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小豆長光は上杉謙信の愛刀だったのか?伝来・逸話・現在の所在を2026年徹底検証

星野 あかり 星野 あかり • 更新: • 公開: • 読了約 24 分
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「小豆長光(あずきながみつ)」は、戦国武将・上杉謙信の愛刀として語り継がれてきた備前長船派の名刀です。刃先に触れた小豆が真っ二つに割れたという驚異的な切れ味の逸話で知られ、竹俣三河守による発見、豊臣秀吉への伝来、さらには大坂落城後の行方不明説など、数々の伝承が残されています。

しかし、2026年現在、小豆長光そのものの所在は明らかになっていません。上杉景勝が自ら記した刀剣目録にはその名前が見当たらず、よく似た逸話を持つ竹俣兼光や赤小豆粥との混同も指摘されています。一方、昭和期の上杉家伝来刀剣の記録には、小豆長光と呼ばれた可能性のある長光の太刀も登場します。

【基本情報】小豆長光の読み方・刀工・備前長船派との関係

小豆長光
小豆長光は「あずきながみつ」と読む

小豆長光の読み方は「あずきながみつ」です。「小豆」は食材のアズキ、「長光」は刀工の名前に由来します。

刀剣の分類では太刀にあたり、備前国(現在の岡山県東南部)の長船派に属する刀工・長光の作と伝えられています。

長光は鎌倉時代中期から後期に活動した著名な刀工です。長船派の実質的な祖とされる光忠の子と伝えられ、同派の隆盛を支えた人物として日本刀の歴史に名を残しています。

長光の代表作として知られるのが、国宝に指定されている「大般若長光」です。東京国立博物館が所蔵する同作は、長光の技術と備前刀の華やかな作風を伝える名品です。

なお、長光という名前を持つ刀工はほかにもいるため、すべての長光銘の刀が同一人物の作品というわけではありません。小豆長光についても、実物の刀身を鑑定して作者を確定できる状況にはありません。

備前長船派とはどのような刀工集団なのか

備前長船派は、現在の岡山県瀬戸内市長船町周辺を拠点として発展した刀工集団です。備前国は古くから日本有数の刀剣生産地として知られ、鎌倉時代以降、多くの名工を輩出しました。

光忠から長光、景光、兼光へと続く刀工の系譜は、備前刀の歴史を理解するうえで重要です。

特に長光の作品は、丁子乱れを中心とした華やかな刃文や、地鉄に現れる乱映りなどが特徴です。現存作品も複数あり、国宝や重要文化財に指定された太刀も存在します。

ここで注意したいのは、小豆長光と大般若長光は、同じ長光の名を持つ別々の刀剣だということです。大般若長光は現存し、東京国立博物館で所蔵されていますが、小豆長光は所在不明です。

【謙信の愛刀だった?】小豆が真っ二つになった名前の由来と伝説

小豆長光の名前が生まれたとされる逸話

小豆長光の最も有名な伝説は、農民が持っていた刀に小豆が当たり、粒が二つに割れたという話です。

伝承によると、越後の農民が小豆の入った袋を背負って歩いていたところ、袋の破れ目から小豆がこぼれ落ちました。その一粒が、鞘の割れ目からわずかに露出していた刀身に触れ、見事に切断されたといいます。

これを目撃した上杉家の家臣・竹俣三河守が刀の切れ味に驚き、農民から買い上げたというのが一般的な物語です。

その後、刀は主君である上杉謙信に献上され、謙信の愛刀になったと伝えられています。小豆を切ったことから「小豆長光」という号が付いたという説明です。

ただし、この逸話には複数の伝承があり、刀の所有者や刀工、豆の種類まで一定していません。後世の刀剣書では、同じような話が竹俣兼光の由来としても紹介されています。

竹俣三河守はなぜ重要なのか

竹俣三河守は、小豆長光の伝来を語るうえで欠かせない人物です。

竹俣氏は上杉謙信に仕えた家臣で、刀剣伝承では農民の刀を見いだした人物として登場します。竹俣三河守が刀を買い上げ、後に謙信へ献上したという筋書きが、小豆長光の由緒として広く知られるようになりました。

