ジョワドヴィーヴルは、父ディープインパクト、母ビワハイジという日本競馬を代表する名血統から誕生した牝馬です。半姉にはGⅠ6勝を挙げたブエナビスタがおり、2011年12月11日の阪神ジュベナイルフィリーズでは、デビューからわずか2戦目でGⅠ制覇を達成。JRA賞最優秀2歳牝馬にも選出されました。
しかし、クラシック戦線では骨折による長期休養を経験し、復帰後に再び輝きを取り戻しかけた2013年5月29日、調教中に左下腿骨開放骨折を発症。4歳という若さで予後不良となり、安楽死の処置が取られました。JRAの公式競走馬情報と当時の報道をたどると、7戦2勝という数字だけでは伝わらない、期待と復活への道のりが浮かび上がります。
【血統】ジョワドヴィーヴルはディープインパクト産駒!母ビワハイジと半姉ブエナビスタの関係

ジョワドヴィーヴルを語るうえで欠かせないのが、その華麗な血統です。単に有名な種牡馬の産駒というだけではありません。父と母の双方が日本競馬の歴史に名を残し、さらに半姉もトップホースとして活躍していました。
父ディープインパクトは日本競馬を代表する三冠馬父はディープインパクト。2005年に皐月賞、日本ダービー、菊花賞を制して無敗のクラシック三冠を達成した名馬です。種牡馬としても数多くのGⅠ馬を送り出し、日本競馬の血統史に大きな足跡を残しました。
ジョワドヴィーヴルは、そんなディープインパクトの産駒として2009年5月13日に誕生しました。毛色は鹿毛。生産牧場は北海道安平町のノーザンファームで、栗東の松田博資厩舎に所属していました。
母ビワハイジも阪神ジュベナイルフィリーズの勝ち馬母はビワハイジ。1995年の阪神3歳牝馬ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズ)を制したGⅠ馬です。
ビワハイジは競走馬としてだけでなく、繁殖牝馬としても優れた実績を残しました。代表産駒には、ブエナビスタ、アドマイヤオーラ、アドマイヤジャパン、トーセンレーヴなどがいます。
父はCaerleon、母の母はアグサンという血統で、ジョワドヴィーヴルは母方からも欧州の良質な血を受け継いでいました。
半姉ブエナビスタとの比較特に注目されたのが、半姉ブエナビスタの存在です。2頭は同じ母ビワハイジから生まれていますが、父が異なります。ブエナビスタの父はスペシャルウィーク、ジョワドヴィーヴルの父はディープインパクトです。
ブエナビスタはGⅠ6勝を挙げ、2009年のオークスや2010年の天皇賞(秋)、2011年のジャパンカップなどで活躍しました。妹のジョワドヴィーヴルにも、姉に続く大舞台での活躍が期待されていたのです。
JRAの2011年阪神ジュベナイルフィリーズ公式回顧でも、母ビワハイジと姉ブエナビスタの実績が紹介されています。母娘による同一GⅠ制覇に加え、姉妹による同一レース制覇という血統的な背景も、ジョワドヴィーヴルの勝利を特別なものにしました。
【2011年】阪神ジュベナイルフィリーズ制覇!デビュー2戦目で2歳女王に
ジョワドヴィーヴルが競馬ファンに強烈な印象を残したのは、2011年12月11日の阪神ジュベナイルフィリーズです。
新馬戦からわずか29日後のGⅠ挑戦デビュー戦は2011年11月12日、京都競馬場の芝1600メートル。福永祐一騎手を背に出走し、1番人気の支持に応えて初勝利を挙げました。
そこから約1か月後、2戦目として阪神ジュベナイルフィリーズに挑戦します。相手にはサウンドオブハート、アイムユアーズ、イチオクノホシなどの有力馬がそろっていました。
ジョワドヴィーヴルは4番人気。キャリアの浅さから絶対的な本命とは見られていませんでしたが、直線で鋭い末脚を繰り出し、先行勢をまとめて差し切りました。
勝ちタイムは1分34秒9。2着アイムユアーズに2馬身半差をつける快勝でした。上がり3ハロンは34秒1。デビュー戦に続く2連勝で、初めての重賞挑戦をGⅠ制覇で飾ったのです。
