名古屋を中心に活躍し、「名古屋の午後の顔」として親しまれたラジオパーソナリティー、宮地佑紀生さん。東海ラジオの看板番組「宮地佑紀生の聞いてみや〜ち」で長年にわたり人気を集めた一方、2016年には生放送中の傷害事件で逮捕され、番組打ち切りと活動休止を経験しました。その後、CBCラジオでレギュラー番組に復帰し、イベントでは自ら事件への反省や仕事を失った苦悩を語っています。
2026年2月9日、所属事務所のサンデーフォークプロモーションは、宮地さんが同年1月10日に骨髄異形成症候群のため逝去したと発表しました。77歳でした。バンド「無有」での音楽活動から、ラジオ界での成功、事件、復帰、晩年の挑戦まで、本人の歩みを報道資料と所属事務所の発表をもとに振り返ります。
【宮地佑紀生の現在】2026年1月10日の逝去と死去の経緯

宮地佑紀生さんは、2026年1月10日に骨髄異形成症候群のため亡くなりました。訃報が公表されたのは2月9日で、所属事務所のサンデーフォークプロモーションが公式サイトを通じて発表しています。葬儀は近親者のみで執り行われたと報告されました。
テレビ朝日系のニュースや名古屋のメ〜テレ、日刊スポーツなども訃報を伝え、長年にわたって東海地方のラジオ・テレビで活躍した人物の死を報じました。事務所は、関係者やファンに対する感謝の言葉を添え、名古屋市内でのお別れの会についても告知しました。
死因として公表された骨髄異形成症候群は、血液細胞をつくる骨髄に異常が生じ、正常な血液細胞を十分につくれなくなる病気です。ただし、宮地さんについて、発症時期や具体的な治療経過、入院の状況など、病状の詳細は所属事務所の発表では明らかにされていません。
年齢については、1949年1月9日生まれで、2026年1月10日に亡くなったため、満年齢では77歳です。所属事務所の発表文では「享年78歳」と記載されましたが、各報道機関は77歳と伝えています。これは生まれた年を1歳と数える数え年と、誕生日を基準にする満年齢の違いによるものです。
2026年10月現在、宮地さんはすでに逝去しており、新たなラジオ出演や芸能活動を行っているわけではありません。現在を調べる読者にとって重要なのは、晩年まで活動への意欲を持ち続けていたことと、逝去に至った経緯を分けて理解することです。
【経歴とプロフィール】本名・バンド「無有」から名古屋の人気パーソナリティーへ
宮地佑紀生さんは1949年1月9日生まれ、愛知県名古屋市出身。本名は宮地由紀男で、かつては本名で活動していた時期もあります。CDJournalのアーティストプロフィールによると、愛知学院大学を卒業後、23歳でアクセサリーショップを創業し、25歳からタレント活動を始めました。
ラジオパーソナリティーとしては、東海ラジオの「ミッドナイト東海」や「どんどん土曜大放送」などを担当。名古屋弁を生かした語り口と、リスナーとの距離の近さを持ち味に、東海地方で知名度を高めていきました。
音楽活動も宮地さんの原点の一つです。1976年にはフォーク・ロックバンド「無有(むう)」を結成。当時は宮地由紀男名義で活動しており、シングル「愛がほしい」や、名古屋弁の歌詞が特徴的な「名古屋っ子」などを発表しました。CDJournalの無有のプロフィールでは、翌年にアルバムをリリースしたことも紹介されています。一方、商業的には大きな成功に至らず、バンドはその後活動を停止しました。
宮地さんの活動領域はラジオだけにとどまりません。メ〜テレの朝のワイド番組「どですか!」では、2002年からメインパーソナリティーを務め、東海地方の朝の顔としても知られました。ドラマ「中学生日記」「黄金鯱伝説グランスピアー」などへの出演歴もあり、テレビ・CM・俳優業と幅広く活動しています。
なかでも、ラーメンチェーンのスガキヤのCMは、宮地さんを語るうえで欠かせません。寿がきや食品は2001年から2014年まで宮地さんをテレビCMのイメージキャラクターとして起用していたと発表しています。「もっと食べてみや〜ち」というフレーズとともに、地元の暮らしに溶け込んだ存在でした。
こうした経歴から分かるのは、宮地さんが単にラジオ番組で人気を得た人物ではなかったということです。音楽、テレビ、広告を横断し、名古屋の人々が日常的に接するメディアの中で存在感を築いたローカルタレントでした。
【聞いてみや〜ち】東海ラジオで築いた「名古屋の午後の顔」
宮地佑紀生さんの代表作として最も広く知られるのが、東海ラジオの「宮地佑紀生の聞いてみや〜ち」です。1997年に始まった同番組は、平日午後の帯番組として長く放送され、宮地さんとアシスタントの神野三枝さんによる掛け合いが親しまれました。
名古屋を中心とした地域ラジオでは、全国ネットの番組とは異なり、地元の言葉、生活感のある話題、地域の店舗やイベントとのつながりが番組の魅力を左右します。宮地さんは、名古屋弁を交えたテンポのよいトークを通じて、リスナーにとって身近な存在となりました。
