「和の国」という表現を理解するには、まず「和」という漢字が持つ意味を整理する必要があります。
「和」には、調和や平和、穏やかさという意味のほか、日本や日本風のものを表す意味があります。「和食」「和服」「和文化」などが代表例です。そのため、「和の国」は文脈によって日本を表す表現として使われます。
一方、辞書に掲載されている「和国」は「わこく」と読み、日本そのもの、または古く中国から日本を呼んだ名称を意味します。つまり、「和の国」と「和国」は関連する意味を持つものの、表記や読み方まで同一ではありません。
「和の国」と「和泉国」は何が違うのか最も大きな違いは、言葉が指す対象です。
- 和の国: 日本を表現する一般的・文化的な言い回し。文脈によって意味が異なる。
- 和国(わこく): 日本を指す歴史的な呼称。
- 和泉国(いずみのくに): 奈良時代に成立した、特定の地域を管轄する歴史上の行政区分。
和泉国の「和」は、日本全体を指す意味で付けられたわけではありません。「泉」という地名に「和」の文字が加わった表記です。
したがって、「和の国」と「和泉国」を同じものとして扱うのは適切ではありません。前者は日本を表す言葉としての用法、後者は大阪府南西部に存在した具体的な旧国名です。
【読み方と名前の由来】和泉国の「和」はなぜ付いている?

和泉国(いずみのくに)
別称:泉州(せんしゅう)
所在地:現在の大阪府南西部
国府:現在の和泉市府中町付近
和泉国の一般的な読み方は「いずみのくに」です。
「和泉」は現代の地名としても「いずみ」と読みます。古い仮名遣いでは「いづみ」と表記されることもあり、辞書でも歴史的な読みとして示されています。
また、和泉国は「泉州(せんしゅう)」という略称でも知られています。旧国名に「州」を付けた呼び方で、現在でも泉州地域という地理的な表現に受け継がれています。
「和泉」という漢字の意味は?和泉市の公式説明によると、この地名の由来は、現在の和泉市府中町にある泉井上神社の境内に湧く「和泉清水」とされています。
古くから清らかな水が湧く土地だったことが、地名の背景にあります。神功皇后がこの地域を訪れた際、地中から清泉が湧き出したという伝承も残っています。ただし、これは地域に伝わる由緒であり、歴史的な出来事として確定した記録とは区別されます。
興味深いのは、もともとの地名が「泉」という一文字だったと考えられている点です。
和銅6年(713年)、元明天皇の時代に、国・郡・郷などの名称に美しく好ましい文字を使用するよう命じられました。地名を二文字の好字で表す慣習も広がり、その流れの中で「泉」に「和」を加えた「和泉」という表記が生まれたと考えられています。
このように、意味を補うために付け加えられた文字は「雅字(がじ)」と呼ばれます。和泉の「和」も、地名の表記を整えるために加えられた文字と理解すると、混同しにくくなります。
【令制国と畿内】和泉国は日本のどのような行政区分だった?
和泉国を理解するうえで欠かせないのが、「令制国」と「畿内」という二つの歴史用語です。
令制国とは何か令制国(りょうせいこく)とは、律令制度に基づいて設けられた古代日本の地方行政区分です。現在の都道府県に似た役割を担っていましたが、制度の内容や統治の仕組みは異なります。
律令国家では、中央政府が全国を国という単位に分け、それぞれの地域に国司を派遣して行政を行いました。国司が政務を執る役所は国府と呼ばれます。
現在の都道府県は、明治時代の廃藩置県やその後の再編を経て成立した制度です。令制国は、現在の行政区画と完全に一致するものではなく、歴史・地理・文化を理解するための旧地域区分として捉える必要があります。
畿内とは何か畿内(きない)とは、古代の都を中心とした政治・経済上の重要地域を指す行政区分です。
和泉国が成立した後、畿内は次の五つの国で構成されるようになりました。
- 山城国(やましろのくに)
- 大和国(やまとのくに)
- 河内国(かわちのくに)
- 摂津国(せっつのくに)
- 和泉国(いずみのくに)
これらをまとめて「五畿」と呼びます。
ただし、最初から五つの国がそろっていたわけではありません。和泉国が成立する以前は、山城・大和・河内・摂津を中心とする四畿内でした。757年に和泉国が独立したことで、五畿内という区分が成立しました。
