佐々木朗希の出身高校は、岩手県大船渡市にある岩手県立大船渡高校です。高校時代から規格外の剛速球を投げ、2019年4月にはU-18日本代表候補の合宿で163キロを計測。「令和の怪物」と呼ばれるきっかけをつくりました。
一方、高校最後の夏には、甲子園出場をかけた岩手県大会決勝で登板を回避。國保陽平監督の判断によって、エースで4番だった佐々木が一度も試合に出ないまま、大船渡高校は花巻東高校に2対12で敗れました。2026年現在はロサンゼルス・ドジャースでプレーする佐々木ですが、その原点には、記録的な球速だけでは語れない高校時代の経験があります。
【出身高校】佐々木朗希は岩手県立大船渡高校出身!地元を選んだ背景とは

佐々木朗希が通っていた高校は、岩手県立大船渡高校です。岩手県大船渡市にある県立高校で、佐々木が高校野球に打ち込んだ場所でもあります。
2001年11月3日生まれの佐々木は、岩手県陸前高田市の出身。東日本大震災の影響を受けた地域で育ち、地元とのつながりを大切にしてきました。
強豪私立ではなく大船渡高校を選んだ理由高校進学時には、将来のプロ入りを見据えた選択肢もあったはずです。しかし、佐々木が選んだのは地元の県立高校でした。
2019年の共同記者会見などを伝えた週刊ベースボールの報道によると、佐々木は中学時代から一緒に野球をしてきた仲間と甲子園を目指すことを大切にしていました。中学時代に地域選抜チーム「オール気仙」でプレーした仲間のうち、10人が大船渡高校に進学しています。
つまり、大船渡高校への進学は、単純に野球の強さやプロへの近道だけを基準にしたものではありませんでした。地元の仲間と同じ目標に向かうという選択が、高校時代の佐々木を語るうえで欠かせない背景になっています。
大船渡高校でエースとして注目を集める佐々木は高校1年生の段階から140キロ台後半のストレートを投げていました。学年が上がるにつれて球速と投球の完成度を高め、3年生になるころには全国のプロ球団が注目する存在になっていました。
190センチの長身から投げ下ろすストレートに加え、空振りを奪える変化球も持ち味でした。単に速い球を投げる投手ではなく、打者を圧倒できる投球能力を備えていたことが、プロから高く評価された理由です。
【高校時代の成績】最速163キロを記録した経緯と194球・129球の実態
佐々木朗希の高校時代を象徴する数字が、最速163キロです。ただし、この数字が計測されたのは公式戦ではありません。2019年4月に開催されたU-18日本代表候補の研修合宿での紅白戦でした。
高校1年から3年まで球速が急成長週刊ベースボールなどの当時の報道によると、佐々木の球速は高校1年夏に147キロ、高校2年春に154キロ、同年秋には157キロへと伸びていきました。
そして2019年4月6日、奈良県内で行われたU-18日本代表候補の合宿の紅白戦で163キロを計測します。中日球団のスピードガンに表示された数字で、当時の高校野球史上最速として大きく報じられました。
このときは2イニングを投げ、6人の打者から6三振を奪っています。日米のプロ球団関係者やスカウトが視察するなかでの記録だったこともあり、佐々木の評価は一気に高まりました。
なお、複数球団の計測器では161キロなど異なる数字も出ていました。163キロは公式戦で記録した球速ではなく、代表候補合宿の実戦形式の紅白戦で計測された数字です。
岩手県大会では公式戦高校最速タイの160キロ2019年7月の岩手県大会でも、佐々木は圧倒的な投球を見せます。
7月21日の盛岡四高校との4回戦では、延長12回を投げ抜いて21奪三振。8回には160キロを計測しました。この数字は、花巻東高校時代の大谷翔平が記録していた公式戦の高校最速に並ぶものでした。
加えて、7月24日の準決勝では一関工業高校を相手に129球を投げて完封。決勝進出を決めています。
高校時代の主要記録・経歴一覧佐々木の成長と2019年夏の岩手大会を整理すると、次のようになります。
| 時期 | 関係者・出来事 | 記録・内容 |
|---|---|---|
| 高校1年夏 | 大船渡高校・佐々木 | 最速147キロ |
| 高校2年春 | 大船渡高校・佐々木 | 最速154キロ |
| 高校2年秋 | 大船渡高校・佐々木 | 最速157キロ |
| 2019年4月6日 | U-18日本代表候補合宿 | 紅白戦で163キロを計測。2イニング6奪三振 |
| 2019年7月21日 | 岩手大会4回戦・盛岡四戦 | 延長12回194球、21奪三振、公式戦で160キロ |