所属事務所も訃報の発表で、1997年に始まった「聞いてみや〜ち」を代表的な仕事として挙げ、宮地さんが「名古屋の午後の顔」として長年支持されたことを振り返っています。テレビ朝日系の訃報報道でも、同番組での活躍が大きく取り上げられました。
ただし、長寿番組としての実績と、番組内で起きた事件は別々に評価する必要があります。長年にわたる人気があったことは事実ですが、その人気が出演者間の暴力を正当化するわけではありません。2016年の事件によって番組が打ち切られたことは、宮地さんのキャリアにおける決定的な転換点となりました。
「聞いてみや〜ち」は、宮地さんの名声を支えた看板番組であると同時に、放送の現場における出演者の言動や安全管理を考えるうえでも記憶される番組となりました。
【事件の真相と謹慎理由】2016年の傷害事件から罰金確定まで
宮地さんのキャリアを大きく変えたのは、2016年6月27日に発生した傷害事件です。東海ラジオの「聞いてみや〜ち」の生放送中、共演していた女性タレントの神野三枝さんに対して暴行を加え、けがを負わせたとして、宮地さんは6月30日に傷害容疑で逮捕されました。
当時の日刊スポーツなどの報道によると、宮地さんは神野さんの左脚を複数回蹴り、放送用マイクを唇に当てるなどして、約10日間のけがを負わせたとされます。事件を受け、東海ラジオは番組の打ち切りを決定しました。約19年続いた人気番組は、突然の形で幕を閉じることになりました。
その後、2016年12月には傷害罪で略式起訴され、名古屋簡易裁判所から罰金30万円の略式命令を受けました。事件の刑事手続きについては、日刊スポーツやデイリースポーツなどが報じています。
事件の動機をめぐっては、当時、番組内での話題や会話が原因だったとする推測も流れました。しかし、当時の日刊スポーツは、神野さんの娘に関する冗談が原因だったというネット上の説について、警察が「確認できない」としていたことを伝えています。特定の会話だけを事件の確定的な原因とする説明は、報道された事実と区別する必要があります。
2017年9月、所属事務所のサンデーフォークプロモーションは、宮地さんと神野さんが同年9月29日に円満に解決したと発表し、関係者とリスナーに改めて謝罪しました。これは当事者間の解決に関する発表であり、先に受けた罰金の略式命令とは別の事柄です。
事件後、宮地さんは芸能活動を休止し、長期間にわたり表立った仕事から離れました。謹慎の理由は、共演者にけがを負わせた傷害事件と、それに伴う番組打ち切り、そして仕事上の信頼を失ったことにあります。単なる番組降板や局との契約上の問題ではなく、刑事事件に発展した不祥事でした。
| 時期 | 出来事 | 経緯・意味 |
|---|---|---|
| 1949年1月9日 | 誕生 | 名古屋市出身。のちにタレント、ミュージシャン、ラジオパーソナリティーとして活動。 |
| 1976年 | バンド「無有」を結成 | 「愛がほしい」「名古屋っ子」などを発表。 |
| 1997年 | 「聞いてみや〜ち」開始 | 東海ラジオの平日午後の看板番組として人気を集める。 |
| 2016年6月27日 | 生放送中の傷害事件 | 共演者の神野三枝さんにけがを負わせたとされる。 |
| 2016年6月30日 | 傷害容疑で逮捕 | 東海ラジオは「聞いてみや〜ち」の打ち切りを決定。 |
| 2016年12月 | 罰金30万円の略式命令 | 傷害罪で略式起訴され、名古屋簡易裁判所が略式命令を出す。 |
| 2017年9月29日 | 当事者間の解決 | 所属事務所が宮地さんと神野さんの円満解決を発表。 |
| 2017年12月3日 | イベントで公の場に復帰 | CBCラジオのイベントに出演し、謝罪と再出発への思いを語る。 |
| 2018年8月 | 東京のトークイベントに出演 | 事件への反省や、仕事がほぼなくなった当時の状況を語る。 |
| 2018年10月1日 | CBCラジオでレギュラー復帰 | 河原龍夫さんと「〜ともだちラジオ〜本音でゴメン!!」を担当。 |
| 2026年1月10日 | 逝去 | 骨髄異形成症候群のため死去。2月9日に所属事務所が公表。 |
この一連の経緯から読み取れるのは、長年の実績があっても、放送中の重大な問題行為によって仕事と信用を失い得るという現実です。事件後の復帰についても、刑事手続きの終了だけで社会的な評価が自動的に元に戻るわけではなく、謝罪や活動を通じて改めて信頼を築く必要がありました。
【復帰後の活動】CBCラジオ、河原龍夫との再出発、2018年の反省発言
宮地さんが事件後、初めて公の場に姿を見せたのは2017年12月3日です。名古屋市内で行われたCBCラジオのイベント「つボイノリオのお・も・て・な・し」にゲスト出演し、事件から約1年半ぶりに仕事復帰しました。
MANTANWEBの報道によると、宮地さんはイベントの冒頭で被害者や関係者、リスナーに謝罪。今後の予定は決まっていないとしながらも、再び自分の声をラジオで聞く機会があれば応援してほしいという趣旨の言葉を述べました。復帰はあくまで一度のイベント出演から始まり、すぐに以前の仕事へ戻ったわけではありません。