つまり、和泉国の成立は単に一つの地方行政区画が誕生したというだけでなく、古代日本の畿内の構成そのものにも関わる出来事だったのです。
【関係性と比較表】和の国・和泉国・和泉監・畿内を整理
似た漢字や歴史用語が登場するため、それぞれの関係を整理しておくと理解しやすくなります。
特に覚えておきたいのは、和泉監は和泉国そのものではないという点です。和泉監は独立した国が成立する前に設けられた行政区画であり、後の和泉国の成立につながる重要な段階でした。
【和泉国の成立と歴史】716年から757年までの変遷
和泉国の成立をたどると、奈良時代の中央政府が地方行政をどのように組み替えていたのかが分かります。
716年:河内国から分離して和泉監を設置和泉国の地域は、もともと河内国の一部でした。
霊亀2年(716年)、河内国から和泉郡と日根郡が分けられ、さらに大鳥郡を加えた三郡によって和泉監が設置されました。
この行政区画は、珍努宮(ちぬのみや)の造営や維持に関係する特別な管理単位でした。通常の国とは異なる「監」という制度を利用していた点が特徴です。
740年:和泉監を廃止して河内国に再編天平12年(740年)には、和泉監が廃止され、再び河内国に編入されました。
この段階では、現在の和泉地域は独立した国として存続していません。行政上の所属が変更され、河内国の一部として扱われることになりました。
757年:和泉国として正式に独立大きな転換点となったのが天平宝字元年(757年)です。
『続日本紀』の記録では、同年5月8日に和泉国が改めて設置されたことが確認できます。これにより、和泉地域は河内国から独立した一つの令制国となりました。
和泉市の公式情報や歴史地名に関する辞典でも、この757年が和泉国成立の重要な年として扱われています。
和泉国の歴史を年表で確認
古代・大化改新以前
和泉地域は茅渟(ちぬ)と呼ばれた地域と関係し、広域の地方支配の中に組み込まれていた。
716年(霊亀2年)
大鳥・和泉・日根の三郡を管轄する和泉監を設置。
740年(天平12年)
和泉監を廃止し、河内国に再編。
757年(天平宝字元年)
和泉国として独立。五畿内の構成国となる。
平安時代
国府や郡の行政体制が整い、三郡を中心とする地域区分が定着。
明治時代以降
近代の府県制度への移行により、旧国名は行政区分としての役割を終え、地域を示す歴史的名称として残る。
なお、平安時代初期の825年には、摂津国の南側に位置する四郡を和泉国に移す構想がありました。しかし住民の反対などから実現せず、三郡を基本とする和泉国の区域が維持されました。こうした経緯からも、古代の国境は常に固定されていたわけではなく、政治的・社会的な事情によって変更が検討されていたことが分かります。
【位置と現在の面影】和泉国は現在の大阪府のどこにあった?
和泉国は、現在の大阪府南西部に位置していました。西側は大阪湾に面し、北側は摂津国、東側は河内国、南側は紀伊国と接していました。
現在の地理に置き換えると、堺市から泉北・泉南地域にかけての一帯を中心とするエリアです。大阪湾沿岸の平野部から南部の丘陵地帯までを含む地域でした。
和泉国を構成した三つの郡『延喜式』などの歴史資料に基づく和泉国の基本的な構成は、次の三郡です。
- 大鳥郡(おおとりぐん): 現在の堺市周辺を中心とする地域。
- 和泉郡(いずみぐん): 現在の和泉市周辺などを含む地域。
- 日根郡(ひねぐん): 現在の泉佐野市・泉南市周辺などにつながる地域。
鎌倉時代には和泉郡から南郡が分立し、四郡となりました。したがって、時代によって郡の構成には違いがあります。
和泉国の国府は現在の和泉市にあった和泉国の政治・行政の中心となった国府は、現在の和泉市府中町付近に置かれていました。
その歴史を伝える場所の一つが泉井上神社(いずみいのうえじんじゃ)です。
大阪府の公式観光・文化情報によると、同神社は757年に成立した和泉国の国府が置かれた府中の地にあります。境内には和泉の地名の由来とされる和泉清水があり、歴史的な地域の記憶を現在に伝えています。
また、境内にある和泉五社総社の本殿は重要文化財です。慶長10年(1605年)には豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建したと伝えられています。
旧国名を単なる歴史用語として覚えるだけでなく、現在の地名や神社、文化財と結び付けると、和泉国が実際に存在した地域として理解しやすくなります。