| 2019年7月24日 | 岩手大会準決勝・一関工戦 | 129球完封で決勝進出 |
| 2019年7月25日 | 岩手大会決勝・花巻東戦 | 登板・打席ともに出場せず。大船渡は2対12で敗退 |
| 2019年8月 | U-18日本代表 | 第29回WBSC U-18ベースボールワールドカップに出場 |
| 2019年10月17日 | プロ野球ドラフト会議 | 4球団競合の末、千葉ロッテが1位指名 |
日刊スポーツやスポニチなどの当時の報道によると、2019年夏の岩手大会で佐々木は4試合に登板し、29イニング、9安打、2失点、7四球、51奪三振という成績を残しました。大会中の総投球数は435球でした。
注目すべきなのは、194球と129球という数字が連続する登板ではないことです。7月21日の4回戦で194球を投げた後、7月22日の準々決勝では登板せず、7月24日の準決勝で129球を投げています。つまり、準決勝は194球の登板から中2日で迎えた試合でした。
この投球数と登板間隔が、後に大きな議論を呼ぶ決勝での登板回避につながっていきます。
【登板回避の真相】2019年岩手大会決勝で國保陽平監督が下した判断
佐々木朗希の高校時代を振り返る際、最も大きな議論となったのが2019年7月25日の岩手県大会決勝です。
大船渡高校は、甲子園出場をかけて岩手の強豪・花巻東高校と対戦しました。勝てば35年ぶり2度目となる夏の甲子園出場が決まる大一番でした。
ところが、試合の先発メンバーに佐々木の名前はありませんでした。ベンチスタートとなり、試合終了まで登板することも、打者として出場することもありませんでした。
國保監督が説明した登板回避の理由試合後、当時の大船渡高校監督だった國保陽平監督は、佐々木を起用しなかった理由について説明しています。
「故障を防ぐためです」
日刊スポーツなどの報道によると、國保監督が判断材料として挙げたのは、投球数、登板間隔、当日の気温でした。
加えて、佐々木には筋肉の張りがあったものの、特に強い痛みがあったわけではないと説明されています。監督は決勝当日の朝の練習後、本人に起用しない方針を伝えていました。
國保監督は、投げられる状態だった可能性を認めながらも、故障の危険性を考慮して自ら判断したことを明らかにしました。
この判断の背景には、194球の完投と129球の完封という、直前の2試合における負担がありました。加えて、決勝という強い緊張感のある試合で、気温も高い状況でした。
佐々木本人は登板を望んでいたのか一方、佐々木自身には試合に出たいという気持ちがありました。
決勝後の取材では、投げたい気持ちがあったことを明かしています。甲子園まであと1勝という状況であり、エースとして最後の試合に出場したいと考えるのは自然なことです。
しかし、監督の判断を受け入れ、試合中はベンチからチームメートを応援しました。
佐々木は試合後、次のように話しています。
「監督の判断だからしょうがないです。この仲間だから乗り越えられたこともある。大船渡高校を選んでよかったです」
この言葉からは、甲子園出場を逃した悔しさだけでなく、地元の仲間と過ごした高校生活への思いも伝わってきます。
登板回避をめぐって賛否両論が起きた理由当時、この判断は野球界や一般のファンの間で大きな議論になりました。
監督の判断を支持する側は、将来のプロ野球選手として期待される佐々木の身体を守ることを優先すべきだと考えました。高校野球の大会日程や連投による負担も問題視されました。
一方、反対する側からは、甲子園出場がかかった決勝なのだから、エースとしての起用を検討すべきだったという意見が出ました。投手として登板しない場合でも、4番打者として出場できなかったのかという疑問もありました。
スポニチが報じた巨人・原辰徳監督のコメントでは、本人と監督、関係者が苦渋の決断をしたのだろうという理解が示されています。
この問題は単純な采配の良し悪しだけでは整理できません。高校野球の一度きりの大会で勝つことと、選手の将来を守ること。その2つの価値が正面からぶつかった出来事でした。
【甲子園に出場できなかった理由】大船渡高校と花巻東の決勝を振り返る
佐々木朗希が甲子園に出場できなかった直接の理由は、2019年夏の岩手県大会決勝で大船渡高校が花巻東高校に敗れたことです。
試合結果は花巻東12対2大船渡。大船渡高校は甲子園まであと1勝というところで敗退しました。
2019年7月25日、花巻東が12対2で勝利試合では大船渡高校の柴田貴広が先発し、その後は前川眞斗が登板しました。佐々木は最後までベンチから出ることなく、チームの敗戦を見届けています。
