女優・羽田美智子さんの実家は、茨城県常総市(旧水海道市)にあった老舗商店「羽田甚(はだじん)」です。1865年(慶応元年)に宮大工だった先祖が掲げた屋号を受け継ぎ、150年にわたって地域で商売を続けてきました。
しかし、父親が五代目を務めた実家の商店は2015年に閉店。その後、羽田さんは2019年にオンラインショップ「羽田甚商店」を立ち上げ、六代目として先祖代々の屋号を継承しました。さらに2026年には、実家の建て替えや90歳の母親の介護、東京と茨城の二拠点生活についても本人のインタビューで新たな状況が明らかになっています。
実家の歴史をたどると、単なる老舗商店の物語ではなく、宮大工の先祖から続くものづくりの精神、家族の暮らし、そして羽田さん自身の新しい挑戦が見えてきます。
【実家は茨城県常総市】羽田美智子の出身地は旧水海道市

羽田美智子さんの出身地は、茨城県水海道市です。
現在の自治体名は常総市ですが、羽田さんが生まれ育った当時は水海道市という名称でした。
水海道市は2006年1月1日に石下町と合併し、現在の常総市になっています。そのため、プロフィールなどに「茨城県水海道市出身」と書かれている場合も、現在の地名に置き換えれば常総市出身ということになります。
常総市が発行した市勢要覧でも、羽田さんは「旧水海道市出身」と紹介されています。同市のふるさと大使として、地元への思いも語っています。
羽田美智子が思い出す水海道の風景常総市の市勢要覧に掲載された羽田さんのメッセージには、故郷の具体的な風景が登場します。
好きな場所として挙げているのは、一言主神社や水海道天満宮。豊水橋から眺める鬼怒川や筑波山の景色も、お気に入りの風景として紹介されています。
また、実家近くの店で売られていたあんぱんや焼きそばも、子どもの頃の思い出として挙げています。
夏の終わりに開催される常総きぬ川花火大会についても、夏休みが終わる寂しさと重ね合わせて懐かしんでいます。
こうしたエピソードからは、羽田さんにとって水海道が単なる出身地ではなく、幼少期の記憶と深く結び付いた故郷であることが伝わってきます。
なお、実家の詳しい番地や現在の住居の所在地は、一般向けに公開されている情報からは特定できません。
出典:常総市「常総市市勢要覧2016」、日本銀行広報誌「にちぎん」2025年冬号。
【羽田甚の歴史】宮大工の先祖・羽田甚蔵から始まった150年
羽田美智子さんの実家を語るうえで欠かせないのが、屋号「羽田甚」の歴史です。
羽田甚は、羽田家に代々伝わってきた屋号です。その始まりは江戸時代末期の1865年、慶応元年にまでさかのぼります。
高祖父・羽田甚蔵は宮大工だった羽田さんが日本銀行の広報誌「にちぎん」に寄稿したエッセーによると、屋号の由来は宮大工として活動していた高祖父・羽田甚蔵の名前です。
甚蔵は茨城県の水海道を拠点に、宮大工として仕事をしていました。
家業はその後、宮大工から商売へと形を変えましたが、羽田甚という名前は代々受け継がれていきました。
ここで注目したいのが、先祖の建築に関する実績です。
茨城県立歴史館の公式資料によると、羽田甚蔵は1881年(明治14年)に建築された旧水海道小学校本館の設計・建築を手掛けた宮大工の棟梁でした。
同校は当時の西洋建築の影響を受けた擬洋風建築で、現在は茨城県立歴史館の敷地内に移築・保存されています。
建物の指定名称は「水海道小学校玄関」。1958年3月12日に茨城県指定文化財となりました。
つまり、羽田家には単に長く商売を続けてきたというだけでなく、地域の建築文化にも関わってきた歴史があるのです。
父親は五代目・羽田甚蔵羽田さんの幼少期、実家は食品や日用品を扱う商店でした。
店舗と住居が一体になった日本家屋で、初代の甚蔵が建てた大黒柱の立派な建物だったといいます。
父親は五代目の羽田甚蔵を襲名。母親も店番を手伝い、家族で商店を支えていました。
羽田さんが幼い頃に暮らしていた家は、地域の子どもたちが駄菓子を買いに来る場所でもありました。
日本銀行の広報誌に掲載された本人のエッセーには、100円玉を握りしめた子どもたちが店を訪れ、土間の式台に並んだお菓子を選んでいた光景が描かれています。
母親から教わったのは、商売における利益の仕組みでした。
「作る人、運ぶ人、みんなで利益を分け合っているんだよ」
10円のチョコレートを売っても、店に残る利益は1円にも満たないという母親の説明を聞き、羽田さんは商売の厳しさを子どもながらに理解したそうです。