ところが、竹俣三河守の名前と結び付く刀剣には、長光作だけでなく兼光作とされるものもあります。特に竹俣兼光は、上杉家の記録に名前が残る実在の伝来刀として重要です。

つまり、竹俣三河守という人物が登場するからといって、その逸話に出てくる刀が必ず小豆長光だったとは限りません。

小豆が本当に刀に当たっただけで切れるのか

この伝説には、刀剣の切れ味に関する疑問もあります。

日本刀は非常に鋭い刃を持っていますが、空中から落ちた小豆が刃先に当たるだけで、必ず真っ二つになるとは考えにくいものです。刀身の状態、豆の落下方向、衝突時の力など、さまざまな条件が関係します。

刀剣に関する伝承を紹介する資料には、江戸時代の刀剣研究者・窪田清音が実際に小豆を切る話を検証し、刀工の大慶直胤にも意見を求めたという記述があります。そこでは、豆が当たっただけで切断されるという説明に疑問が示されています。

加えて、アズキではなく「ナズキ」、つまり頭や脳天を意味する古語に由来するという説も紹介されています。「ナズキ割り」という切断の表現が、後世に「小豆割り」と解釈された可能性を考えるものです。

この説も定説ではありませんが、豆を切ったという逸話を文字どおりの出来事として受け取るだけでは、伝承の成立過程を十分に理解できないことを示しています。

【伝来を史料で検証】上杉家刀剣台帳・景勝の目録・豊臣秀吉との関係

上杉景勝の自筆目録に小豆長光は記載されていない

小豆長光の伝来を検討するうえで、特に重要なのが「上杉景勝自筆腰物目録」です。

この資料は、上杉謙信の後継者である上杉景勝が、自ら所蔵する刀剣を書き上げた目録です。米沢市上杉博物館・市立米沢図書館の収蔵文化財総合データベースにも登録されており、国宝に指定された上杉家文書の一つです。

博物館の解説によると、この目録には景勝が所蔵していた刀剣が記され、現存する二通を合わせると28口になります。

注目すべきは、長光作の刀剣が複数記載されているにもかかわらず、「小豆長光」という号が登場しないことです。

確認できる長光の刀には、高木長光、日光長光、高瀬長光、久世長光、新身長光などがあります。一方、兼光作として竹俣兼光と三日月兼光も記されています。

この目録だけで小豆長光の実在を否定することはできません。謙信の時代に別名で呼ばれていた、すでに譲渡されていた、あるいは目録作成時には上杉家の所蔵から外れていた可能性もあります。