花巻東は強力な打線で得点を重ね、12対2で勝利。2年連続10回目となる夏の甲子園出場を決めました。
大船渡高校にとっては、1984年以来となる夏の甲子園出場を目指した戦いでしたが、決勝でその夢が途絶えました。
佐々木が出場していれば結果は変わったのか決勝後に多くの人が考えたのが、佐々木が投げていれば勝てたのではないか、という疑問です。
確かに、佐々木は大会屈指の投手であり、4番打者としてもチームの中心でした。投手として登板するだけでなく、打撃面でもチームに貢献できる選手でした。
しかし、野球は一人の選手だけで勝敗が決まる競技ではありません。仮に佐々木が登板していたとしても、花巻東の強力打線を抑えられたか、チームが得点できたかは別の問題です。
また、決勝までの投球数や身体への負担を考えれば、監督が慎重な判断をした背景にも理解できる部分があります。
大船渡高校が甲子園に進めなかったことは事実ですが、登板回避だけを敗因と断定するのは適切ではありません。試合全体の内容と、選手のコンディションを守るという判断は分けて考える必要があります。
【U-18日本代表からプロ入りへ】高校時代の評判とドラフトの経緯
甲子園出場を逃した佐々木ですが、高校時代の評価が下がることはありませんでした。むしろ、163キロの記録や岩手大会での圧倒的な投球によって、国内外のプロ球団から注目されていました。
甲子園に出ていなくてもU-18日本代表に選出佐々木は2019年8月、韓国で開催された第29回WBSC U-18ベースボールワールドカップの日本代表に選ばれています。
侍ジャパン公式サイトの出場選手名簿にも、大船渡高校の投手として佐々木朗希の名前が掲載されています。背番号は11でした。
この選出は、甲子園出場の有無だけで高校球児の実力が評価されるわけではないことを示しています。球速、投球内容、将来性などを総合的に判断するプロや代表関係者にとって、佐々木は世代を代表する投手でした。
2019年ドラフトで4球団が競合2019年10月17日に開催されたプロ野球ドラフト会議では、佐々木の1位指名をめぐって4球団が競合しました。
指名したのは、北海道日本ハムファイターズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、埼玉西武ライオンズ、千葉ロッテマリーンズです。
抽選の結果、交渉権を獲得したのは千葉ロッテマリーンズでした。高校最後の夏に甲子園出場を逃したものの、プロからの評価は非常に高かったことが分かります。
同年11月30日にはロッテとの契約が発表され、背番号17でプロ野球選手としてのキャリアをスタートさせました。
高校からプロ入りした佐々木は、その後、NPBで経験を積み、2025年にロサンゼルス・ドジャースへ移籍。高校時代に注目された剛速球投手は、世界最高峰の舞台へ進むことになりました。
【2026年最新】佐々木朗希の現在は?ドジャースでの成績と今後
2026年11月現在、佐々木朗希はロサンゼルス・ドジャースに所属しています。高校時代に163キロを記録した投手は、メジャーリーグで先発投手としての役割を担いながら、シーズン終盤には救援投手としても起用されました。
2026年レギュラーシーズンの成績MLB公式の選手プロフィールに掲載されている2026年レギュラーシーズンの成績は、次のとおりです。
- 登板:26試合
- 先発:23試合
- 勝敗:5勝5敗
- 防御率:4.49
- 投球回:122回1/3
- 奪三振:123
- WHIP:1.32
123奪三振を記録した一方、防御率4.49という数字からは、メジャーの打者に対して安定した投球を続ける難しさも見えてきます。
右手中指のマメによる離脱とリリーフ転向2026年8月下旬、佐々木は右手中指にできたマメの影響で負傷者リスト入りしました。その後、9月22日のパドレス戦で実戦復帰。1イニングを無失点に抑え、2奪三振を記録しました。
復帰後はポストシーズンを見据えた救援起用に変更されています。シーズン中は先発として23試合に登板していましたが、短期決戦ではチーム事情に合わせた役割を担いました。
2026年ポストシーズンの成績MLB公式の2026年ポストシーズン成績では、佐々木は3試合に登板し、3回1/3を投げて防御率2.70、2奪三振を記録しています。
10月15日(日本時間16日)のナ・リーグ優勝決定シリーズ第4戦では、ドジャースがブルワーズに敗れ、シリーズ敗退が決定。佐々木の2026年シーズンも終了しました。
