「来集軒」と「来々軒」は、どちらも東京・浅草のラーメン史を語るうえで欠かせない名前です。しかし、読み方も歴史も異なる別の店であり、特に2026年7月2日に復活オープンした「淺草 來々軒」の登場によって、両者の違いを知りたい人が増えています。
東京ラーメンの発祥店とされる来々軒は、1910年(明治43年)に浅草新畑町で創業。貫一、新一、あさへと受け継がれた経営の歴史を経て、戦後の移転営業と1976年の閉店、2020年の新横浜ラーメン博物館での復活を経験しました。そして2026年、創業者の玄孫にあたる高橋雄作氏らが浅草3丁目に実店舗を開き、再びその名を掲げています。
【まず結論】来集軒と来々軒は何が違う?浅草の2つの老舗を比較

最初に整理しておきたいのは、来集軒と来々軒は、名前が似ているからといって同じ店ではないという点です。どちらも浅草周辺のラーメン文化と関係がありますが、店の成り立ちや歴史的な位置づけは異なります。
「来集軒」は「らいしゅうけん」と読み、現在の東京都台東区西浅草2丁目にある老舗ラーメン店です。店舗の開業は1950年(昭和25年)とされ、明治期に始まった来集軒製麺所とのつながりを持ちます。昔ながらの醤油ラーメンや中華料理を味わえる店として知られています。
一方、「来々軒」は「らいらいけん」と読み、1910年に浅草新畑町で創業した中華料理店です。大衆向けの支那そば、ワンタン、シウマイなどを提供し、東京ラーメンの歴史に大きな影響を与えた存在として記録されています。2026年には、創業者の子孫によって浅草3丁目で営業が再開されました。
- 来集軒:西浅草の老舗ラーメン店。店舗としての開業は1950年とされる。
- 来々軒:1910年に浅草新畑町で創業した、東京ラーメンの歴史を代表する店。
- 両者の関係:名称が似ているものの、同一店舗ではない。来集軒製麺所の歴史と、来々軒の創業史は分けて理解する必要がある。
混同しやすい理由の一つは、来集軒製麺所の創業年とされる1910年が、来々軒の創業年と同じことです。加えて、どちらも浅草の昔ながらのラーメン文化を語る際に登場します。しかし、同じ地域、同じ年代、似た屋号という共通点だけで、両者を一つの店として扱うことはできません。
【1910年創業】来々軒はなぜ東京ラーメン発祥の店と呼ばれるのか
来々軒の歴史は、1910年(明治43年)、尾崎貫一が東京・浅草新畑町3番地に中華料理店を開いたことから始まります。新横浜ラーメン博物館の公式沿革によると、貫一は横浜中華街から中国人コック12人を招き、店を立ち上げました。
当時の中華料理は、現在の町中華のように気軽に食べられるものばかりではありませんでした。来々軒は「支那そば」「ワンタン」「シウマイ」といった料理を大衆向けに提供し、庶民が中華料理を楽しめる新しい業態を広めたとされています。
なかでも重要なのが、醤油味の「らうめん」です。中国から伝わった南京そばを日本人の味覚に合うように改良したものとされ、現在の醤油ラーメンの原型につながる一杯として紹介されています。繁忙期には1日2,500〜3,000人ほどが訪れたという記録もあり、当時の人気の大きさがうかがえます。
来々軒が東京ラーメン発祥の店と呼ばれるのは、単に古いラーメン店だったからではありません。手頃な価格で提供する支那そばを中心に、中華料理を広く一般に普及させ、ほかの飲食店がラーメンを扱う流れにも影響を与えたと評価されているためです。
ただし、「日本で最初にラーメンを提供した店」という表現と、「日本のラーメンブームを広めた店」という評価は、厳密には同じではありません。新横浜ラーメン博物館は、当時の飲食店の業態やメニューの広がりなどを調査し、来々軒を日本初のラーメンブームの起点として位置づけています。来々軒の歴史的な功績は、この普及への影響という視点から理解すると分かりやすくなります。
なお、1910年という創業年は、ラーメン博物館の公式沿革や2026年の復活報道で採用されている年代です。一方、台東区立中央図書館のレファレンス事例では、古い資料から開業年を特定する際の難しさも示されています。歴史上の「発祥」を考える際は、広く定着した説明と、それを裏づける史料の範囲を区別して捉えることも大切です。