また、母親は親戚を含む家族9人分の食事を手作りし、店に集まる高校生たちにも親身に接していたといいます。
こうした家庭環境が、後に羽田さんが食や生産者を大切にする仕事を始める原点になったと考えられます。
出典:日本銀行「にちぎん」2025年冬号、羽田甚商店公式サイト、茨城県立歴史館公式資料。
【家族・先祖・屋号の関係】羽田美智子の実家の歴史と年表
ここまでの情報を整理すると、羽田家の家族関係と屋号の継承には、次のようなつながりがあります。
| 人物・時期 | 関係・出来事 | 内容 |
|---|---|---|
| 1865年 | 高祖父・羽田甚蔵 | 宮大工として活動し、羽田甚の屋号を掲げる |
| 1881年 | 羽田甚蔵 | 旧水海道小学校本館を設計・建築 |
| 幼少期 | 羽田美智子の母親 | 店番や家族の食事作りを担当 |
| 五代目 | 羽田美智子の父親 | 羽田甚蔵を襲名し、商店を経営 |
| 2015年 | 実家の商店 | 150年続いた商店が閉店 |
| 2019年 | 羽田美智子 | オンラインショップとして屋号を継承。六代目店主に |
| 2026年 | 羽田美智子と兄2人 | 高齢の母親を家族で支える |
※羽田甚蔵という名前は代々受け継がれたもので、初代の先祖と父親である五代目は別の人物です。
この関係を理解すると、羽田さんが六代目を名乗る意味も分かりやすくなります。
六代目という肩書きは、父親から実店舗の経営をそのまま引き継いだという意味ではありません。いったん閉じた家業の屋号を、新しい事業として再び掲げたことを表しています。
出典:羽田甚商店公式サイト、羽田美智子オフィシャルブログ、常総市市勢要覧、日本銀行広報誌。
【2015年閉店から2019年復活へ】羽田甚商店を継いだ理由
羽田甚は150年続いた老舗商店でしたが、2015年に閉店しました。
理由は、五代目の父親が高齢になったことと、後継者がいなかったことです。
兄たちも含めて家業を継ぐ人がいなかった羽田さんには2人の兄がいます。
2020年に公開されたPrecious.jpのインタビューでは、兄の一人が本来は家業を継ぐ予定だったものの、兄たちはそれぞれ教職や会社員の道へ進み、羽田さん自身も女優として活動していたため、結果的に誰も商店を継がなかったと説明しています。
その結果、父親の代で長く続いた商店を閉じることになりました。
しかし、150年も続いた屋号が自分たちの代で途絶えてしまうことに、羽田さんは寂しさを感じていたそうです。
2019年2月1日にオンラインショップをプレオープン転機になったのが、2019年の新しい事業への挑戦でした。
羽田さんは2019年2月1日、自身の公式ブログで「羽田甚商店」のプレオープンを発表しました。
そして同年4月には、セレクトオンラインショップとして事業を本格的に展開します。
取り扱う商品のテーマは「美」と「健康」。
全国の生産者や職人が手掛ける食品、雑貨、美容関連の商品などを、羽田さん自身が選んで紹介する仕組みです。
実家の商店をそのまま再開するのではなく、現代の消費者と生産者を結ぶオンラインショップに形を変えた点が特徴です。
なぜ実店舗ではなくオンラインだったのか2026年6月のテレビ朝日のインタビューで、羽田さんはオンラインショップを選んだことについても語っています。
当初は店舗を借りる案もあったものの、家賃や人件費を負担する必要があるため、オンライン形式にしてよかったと振り返っています。
この選択には、女優業と新しい商売を両立させるという現実的な判断もあったと考えられます。
羽田さんは自身の目で商品を確かめ、生産者の思いや製造背景を消費者に伝えることを大切にしています。
つまり、羽田甚商店は昔の商店の単純な復刻ではなく、先祖代々の屋号に現代的な役割を持たせた新しい事業なのです。
出典:羽田美智子オフィシャルブログ2019年2月1日、Precious.jp 2020年10月12日、テレビ朝日2026年6月5日。
【実家の建て替え】築50年の家を整理した羽田美智子の決断
羽田さんの実家について、2026年に注目された話題が建て替えです。
2026年3月20日公開の「婦人公論.jp」のインタビューでは、茨城県の実家を建て替えた際に経験した大規模な片づけについて明かしています。
商売をしていた家には大量の家財が残っていた羽田さんによると、実家の建て替えを考えるきっかけは、父親の入院でした。
退院後に自宅で過ごせるよう、父親の部屋に介護ベッドを置こうとしたところ、押し入れに大量の布団が保管されていることに気づいたそうです。