ただし、謙信の愛刀として長く上杉家に伝来したという一般的な説明に対しては、重要な疑問を投げかける史料です。

上杉家刀剣台帳に記された長光の太刀

一方、上杉家に伝わった刀剣の記録には、小豆長光と結び付けられる可能性のある太刀も登場します。

刀剣専門店つるぎの屋が紹介している「上杉家刀剣台帳」乾第六号には、備前長光の太刀についての記載があります。

その内容は、銘が長光、両面に棒樋があり、刃長が二尺四寸四分というものです。由緒には謙信公の差料であり、御重代三十五腰の一口である旨が記されています。

ただし、この台帳の記載自体に「小豆長光」という号はありません。長光銘の太刀であることと、それが小豆長光そのものだったことは、別々に判断する必要があります。

小豆長光をめぐる史料・伝来の比較
時期・史料 確認できる内容 小豆長光との関係
戦国時代の伝承 竹俣三河守が農民の刀を見いだし、謙信に献上したとされる 小豆長光の代表的な伝来説
上杉景勝自筆腰物目録 28口の刀剣を記録。長光作や竹俣兼光も登場 小豆長光という号は記載されていない
天正14年(1586年) 豊臣秀吉が竹俣兼光を受け取ったことを示す上杉家文書がある 竹俣兼光の伝来として確認できる
昭和12年(1937年) 上杉憲章所持の長光銘の太刀が重要美術品に認定されたとされる 小豆長光の候補として注目される
昭和34年(1959年) 佐藤寒山による長光の鞘書が広島で記されたとされる 世に小豆長光と呼ばれた刀である旨の記述がある
昭和42年(1967年) 足利の長林寺に長尾家伝来とされる刀の写真が残された 別系統の小豆長光伝承として注目される
2026年現在 備前長船刀剣博物館をめぐる公表資料でも所在不明 確実な現物の特定には至っていない
豊臣秀吉に献上されたのは小豆長光なのか

小豆長光の伝来を調べると、豊臣秀吉に献上されたという話も登場します。

京都での研ぎや拵の製作をめぐって偽物騒動が起こり、竹俣三河守が本物を取り戻した後、秀吉に献上したという伝承です。さらに大坂落城の際に失われ、徳川方が黄金三百枚を懸けて探させたものの発見できなかったという筋書きが続きます。

しかし、ここで区別すべきなのが竹俣兼光の存在です。

上杉景勝自筆腰物目録には竹俣兼光が記載されています。そして天正14年(1586年)、秀吉が上杉景勝から竹俣兼光を受け取ったことを示す書状が上杉家文書に残っています。秀吉の受領を示す8月3日付の書状などが知られています。

竹俣兼光はその後、秀吉から秀頼に伝わり、大坂落城の際に行方不明になったとする記録があります。

この経緯は竹俣兼光についての史料的な裏付けを持っていますが、小豆長光が秀吉に献上されたことを直接証明するものではありません。

秀吉に渡った竹俣兼光の履歴と、小豆長光の伝承が後世に重なった可能性を考えることが、混同を避けるポイントです。

【名前が似ている刀を比較】小豆欠け長光・赤小豆粥・竹俣兼光の違い

小豆欠け長光は小豆長光と同じ刀なのか

「小豆欠け長光(あずきかけながみつ)」は、小豆長光と同一の刀ではないかと考えられている別の呼称です。

この名前を考えるうえで重要なのが、本阿弥光悦の押形です。

本阿弥光悦の押形には、長光の太刀について「あつきかけ」と読める注記があり、長さは三尺五寸八分、「うさみとのより」と記されています。

この「あつきかけ」を「あずきかけ」、すなわち赤小豆が欠けたことに由来する号と解釈する説があります。

また、小豆が完全に二つに割れたのではなく、刃に触れて一部が欠けたという意味だったのではないか、という説明もあります。

ただし、押形に書かれた文字の読み方や意味には解釈の余地があります。押形に長光の記載があるからといって、それが小豆長光と確定するわけではありません。

赤小豆粥は小豆長光と同じ刀ではない

赤小豆粥(あずきがゆ、あかあずきがゆ)も、上杉謙信の愛刀として伝わる名称です。

文字どおりに読めば、赤い小豆を入れて炊いた粥を意味します。しかし刀剣の伝承では、単なる食べ物の名称ではなく、謙信の佩刀につけられた号として登場します。

特に赤小豆粥は、武田信玄の弟・武田信繁を斬ったとされる刀との関係で語られます。

上杉方の軍記物である「上杉将士書上」などには、謙信が武田信繁を討ち取った際に使用した太刀について、備前長光、二尺五寸、赤銅作り、異名を赤小豆粥とする内容が記されています。

一方、別の伝承では相州行光作の三尺一寸の太刀とされ、作者や長さに違いがあります。

そのため、赤小豆粥を小豆長光と同一視することはできません。小豆という文字が共通していても、異なる刀剣の伝承が重なっている可能性があります。

竹俣兼光との違い

竹俣兼光は、備前長船派の刀工・兼光による太刀です。長光作とされる小豆長光とは、刀工の名前からして異なります。

竹俣兼光にも、農民が持っていた刀に豆が当たって割れたという逸話があります。加えて、雷にまつわる伝承や、偽物騒動、秀吉への献上といった話まで共通しています。

特に注目したいのは、江戸時代の刀剣伝承「常山紀談」に登場する豆の逸話です。そこでは竹俣兼光の話として紹介され、袋から落ちた豆について「大豆」と記す箇所があります。