【プロの結論】和の国と和泉国を混同しないための判断基準
ここまでの内容から、名称を正しく理解するための判断基準は三つに整理できます。
1.日本全体を指すのか、特定の地域を指すのか日本全体を文化的・歴史的な文脈で表現している場合は「和の国」や「和国」という言葉が使われます。
一方、地名や古代の行政制度、旧国名の話であれば「和泉国」を指している可能性があります。
2.「和泉」の読み方と意味を分けて考える和泉国は「いずみのくに」と読みます。「和泉」という文字をそのまま「わいずみ」や「わのいずみ」と読むわけではありません。
また、「和」は調和を意味する言葉として使われる場合もありますが、和泉という地名では、泉という名称に付加された雅字としての性格が重要です。
3.年代を確認して行政区分を判断する和泉国の成立を理解する際には、716年・740年・757年の三つの年を押さえてください。
716年は和泉監の設置、740年は河内国への再編、757年は和泉国の独立です。この三段階を区別すれば、和泉監と和泉国を取り違えることもありません。
歴史を学ぶ人にとっては、旧国名と現在の地名を対応させながら調べる方法がおすすめです。旅行や地域文化に関心がある人なら、泉井上神社や和泉清水など、実際に残る史跡を手がかりにすることで理解が深まります。
反対に、漢字の印象だけで「和の国」と「和泉国」を同じ意味だと判断するのは避けたいところです。言葉の成り立ちと使用された時代を確認することが、古代日本の地名を正確に読み解く基本になります。
【和の国と和泉国】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:和の国とは日本のことですか?
A1:文脈によっては日本を表す表現として使われます。「和」には日本や日本風という意味があり、「和の国」は日本を文化的に表現する言い回しです。また、辞書に掲載される「和国」は「わこく」と読み、日本または古く中国から日本を呼んだ名称を意味します。
Q2:和泉国の読み方は「いずみのくに」ですか?
A2:はい。「いずみのくに」と読みます。歴史的な仮名遣いでは「いづみ」と表記されることもあります。また、和泉国は「泉州(せんしゅう)」という別称でも知られています。
Q3:和泉国は現在の何県にあたりますか?
A3:現在の大阪府南西部にあたります。堺市や和泉市、泉州地域などを中心とするエリアです。ただし、古代の国境と現在の市町村境界は完全には一致しません。
Q4:和泉国はいつ成立しましたか?
A4:757年(天平宝字元年)です。716年に和泉監として設置された後、740年に河内国へ再編され、757年に改めて独立した国として成立しました。
Q5:和泉国はなぜ畿内に含まれるのですか?
A5:和泉国は、都を中心とした古代の重要地域である畿内を構成する国の一つだったためです。757年の独立によって、山城・大和・河内・摂津とともに五畿内を構成するようになりました。
Q6:「和泉」の「和」は調和や平和という意味ですか?
A6:地名の由来としては、単純に調和や平和を意味するわけではありません。もとの「泉」という地名に、713年の地名表記に関する政策の流れを受けて「和」という雅字が加えられたと考えられています。
「和の国」と「和泉国」は、漢字の「和」が共通していても、指している対象が異なります。
「和の国」は日本を表す文化的な表現として使われる一方、和泉国は奈良時代に成立した正式な旧国名です。読み方は「いずみのくに」、現在の大阪府南西部に位置し、畿内を構成した五つの国の一つでした。
和泉国の成立を理解するうえで重要なのは、716年の和泉監設置、740年の河内国への再編、757年の独立という歴史です。また、「和泉」という地名には、泉井上神社の和泉清水に伝わる由来や、713年の好字使用に関する政策が関係しています。
2026年現在も、和泉市の地名や泉井上神社などに古代の歴史をたどる手がかりが残っています。旧国名を調べる際には、読み方だけでなく、成立した年代、当時の行政区分、現在の地理との関係を合わせて確認することが大切です。
「和の国」は日本を表す言葉、「和泉国」は大阪南西部に存在した歴史上の国。この違いを押さえておけば、古代日本の国名や地方行政区分を、より正確に理解できます。