試合後、佐々木は先発投手としてレギュラーシーズンを戦い、そのままポストシーズンでも先発を任されるような成績を残したいという目標を語っています。
高校時代から注目されてきた佐々木にとって、今後の課題は球速だけではありません。長いシーズンを通してコンディションを維持し、先発投手として安定した投球を続けられるかが重要になります。
【プロの結論】佐々木朗希の高校時代を正しく評価する3つの視点
佐々木朗希の高校時代は、163キロという記録と甲子園出場を逃した決勝戦の印象が強く残っています。しかし、その2つだけで高校野球生活を評価するのは十分ではありません。
1. 163キロと160キロは記録された場面が違うまず理解しておきたいのは、163キロはU-18日本代表候補合宿の紅白戦で計測された数字であり、160キロは岩手大会の公式戦で記録した数字だという点です。
両方とも佐々木の能力を示す重要な記録ですが、計測された環境が違います。数字だけを並べるのではなく、どの試合で、どのような条件で記録されたのかを確認することが大切です。
2. 甲子園に出場できなかったことは実力不足を意味しない佐々木は高校最後の夏に甲子園出場を逃しました。しかし、U-18日本代表に選ばれ、ドラフトでは4球団が1位指名で競合しています。
この事実からも、甲子園出場というチームの結果と、個人の選手としての評価は別物だと分かります。
高校野球ではチームの勝敗が重要ですが、プロのスカウトは投手の能力や将来性も見ています。佐々木の評価は、甲子園出場という結果だけに左右されませんでした。
3. 國保監督の登板回避は球数だけでは説明できない登板回避についても、単純に194球を投げたから休ませたという説明だけでは不十分です。
國保監督が挙げたのは、投球数、登板間隔、気温、身体の状態など複数の要素でした。高校野球の決勝という特別な舞台で、選手の将来と目の前の勝利をどう両立させるかという難しい判断だったのです。
当時の議論から得られる教訓は、選手の能力を最大限に発揮させることと、選手の身体を守ることは必ずしも同じ方向を向かないという点です。
佐々木の高校最後の夏は、勝敗だけでは測れない高校野球の難しさを浮き彫りにしました。
佐々木朗希の高校に関するよくある質問(FAQ)
Q1:佐々木朗希の出身高校はどこですか?
A1:岩手県立大船渡高校です。岩手県大船渡市にある県立高校で、地元の仲間と甲子園を目指してプレーしました。
Q2:佐々木朗希は高校時代に本当に163キロを出したのですか?
A2:はい。2019年4月6日に行われたU-18日本代表候補合宿の紅白戦で163キロを計測しました。ただし、これは公式戦ではありません。公式戦では同年7月の岩手大会で160キロを記録しています。
Q3:佐々木朗希が2019年の岩手大会決勝で投げなかった理由は何ですか?
A3:國保陽平監督が故障防止を優先したためです。直前の試合で194球、129球を投げており、投球数や登板間隔、気温、身体への負担などを総合的に考慮して起用を見送りました。
佐々木朗希の出身高校は岩手県立大船渡高校です。高校時代には球速を着実に伸ばし、2019年4月には163キロを計測。岩手県大会でも160キロと51奪三振を記録するなど、世代を代表する投手として注目されました。
しかし、2019年7月25日の花巻東との決勝では、國保陽平監督が故障防止を優先して登板と打者としての出場を見送り、大船渡高校は2対12で敗退。佐々木は甲子園出場を果たせませんでした。
それでも、U-18日本代表への選出、4球団競合のドラフト1位指名を経て、プロ野球選手として着実にキャリアを積み上げています。2026年にはドジャースでレギュラーシーズンとポストシーズンを経験し、さらなる成長を目指しています。
高校時代の佐々木朗希を評価するうえで大切なのは、163キロという数字だけでも、甲子園を逃した結果だけでもありません。地元の仲間と歩んだ3年間、将来を見据えた監督の判断、そして高校卒業後に世界へ挑戦した歩みまでを一つの物語として捉えることです。
大船渡高校で過ごした時間は、メジャーリーグでプレーする2026年の佐々木朗希につながる、野球人生の重要な原点となっています。
主な事実確認資料
- 侍ジャパン公式:2019年U-18日本代表選手名簿
- 日本野球機構(NPB):2019年ドラフト指名記録
- 千葉ロッテマリーンズ公式:2019年契約発表
- MLB公式:2026年レギュラーシーズン・ポストシーズン成績
- 日刊スポーツ、スポニチ、デイリースポーツ:2019年岩手大会の記録と國保監督の説明
- 中日スポーツ:2026年ポストシーズン終了後の本人コメント