一般に広まっている小豆長光の物語では小豆が登場しますが、伝承の中では豆の種類さえ一定していません。

こうした共通点が、複数の刀剣の逸話を一つの物語として結び付けた可能性を示しています。

それぞれの関係を整理すると、次のようになります。

  • 小豆長光:長光作と伝わり、謙信の愛刀とされる太刀。所在不明。
  • 小豆欠け長光:本阿弥光悦押形の「あつきかけ」と関連付けられる名称。小豆長光との同一性は未確定。
  • 赤小豆粥:謙信の別の愛刀伝承に登場する名称。行光作説と長光作説などがある。
  • 竹俣兼光:兼光作の太刀。謙信・景勝に関係し、1586年に秀吉へ渡ったことを示す記録がある。

【現在の所在はどこ?】小豆長光の現存可能性と昭和以降の行方

昭和12年に重要美術品となった長光の太刀

小豆長光の現存可能性を考えるうえで、重要な手掛かりとなるのが昭和12年(1937年)12月24日に重要美術品に認定された長光銘の太刀です。

刀剣専門店つるぎの屋が紹介する記録によると、この太刀は当時、伯爵上杉憲章が所持していたもので、打刀拵が付属していました。

上杉家刀剣台帳の乾第六号に該当するとされ、銘は長光、刃長は二尺四寸四分。謙信公の差料として伝来した刀であることが記されています。

さらに重要なのが、刀剣鑑定家・佐藤寒山による鞘書です。

昭和34年(1959年)の仲秋、広島城下で記された鞘書には、この太刀が不識庵謙信の佩刀の一つとして伝わり、世に小豆長光と呼ばれてきたこと、戦後に上杉家を出たことを示す内容があります。

この記述は、小豆長光と呼ばれた太刀が昭和期まで存在した可能性を考えるうえで重要です。

ただし、鞘書は刀の由緒を伝える記述であり、それだけで戦国時代の伝説に登場する小豆長光と同一だと確定できるわけではありません。

足利の長林寺に残された刀の写真

もう一つの手掛かりが、栃木県足利市の長林寺に残された長尾家伝来とされる刀の写真です。

2017年3月14日付の産経新聞の報道では、長林寺に小豆長光と呼ばれた刀の写真が残されていることが紹介されました。

報道によると、明治18年(1885年)10月5日、長尾家関係者が同寺に宝刀や鎧などを預けたとされています。当時の預かり証も残されているとのことです。

その後、長尾家関係者が刀を持ち帰りましたが、昭和42年(1967年)の夏に再び寺を訪れ、刀は先祖が売却したと説明して写真を残したと報じられています。

写真には刀身と鞘が写っているものの、不鮮明であり、報道に登場する刀剣研究者も写真だけでは鑑定できないとしています。

また、刀の反りから室町時代のものではないかという見解も紹介されています。長光は鎌倉時代の刀工ですから、写真の刀が小豆長光と同一かどうかは慎重に判断する必要があります。

2026年現在、小豆長光は現存しているのか

現在の所在について、重要な情報を提供しているのが備前長船刀剣博物館をめぐる質疑応答です。

日本美術刀剣保存協会岡山県支部の公開ページには、小豆長光の再現作を制作できないかという質問に対して、瀬戸内市側が回答した内容が掲載されています。

そこでは、小豆長光は長船派の長光による著名な刀であるものの、現在の所在は不明であり、本歌を見ることができないと説明されています。

加えて、これまでにも多くの人が所在を探してきたため、新たに瀬戸内市で発見することは非常に困難との見解が示されています。

この回答は、実物の確認や再現作の制作を考える際にも、具体的な刀身資料が必要になることを示しています。

では、小豆長光はすでに失われてしまったのでしょうか。

現段階では、完全に失われたとも、確実に現存しているとも断定できません。少なくとも、次の三つの可能性が残されています。

  • 個人所蔵で現存:上杉家を離れた後、別の所有者に伝わり、現在も個人が保管している可能性。
  • 別名で伝来:小豆長光という号が使われなくなり、別の刀剣名で保管されている可能性。
  • 所在不明・散逸:売却や相続などを経て、現在は所在を追跡できなくなっている可能性。

