺がんのため82歳で亡くなりました。スタジオジブリは翌6日に訃報を公表しています。

『かぐや姫の物語』は、高畑監督が手がけた最後の長編映画であり、公式にも遺作として紹介されています。

監督の作品には、『火垂るの墓』『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』など、人間の暮らしや社会、感情を丁寧に見つめた作品が並びます。

その流れの中で『かぐや姫の物語』は、自然とともに生きる喜び、社会が人間に求める役割、そして限りある命の意味を描いた集大成的な作品として位置づけられます。

最後に描かれる月への帰還は、監督が長年問い続けてきた「人間が生きるとはどういうことか」というテーマを、観客に改めて突きつける場面でもあります。

【よくある質問】高畑勲の『かぐや姫の物語』に関するFAQ

Q1:『かぐや姫の物語』は『竹取物語』と同じ内容ですか?
A1:基本的なストーリーは『竹取物語』を受け継いでいますが、映画独自の追加要素があります。特に幼少期の山里での暮らしや、幼なじみの捨丸との交流などは、原作にはない重要な要素です。

Q2:かぐや姫が月に帰る理由は何ですか?
A2:原作では、月の世界で犯した罪の償いの期間が終わったためと説明されています。映画では、それに加えて地上で生きたいという姫の願いと、月の世界の価値観との対立が悲劇の核心になっています。

Q3:かぐや姫役の声優は誰ですか?
A3:朝倉あきです。数百人の候補者が参加したオーディションから選ばれました。捨丸役は高良健吾、翁役は地井武男、媼役は宮本信子が担当しています。

Q4:『かぐや姫の物語』の音楽は誰が担当していますか?
A4:久石譲が映画音楽を担当しています。主題歌「いのちの記憶」は二階堂和美が歌っています。

Q5:『かぐや姫の物語』はアカデミー賞を受賞しましたか?
A5:受賞はしていませんが、2015年の第87回アカデミー賞で長編アニメーション賞にノミネートされました。また、第37回日本アカデミー賞では優秀アニメーション作品賞に選ばれています。

Q6:『かぐや姫の物語』は高畑勲監督の遺作ですか?
A6:はい。2013年公開の本作は、高畑勲監督が手がけた最後の長編映画です。高畑監督は2018年4月5日に82歳で亡くなりました。

高畑勲監督の『かぐや姫の物語』は、日本の古典『竹取物語』を現代的な視点から再構築した作品です。

2013年11月23日の公開までに約8年を費やし、朝倉あきの声の演技、久石譲の音楽、二階堂和美の主題歌、田辺修や男鹿和雄らによる独創的な映像表現が結集しました。

作品の核心にあるのは、月へ帰ることになった姫の悲劇だけではありません。地上には喜びも悲しみもあり、愛する人との別れもあります。それでも、限りある時間の中で生きることには大きな意味があるというメッセージです。

【プロの結論】本作を深く理解するためには、次の三つの視点が役立ちます。

  • 原作との比較を楽しみたい人:『竹取物語』を先に読んでから映画を見ると、高畑監督が追加した人物や心理描写の意味がよくわかります。
  • 映像表現を味わいたい人:姫が山を駆け回る場面や、怒りを爆発させて走る場面に注目すると、線や色による感情表現の違いを楽しめます。
  • 作品のテーマを考えたい人:月の世界と地上の世界を比較し、姫が何を失いたくなかったのかを考えると、物語の結末がより深く理解できます。

反対に、テンポの速い展開や明快なハッピーエンドを求める人には、137分という長さや、余韻を残す結末が合わない可能性もあります。

しかし、そこにこそ高畑監督の表現があります。幸福とは何か、生きるとは何か、そして人間が限られた時間の中で何を大切にするべきなのか。

『かぐや姫の物語』は、昔話の結末を知っていても、見るたびに新しい問いを残す映画です。高畑勲監督の遺作として、そして日本のアニメーション表現の重要な到達点として、2026年以降も語り継がれていく価値のある作品です。

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コンテンツディレクター 霧島 直人
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芸能担当15年。事務所の公式リリースと本人の公式SNSを一次情報とし、夕刊紙の報道は複数媒体が一致した場合だけ触れます。

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