その後、2018年8月5日には東京都内のトークイベント「ラジオレジェンド・スタンダップコメディ コトバの力・ラジオの出番」に出演しました。オリコンの報道によると、宮地さんは「天然危険物」という自虐的な表現を使い、短気になってきたことや、ささいなことで問題を起こしたことに触れました。
この発言に対して共演者から反省が足りないのではないかという趣旨の指摘を受けると、宮地さんは「反省しております」と頭を下げました。また、仕事がほとんどなくなったことや、妻からかけられた言葉が胸に刺さったことも明かしています。
この場面は、事件を笑いに変えようとする語り口と、失った仕事への後悔が同時に表れた発言として報じられました。自虐的な表現が使われたからといって、事件が軽い出来事だったことにはなりません。一方、仕事がほぼゼロになったと本人が語ったことからは、活動休止が生活や職業上の立場に大きな影響を与えたこともうかがえます。
そして2018年10月1日、宮地さんはCBCラジオで初のレギュラー番組「〜ともだちラジオ〜本音でゴメン!!」をスタートさせました。パートナーは、名古屋を拠点に活動してきたミュージシャン兼ラジオパーソナリティーの河原龍夫さん。フリーアナウンサーの小倉理恵さんもアシスタントとして参加しました。
MANTANWEBやJタウンネットの番組開始報道によると、宮地さんと河原さんは古くからの友人でした。2人には、音楽やラジオの現場を通じて築いてきたつながりがあります。河原さんは「聞いてみや〜ち」の中で話題にされることもあり、宮地さんが河原さんの結婚式で司会を務めたという縁も伝えられています。
かつて出演していた東海ラジオではなく、競合局にあたるCBCラジオでレギュラー復帰した点も注目されました。CBCラジオの番組審議会資料にも「〜ともだちラジオ〜本音でゴメン!!」と出演者の名前が記録されています。2017年のイベント出演から2018年のレギュラー復帰へと進んだことは、宮地さんの再出発を象徴する出来事でした。
晩年にも新たな挑戦は続きました。所属事務所の訃報発表によると、宮地さんは72歳でYouTubeチャンネルを開設。長年のラジオ活動に加え、新しい媒体にも取り組んでいました。2026年の逝去によって活動は幕を閉じましたが、最後まで表現の場を求めていたことが、事務所の発表から伝わってきます。
【宮地佑紀生】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:宮地佑紀生さんは現在も活動していますか?
A1:いいえ。宮地さんは2026年1月10日に骨髄異形成症候群のため亡くなりました。所属事務所が同年2月9日に公表しており、現在は故人です。
Q2:宮地佑紀生さんの2016年の事件では何があったのですか?
A2:2016年6月27日、東海ラジオ「聞いてみや〜ち」の生放送中に、共演者の神野三枝さんにけがを負わせたとして、6月30日に傷害容疑で逮捕されました。傷害罪で略式起訴され、名古屋簡易裁判所から罰金30万円の略式命令を受けています。事件を受け、番組は打ち切られました。
Q3:宮地佑紀生さんは事件後、ラジオに復帰したのですか?
A3:はい。2017年12月にCBCラジオのイベントで公の場に復帰し、2018年10月には河原龍夫さんと「〜ともだちラジオ〜本音でゴメン!!」を担当しました。ただし、これはCBCラジオでの復帰であり、事件前の「聞いてみや〜ち」に復帰したわけではありません。
宮地佑紀生さんは、名古屋弁を生かしたトークで東海地方のラジオ・テレビ文化に深く関わり、「聞いてみや〜ち」を通じて長年にわたり親しまれた人物でした。バンド「無有」での音楽活動、スガキヤのCM、「どですか!」への出演など、その仕事はラジオだけに限られません。
一方、2016年の傷害事件は、長年築いてきたキャリアを大きく変えました。逮捕、番組打ち切り、罰金の略式命令、活動休止を経て、2017年のイベント出演と2018年のCBCラジオでのレギュラー復帰へと進みました。復帰後には、仕事を失った苦悩や反省についても公の場で語っています。
宮地さんの歩みを振り返る際には、地域メディアに残した実績と、事件によって生じた責任や影響の両方を見つめることが大切です。人気や実績は重大な問題行為を帳消しにするものではなく、復帰も過去の出来事をなかったことにするものではありません。その一方で、復帰後の活動や新たな挑戦もまた、本人のキャリアを構成する事実です。
2026年1月10日の逝去によって、宮地佑紀生さんの新たな活動を見ることはできなくなりました。それでも、「聞いてみや〜ち」をはじめとする番組や、名古屋の暮らしに浸透したCM、音楽活動の記録は残されています。名古屋のラジオ界を語るうえで、その功績と転機の双方を正確に伝えていくことが、宮地さんの足跡を振り返る意味につながります。