昭和期の鞘書と長林寺に残る写真は、いずれも興味深い手掛かりです。しかし、それぞれが同一の刀を指すのか、あるいは別々の伝承に属するのかは確定していません。

小豆長光が現存している可能性は残るものの、2026年現在、確実に小豆長光と認定できる公開所蔵品は確認されていないというのが実情です。

【刀剣乱舞との関係】小豆長光のキャラクター設定と声優・川原慶久

刀剣乱舞ONLINEの小豆長光とは

小豆長光は、人気ゲーム「刀剣乱舞ONLINE」にも刀剣男士として登場します。

ゲーム公式サイトのプロフィールによると、小豆長光は刀帳番号148番、刀種は太刀、刀派は長船です。身長は188cmと設定されています。

公式紹介では、備前長船派の刀工・長光作の太刀であり、上杉謙信の愛刀だったと伝わること、刃先に当たった小豆が二つに割れたという名前の由来が紹介されています。

キャラクターとしては、保育士のように面倒見がよく、スイーツ作りを好む人物として描かれています。刀剣としての鋭さと、穏やかで家庭的な性格の対比が特徴です。

声優は川原慶久さん

小豆長光の声を担当しているのは、声優の川原慶久さんです。

川原慶久さんはアクロスエンタテインメントに所属する声優で、ゲームやアニメなど幅広い作品に出演しています。同事務所の公式プロフィールにも「刀剣乱舞」の小豆長光役が掲載されています。

小豆長光のキャラクターでは、落ち着いた雰囲気や面倒見のよさ、スイーツ職人という個性的な設定が声の表現にも結び付いています。

ゲームの設定と実際の刀剣は区別する必要がある

刀剣乱舞の小豆長光は、歴史上の伝承や刀剣の特徴をもとに構成されたキャラクターです。

小豆を切った逸話や上杉謙信との関係など、史実と伝承の両方を取り入れています。一方、保育士のような性格やスイーツ作りといった要素は、ゲーム独自のキャラクター設定です。

また、ゲームに登場しているからといって、モデルとなった刀身の所在が確認されているわけではありません。

刀剣乱舞を通じて小豆長光に興味を持った人は、ゲームのプロフィールと、実際の刀剣史料をそれぞれの資料として楽しむと、作品と歴史の両方をより深く理解できます。

【プロの結論】小豆長光の真相を見極めるために押さえたいポイント

小豆長光の謎を整理すると、単純に「謙信の名刀が秀吉に渡り、大坂城で失われた」という一つの物語では説明しきれません。

複数の刀剣に似た名前や逸話が存在し、後世の軍記物や刀剣書によって伝承が重なってきたことが、現在の混乱を生んでいます。

特に重要なのは、次の三つの視点です。

第一に、謙信の愛刀という伝承と、景勝の自筆目録を分けて考えること。

小豆長光は謙信の愛刀として広く知られていますが、景勝の目録には同じ号がありません。上杉家に伝わった長光の太刀が存在したことと、それが小豆長光だったことは別の問題です。

第二に、竹俣兼光と小豆長光の混同を避けること。

豆が切れた逸話、竹俣三河守、秀吉への献上、偽物騒動などは竹俣兼光の伝承にも登場します。特に秀吉への受領記録は竹俣兼光に関するものとして確認できるため、両者を同一の刀として扱うのは適切ではありません。