それを機に片づけを始め、その後、築50年ほどの実家を解体して建て替えることになりました。
家の中には、商売道具だけでなく、家族が長年保管してきた品々が大量に残されていました。
具体的には、次のようなものです。
- 商売に使用していた道具類
- 額に入った表彰状50枚以上
- 祖母が集めた着物や反物100枚以上
- 大量の布団や座布団
- 家族や親戚の写真
- 古い家具や掛け軸
家族が長年暮らし、商売を営んできた家だからこそ、簡単には処分できない品物も多かったのでしょう。
片づけには約半年かかった2026年7月14日に掲載されたCHANTO WEBのインタビューでは、羽田さんが実家の片づけに費やした時間について、さらに具体的に説明しています。
仕事から帰ってきては片づける日々が続き、作業はトータルで約半年。
本人によれば、ほとんど一人で整理したため、精神的にも体力的にも大変な作業だったそうです。
特に難しかったのが、母親の思い出の品でした。
祖母が残した着物や反物について、母親は「おばあちゃんの形見だから」と手放すことに抵抗していました。
最終的に着物約60枚を古着店に持ち込んだものの、買取額は2000円にも満たなかったといいます。
金銭的な価値と家族にとっての思い出の価値は、必ずしも一致しません。
羽田さんは片づけを通して、物を残すことだけが大切にすることではないと感じたようです。
建て替えは実家の歴史を消すことだったのかここは誤解しやすい部分です。
実家の建物は建て替えられましたが、羽田甚という屋号や家族の歴史までなくなったわけではありません。
そもそも羽田甚の歴史は、建物そのものよりも、代々受け継いできた屋号や商売への姿勢にあります。
羽田さんが2019年にオンラインショップを始めたことも、その精神を別の形で残す取り組みでした。
建物の保存と家族の記憶の継承は、同じものではないのです。
出典:婦人公論.jp 2026年3月20日、CHANTO WEB 2026年7月14日。
【2026年最新】母親の現在と東京・茨城の二拠点生活
2026年11月現在、羽田さんの実家に関するもう一つの大きな話題が、母親との暮らしです。
2026年11月1日付の読売新聞オンラインのインタビューによると、羽田さんは90歳の母親を支えるため、茨城県に生活の軸足を移しています。
父親が亡くなった後、母親の生活に変化羽田さんは2026年のインタビューで、父親が約4年前に亡くなったことを明かしています。
それまで母親は茨城の実家で一人暮らしをしていました。
しかし、父親の死後、母親の生活には少しずつ変化が現れたそうです。
料理をすることが面倒になったり、入浴後に体調を崩したりすることがあり、その後は腰の圧迫骨折による入院も経験しました。
羽田さんは東京の自宅と茨城の実家を行き来しながら母親を支えていましたが、次第に見守りが必要になり、実家で過ごす時間が増えていきました。
現在は母親の生活を支えながら仕事を継続2026年11月1日の読売新聞の報道では、羽田さんが母親の食事作りなど家事全般を担い、週2回ほどデイサービスも利用していることが紹介されています。
また、仕事の予定を母親の介護に合わせて調整し、女優業も続けています。
この生活について、羽田さんは次のような思いを語っています。
「誰かのために時間を使えるのは幸せなこと」
母親と一緒に過ごせる時間を大切にしながら、仕事も諦めたくないという姿勢がうかがえます。
羽田美智子には兄が2人いる!家族で介護を分担羽田さんは3人きょうだいの末っ子で、2人の兄がいます。
2026年7月のCHANTO WEBのインタビューでは、当初は自分が中心になって母親を支えようと考えていたものの、一人で抱えることには限界があったと話しています。
そこで兄たちに自分の状況を伝え、家族のグループLINEを作成。
仕事のスケジュールを共有し、必要に応じて兄たちに母親の見守りを頼む体制を整えました。
2026年11月1日の読売新聞のインタビューでも、兄たちとの協力関係が続いていることが報じられています。
母親の介護を一人で背負うのではなく、家族や介護サービスの力を借りながら生活を続けているのです。
2026年も女優・店主として活動羽田さんは家族を支える一方で、仕事も継続しています。
2025年9月にはYouTube番組「羽田美智子のChange of Life」を開始。更年期世代の悩みや健康、暮らしについて、自身の経験を交えて発信しています。