【歴代経営者と年表】貫一・新一・あさから高橋雄作へ続く来々軒の歴史
来々軒の歩みを理解するうえで欠かせないのが、創業者の尾崎貫一から長男の新一、妻のあさ、そして次世代へと続いた経営の変遷です。とりわけ1920年代は、相次ぐ家族の死去を経て店を守るための体制が組まれた時期でした。
| 年・時期 | 出来事 | 歴史上のポイント |
|---|---|---|
| 1910年(明治43年) | 尾崎貫一が浅草新畑町3番地で創業 | 東京ラーメンの歴史を代表する店の出発点 |
| 1922年(大正11年) | 貫一の死去後、長男の新一が経営を継承 | 二代目への世代交代 |
| 1927年(昭和2年) | 新一の死去後、妻のあさが経営を引き継ぐ | 堀田久助、高橋武雄の補佐を受けて家業を維持 |
| 1935年(昭和10年) | 長男の一郎が家業を継ぐ | 次世代への継承が進む |
| 1944年(昭和19年) | 戦争の影響で浅草の店舗を閉店 | 創業地での営業が途絶える |
| 戦後 | 八重洲などに場所を移して営業 | 再開年については資料に1945年と1954年の記載がある |
| 1976年(昭和51年) | 後継者がなく閉店 | 長く続いた営業の歴史がいったん終了 |
| 2020年10月14日 | 新横浜ラーメン博物館に復活 | 子孫の協力を得て歴史的な味の再現に取り組む |
| 2025年9月28日 | 新横浜ラーメン博物館での営業を終了 | 期間限定の復活プロジェクトが一区切り |
| 2026年7月2日 | 浅草3丁目に実店舗をオープン | 約80年ぶりに浅草で復活 |
1922年に貫一が亡くなると、長男の新一が経営を引き継ぎました。しかし1927年には新一も亡くなり、妻のあさが家業を担うことになります。このとき、長男の一郎は11歳でした。家業の維持と子育てを抱えるなか、あさは堀田久助と高橋武雄の補佐を受けながら店を運営したと伝えられています。
堀田久助と高橋武雄の存在は、来々軒の歴史を家族の継承だけで説明できないことを示しています。店を続けるには、経営を担う人だけでなく、実際の運営を支える協力者も必要でした。1935年には一郎が家業を継ぎ、来々軒は次の世代へと進みます。
1944年には戦争の影響で浅草の店を閉じました。その後、八重洲などへ場所を移して営業を続けたとされていますが、八重洲での再開年は資料によって記載が異なります。新横浜ラーメン博物館の沿革では1954年、別の資料では1945年とされているため、この時期の年次を扱う際には出典の違いに注意が必要です。
最終的に1976年、後継者がいなかったことから閉店。来々軒の屋号は長い歴史のなかで一度途絶えましたが、創業者の子孫とラーメン博物館の取り組みによって、再びその味と名前が知られるようになりました。
【来々軒復活の理由】2020年のラー博出店から2026年の浅草3丁目へ
来々軒の復活は、2026年に突然始まったわけではありません。大きな転機となったのは、2020年10月14日に新横浜ラーメン博物館で営業を開始した「淺草 來々軒」です。創業者・尾崎貫一の孫にあたる高橋邦夫氏と、玄孫の高橋雄作氏らが協力し、ラーメン博物館の調査をもとに往年の味の再現に取り組みました。
当初は3年限定の企画でしたが、好評を受けて営業期間が延長され、2025年9月28日に終了しました。新横浜での営業終了は、来々軒の歴史を伝える場所がなくなる可能性を意味していました。
2026年7月の浅草経済新聞の報道によると、高橋雄作氏は、博物館での営業終了を前に商品化やイベント出店などを模索したものの、活動を続けるなかで実店舗の必要性を感じるようになったと説明しています。また、祖父の邦夫氏も、いつか浅草に店を出したいという思いを持っていたといいます。
高橋氏が目指したのは、単に懐かしいラーメンを販売することだけではありません。浅草の歴史と日本のラーメン文化の両方に登場する来々軒の歩みを、ゆかりのある土地から伝え続けることでした。家族が受け継いできた記憶と、ラーメン博物館による調査研究が結びついたことが、再開の大きな背景にあります。