第三に、昭和期の長光の記録を手掛かりとして残しておくこと。

1937年の重要美術品認定、1959年の佐藤寒山による鞘書、足利の長林寺に残された写真は、いずれも所在を追ううえで重要な材料です。ただし、これらの記録が一振りの刀に結び付くかどうかは、今後の資料発見や刀身の鑑定にかかっています。

今後、上杉家の刀剣に関する新資料、個人所蔵品の来歴、旧家に残された写真や台帳が発見されれば、小豆長光の実像に近づく可能性があります。

現在の段階で最も妥当な評価は、小豆長光は上杉謙信の愛刀として伝承されてきた名刀である一方、実物の同定と現在の所在は未解決というものです。

【小豆長光に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:小豆長光の読み方は「あずきながみつ」で正しいですか?
A1:はい。「あずきながみつ」と読みます。備前長船派の刀工・長光作と伝わる太刀で、上杉謙信の愛刀として知られています。

Q2:小豆長光は本当に上杉謙信が使っていた刀ですか?
A2:謙信の愛刀だったという伝承があります。ただし、上杉景勝自筆腰物目録には小豆長光という名前がなく、竹俣兼光など別の刀との混同も考えられています。確実な実物の同定には至っていません。

Q3:小豆長光は現在どこにありますか?
A3:2026年現在、確実な所在は判明していません。昭和期に小豆長光と呼ばれた長光の太刀に関する記録や、足利の長林寺に残された写真などが手掛かりとして知られていますが、現在の所蔵先は確認されていません。

Q4:小豆長光と竹俣兼光は同じ刀ですか?
A4:同一と断定できません。竹俣兼光は刀工・兼光の作であり、上杉家の目録にも記載されています。小豆長光は長光作と伝わる別の太刀です。豆を切った逸話や伝来の物語が共通しているため、混同が生じています。

Q5:赤小豆粥も小豆長光の別名ですか?
A5:必ずしもそうではありません。赤小豆粥は上杉謙信の別の愛刀伝承に登場する名称で、備前長光作説や相州行光作説があります。小豆長光との同一性は確定していません。

Q6:刀剣乱舞の小豆長光の声優は誰ですか?
A6:川原慶久さんです。ゲーム公式プロフィールでは刀帳番号148番、太刀、長船派、身長188cmと紹介されています。

小豆長光は、上杉謙信の愛刀として伝えられる備前長船派の長光作の太刀です。小豆が刃に触れて割れたという逸話は有名ですが、竹俣兼光や赤小豆粥にも似た伝承があり、刀剣の名前や由緒には複雑な重なりがあります。

上杉景勝の自筆目録に小豆長光の名前がないこと、竹俣兼光には秀吉への受領を示す記録があること、昭和期には小豆長光と呼ばれた長光の太刀に関する鞘書が残されていることは、特に要点です。

2026年現在、実物の所在は不明です。しかし、上杉家刀剣台帳や佐藤寒山の鞘書、長林寺に残る写真など、伝来をたどる手掛かりは存在します。

小豆長光をめぐる最大の謎は、単に刀がどこへ消えたのかという問題だけではありません。複数の刀剣に伝わった逸話が、いつ、どのように一つの名刀の物語へと集約されたのかという、日本刀文化と伝承の歴史そのものにあります。

新たな刀剣資料や旧家の記録が見つかれば、長年所在不明とされてきた小豆長光の正体が明らかになる日もある可能性があります。

主な参照資料:米沢市上杉博物館・市立米沢図書館収蔵文化財総合データベース、上杉家文書、刀剣専門店つるぎの屋による刀剣台帳資料、備前長船刀剣博物館に関する瀬戸内市の回答、日本美術刀剣保存協会岡山県支部、産経新聞(2017年3月14日)、刀剣乱舞ONLINE公式サイト、アクロスエンタテインメント公式プロフィール。

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星野 あかり

栄養情報は公的食品データベース、調理法はメーカー公式表記で裏取り。体験談は取材の了承を得た範囲でのみ引用します。

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