さらに2026年10月2日には、KADOKAWAからエッセー集『羽田美智子、素敵なおばさんやってます』を刊行しました。
女優としての活動に加え、羽田甚商店の店主、エッセー執筆、情報発信と、複数の仕事を続けています。
実家に戻る時間が増えた現在も、仕事と家族の生活を両立させている点は、2026年の羽田さんを理解する要点です。
出典:読売新聞オンライン2026年11月1日、CHANTO WEB2026年7月14日、レプロエンタテインメント2026年8月21日発表。
【プロの結論】羽田美智子の実家について知っておきたい3つの真実
羽田さんの実家について調べると、閉店や建て替え、六代目への継承など、さまざまな情報が出てきます。
ただし、これらは別々の出来事として整理する必要があります。
1. 羽田甚は2015年に閉店したが、屋号は2019年に継承された最も重要なのは、実家の商店と現在の羽田甚商店を混同しないことです。
2015年に閉店したのは、父親が営んでいた実家の商店です。
2019年に始まったのは、羽田さんが六代目として屋号を継承したオンラインのセレクトショップです。
昔の店舗がそのまま営業を再開したわけではありません。
2. 実家の建て替えと150年の歴史は別の問題羽田さんの実家は築約50年で建て替えられました。
しかし、羽田甚の歴史は1865年に掲げられた屋号と、代々受け継いできた商売の精神にあります。
建物が新しくなったからといって、先祖の歴史や家族の記憶が消えるわけではありません。
3. 実家は現在、母親との暮らしを支える場所でもある2026年11月時点で、羽田さんは90歳の母親を支えるため、茨城で過ごす時間を増やしています。
かつては家族で商売を営んでいた場所が、現在は母親との生活や家族のつながりを支える場所になっています。
この変化こそ、羽田さんの実家をめぐる話題の中で見落とせない部分です。
羽田甚商店の六代目という肩書きだけでなく、家族の歴史をどう受け継いでいくのかという視点で見ると、羽田さんの現在の活動がより深く理解できます。
【羽田美智子の実家】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:羽田美智子の実家はどこにありますか?
A1:茨城県常総市です。羽田さんの出身地は旧水海道市で、現在の常総市にあたります。実家は老舗商店「羽田甚」を営んでいた家です。詳しい住所は公表されていません。
Q2:羽田甚商店は現在も営業していますか?
A2:実家で営まれていた従来の商店は2015年に閉店しました。その後、羽田さんが2019年にオンラインショップ「羽田甚商店」を開設し、六代目として屋号を継承しています。
Q3:羽田美智子の先祖は宮大工だったのですか?
A3:はい。本人のエッセーによると、高祖父の羽田甚蔵は宮大工でした。茨城県立歴史館の資料にも、羽田甚蔵が1881年に旧水海道小学校本館を設計・建築したことが記録されています。
Q4:羽田美智子の実家は建て替えられたのですか?
A4:はい。本人が2026年のインタビューで、築約50年の実家を解体して建て替えたことを明かしています。家財の整理には約半年かかったそうです。
Q5:羽田美智子の母親は2026年現在どうしていますか?
A5:2026年11月1日の報道では、90歳の母親を支えるため、羽田さんは茨城で過ごす時間を増やしています。兄2人とも協力し、デイサービスなども利用しながら母親を支えています。
Q6:羽田美智子には兄弟がいますか?
A6:はい。兄が2人いる3人きょうだいの末っ子です。2026年のインタビューでは、母親の介護について兄たちと役割を分担していることも明らかになっています。
羽田美智子さんの実家は、茨城県常総市の旧水海道市にあった老舗商店「羽田甚」です。
1865年に宮大工の高祖父・羽田甚蔵が掲げた屋号は、父親が五代目として受け継ぎ、150年にわたって羽田家の歴史をつないできました。
2015年に実店舗は閉店しましたが、羽田さんは2019年にオンラインショップを立ち上げ、六代目として屋号を復活させました。
また、実家の建て替えを通じて家族の思い出や長年蓄積された家財と向き合い、2026年現在は90歳の母親を支えるために東京と茨城を行き来しています。
羽田甚の歴史を振り返ると、そこには宮大工の技術、地域に根差した商売、母親から教わった食と暮らしの知恵、そして家族のつながりがあります。
羽田美智子さんにとって実家とは、単に生まれ育った家ではなく、150年の歴史と家族の思いを次の世代へつなぐ大切な場所なのです。