物件探しを経て、2025年末に候補となったのが、かつて地元で親しまれた中華料理店「太陽」の跡地でした。2026年2月に契約し、内装工事やレシピ開発を進めた後、7月2日に「淺草 來々軒」がオープンしました。開店初日には92歳の高橋邦夫氏も来店したと報じられています。
ここで押さえておきたいのは、2026年の店舗が浅草3丁目にある一方、歴史上の来々軒の所在地は浅草新畑町3番地、現在の浅草1丁目付近とされていることです。今回の復活は、創業地と同じ浅草の地域で屋号を再び掲げたという意味であり、旧店舗と同じ敷地での再開を指すわけではありません。
【2026年最新の営業情報】浅草來々軒と西浅草の来集軒を間違えないために
実際に店を訪れたい人にとっては、歴史だけでなく所在地や営業時間も重要です。2026年10月時点で掲載されている店舗情報をもとに、2店の違いを整理します。営業時間は変更される場合があるため、訪問当日の案内も確認してください。
淺草 來々軒(浅草来々軒)は、東京都台東区浅草3-42-4にあります。2026年7月2日にオープンした店舗で、つくばエクスプレス浅草駅から徒歩約5分と案内されています。食べログの店舗情報では、営業時間は11時〜15時、17時〜20時30分、電話番号は050-1794-1910と掲載されています。
ただし、営業時間については、開店直後の浅草経済新聞の記事で11時〜16時、17時〜20時と紹介されており、媒体によって表記に違いがあります。営業開始後に変更された可能性もあるため、掲載時間だけを頼りにせず、出発前に店舗の最新案内を確認するのが確実です。
一方、来集軒(らいしゅうけん)は、東京都台東区西浅草2-26-3にあります。食べログの店舗情報では、営業時間は12時〜18時、火曜日が定休日と掲載されています。売り切れによる早仕舞いもあるため、遅い時間に訪問する場合は注意が必要です。
来集軒は、昭和25年に開業したラーメン店として知られ、明治期から続く来集軒製麺所をルーツに持つと紹介されています。昔ながらの醤油ラーメンを味わいたい人に向く一方、2026年に復活した来々軒の歴史や、再構築された「百年醤油らうめん」を目的にするなら、浅草3丁目の店舗を選ぶ必要があります。
検索時には、次の3点を確認すると間違いを避けやすくなります。
- 店名の読み方:来集軒は「らいしゅうけん」、来々軒は「らいらいけん」。
- 住所:西浅草2-26-3なら来集軒、浅草3-42-4なら浅草來々軒。
- 訪問目的:昭和の町中華を味わいたいのか、東京ラーメン史の原点とされる来々軒の復活店を訪ねたいのかを整理する。
【醤油ラーメンの歴史】復活した来々軒の味は何を受け継いでいるのか
2026年の浅草來々軒で注目されるメニューが「百年醤油らうめん」です。浅草経済新聞の開店時の報道では880円で提供され、当時の文献や新横浜ラーメン博物館の調査をもとに、明治期の来々軒が持っていた味の方向性を再構築した一杯として紹介されました。
同店の公式案内では、スープに国産の豚、鶏、野菜を使い、昭和初期ごろから加えられたとされる煮干しも取り入れていると説明されています。麺には、明治期の小麦の系譜を受け継ぐ品種「さとのそら」を使用。創業時から使われていたとされるヤマサ醤油も、味を考えるうえで重要な要素です。
この取り組みで大切なのは、昔のレシピがそのまま途切れずに伝わり、完全に同一の味が復活したと理解しないことです。来々軒は1976年に閉店し、2020年以降の復活プロジェクトでは、残された資料や関係者の記憶、食材の研究などをもとに味の再現が進められてきました。現在の一杯は、歴史的な調査を踏まえた再構築として評価するのが適切です。
また、来々軒の価値はスープや麺だけにあるわけではありません。高級だった中華料理を庶民が手に取りやすい形で提供し、支那そばを広めたという商業的な工夫も、店の歴史を特徴づけています。開店時の報道で高橋雄作氏が1,000円未満の価格にこだわったと紹介されたことからも、当時の「手頃に食べられる中華料理」という考え方が、復活店のコンセプトに引き継がれていることが分かります。
ラーメンの歴史を味わうために訪れるなら、単に「昔の味かどうか」だけで判断するのではなく、食材の選び方、醤油味の組み立て、そして大衆食として広まった背景にも目を向けると、来々軒の一杯をより深く楽しめます。
【プロの結論】来集軒・来々軒を調べるときの判断基準
来集軒と来々軒の情報が混在しやすい背景には、似た屋号、同じ浅草エリア、そして東京ラーメンの歴史という共通の文脈があります。検索結果の見出しだけで判断すると、店舗情報や創業年、復活の経緯を取り違える可能性があります。
情報を見極める際には、まず店名の漢字と読み方を確認しましょう。「来集軒」は西浅草の老舗ラーメン店、「来々軒」は明治期に創業した歴史的な中華料理店と2026年の復活店を指します。続いて、住所と情報の公開時期を照合します。特に営業時間や価格は変更されるため、古い記事や口コミだけで現在の営業状況を判断するのは避けたいところです。
歴史については、「東京ラーメン発祥」という表現の意味を整理することが欠かせません。来々軒は、ラーメンを大衆に広めた代表的な店として高く評価されています。ただし、ラーメンそのものの起源と、近代的なラーメン店の普及を同一視する必要はありません。店の歴史を知るなら、創業年だけでなく、メニュー、価格、当時の飲食業界への影響まで確認することで、評価の根拠が見えてきます。
また、来々軒の歴代経営者をたどると、貫一、新一、あさ、一郎という家族の継承に加え、堀田久助や高橋武雄の支援が重要だったことが分かります。2026年の復活も、高橋雄作氏だけで実現したものではなく、先代から伝えられた記憶、親族の協力、ラーメン博物館の調査、現場で味を再構築する人々の仕事が重なって実現しました。
歴史ある店を訪ねるときは、何を目的にしているのかを明確にするのがおすすめです。昭和の雰囲気が残る町中華と、歴史資料をもとに再構築された明治期のラーメンでは、楽しみ方も異なります。店名、所在地、創業の経緯を正しく理解することが、浅草のラーメン文化を知る第一歩になります。
【来集軒】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:来集軒と来々軒は同じ店ですか?
A1:別の店です。来集軒は「らいしゅうけん」と読み、西浅草2-26-3にある老舗ラーメン店です。来々軒は「らいらいけん」と読み、1910年に浅草新畑町で創業した店を起源とし、2026年7月2日に浅草3丁目で復活しました。
Q2:来々軒は2026年現在、どこで営業していますか?
A2:浅草來々軒が東京都台東区浅草3-42-4で営業しています。食べログ掲載情報では、営業時間は11時〜15時、17時〜20時30分です。ただし、開店時の報道とは営業時間の表記に違いがあるため、訪問前に最新情報を確認してください。
Q3:来々軒はなぜ東京ラーメン発祥の店と呼ばれるのですか?
A3:1910年に浅草新畑町で創業し、支那そば、ワンタン、シウマイなどを大衆向けに提供して、中華料理とラーメンの普及に影響を与えたとされるためです。厳密には、ラーメンそのものの起源と、ラーメンブームを広めた店という評価を分けて理解することが大切です。
来集軒と来々軒は、名前こそ似ていますが、異なる歴史を持つ店です。来集軒は西浅草で昭和25年に開業した老舗ラーメン店で、明治期から続く製麺所とのつながりを持ちます。一方の来々軒は、1910年に浅草新畑町で創業し、東京ラーメンの発祥店、あるいは日本初のラーメンブームの起点として知られてきました。
来々軒は、貫一から新一、あさ、一郎へと経営が受け継がれ、戦争による浅草店の閉鎖、移転営業、1976年の閉店を経て、2020年に新横浜ラーメン博物館で復活。そして2026年7月2日、創業者の玄孫である高橋雄作氏らによって浅草3丁目に実店舗が開かれました。
今回の復活が伝えるのは、単に古いラーメンを再現することだけではありません。大衆が手頃な価格で中華料理を楽しめる店をつくり、その文化を広めた歴史を、現代の浅草から次の世代へ伝える取り組みです。来集軒を訪ねるのか、復活した来々軒を訪ねるのか。目的に合わせて店を選び、名前の違いと背景を知ったうえで一杯を味わえば、浅草のラーメン文化をより立体的に楽しめるはずです。