JRA賞最優秀2歳牝馬を受賞「能力があるのはわかっていたが、これほどとは……」
出典:JRA「第63回阪神ジュベナイルフィリーズ」公式回顧に掲載された福永祐一騎手のコメント
この勝利によって、ジョワドヴィーヴルは2011年度のJRA賞最優秀2歳牝馬に選出されました。
JRAの年度別表彰記録によると、同馬の2011年度の成績は2戦2勝。デビューから無敗で2歳女王に上り詰めたことが評価されました。
加えて、母ビワハイジも1995年に同レースを制しているため、母娘での阪神ジュベナイルフィリーズ制覇も達成。半姉ブエナビスタも同じ2歳女王の座に就いており、血統に刻まれた実績を妹が引き継ぐ形となりました。
【全7戦の競走成績】ジョワドヴィーヴルの勝利数と福永祐一の騎乗記録
ジョワドヴィーヴルのJRA通算成績は、7戦2勝、2着0回、3着1回、4着以下4回です。
JRAの競走馬情報に記載された全出走記録を整理すると、2歳時の圧倒的な活躍、3歳時の骨折、そして4歳時の復帰という3つの時期に分けられます。
ジョワドヴィーヴルの全7戦一覧| 年月日 | レース名・距離 | 着順 | 騎手 |
|---|---|---|---|
| 2011年11月12日 | 2歳新馬・芝1600m(京都) | 1着 | 福永祐一 |
| 2011年12月11日 | 阪神ジュベナイルフィリーズ・芝1600m(阪神) | 1着 | 福永祐一 |
| 2012年3月3日 | チューリップ賞・芝1600m(阪神) | 3着 | 福永祐一 |
| 2012年4月8日 | 桜花賞・芝1600m(阪神) | 6着 | 福永祐一 |
| 2013年2月10日 | 京都記念・芝2200m(京都) | 7着 | 福永祐一 |
| 2013年3月9日 | 中日新聞杯・芝2000m(中京) | 6着 | 戸崎圭太 |
| 2013年5月12日 | ヴィクトリアマイル・芝1600m(東京) | 4着 | 川田将雅 |
出典:JRA競走馬情報の出走レース記録。通算成績は7戦2勝、総賞金は9,594万8,000円です。
福永祐一騎手とのコンビは5戦ジョワドヴィーヴルのデビューから、阪神ジュベナイルフィリーズ、チューリップ賞、桜花賞、復帰初戦の京都記念まで騎乗したのが福永祐一騎手です。
福永騎手とのコンビは通算5戦で、成績は2勝、3着1回、4着以下2回。最初の2戦で連勝し、そのままGⅠタイトルを獲得したことからも、2歳時の快進撃を支えた重要な存在でした。
一方、2013年の中日新聞杯では戸崎圭太騎手、最後の出走となったヴィクトリアマイルでは川田将雅騎手が騎乗しています。
7戦2勝という数字だけでは測れない実績通算2勝という数字だけを見ると、GⅠ馬としては出走数も勝利数も少なく感じる可能性があります。しかし、2勝のうち1勝は2歳牝馬の頂点を決めるGⅠです。
加えて、2011年の阪神ジュベナイルフィリーズでは4番人気から2馬身半差で勝利。2013年のヴィクトリアマイルでも4着に入り、GⅠの舞台で再び上位争いを演じています。
JRA記録では勝率28.6%、3着内率42.9%。短い競走生活のなかでも、重賞級の能力を示したレースが複数あったことは見逃せません。
【桜花賞後の故障】2012年の骨折から約10か月の休養、2013年の復帰
2歳女王としてクラシック戦線に進んだジョワドヴィーヴルでしたが、3歳時には故障に見舞われます。
桜花賞は1番人気で6着2012年3月3日のチューリップ賞では3着。続く4月8日の桜花賞では、1番人気に支持されました。
しかし、レースでは直線で伸び切れず6着。勝ったのは後に牝馬三冠を達成するジェンティルドンナでした。
さらにレース後、右第1趾骨近位骨の骨折が判明します。2012年4月13日付のラジオNIKKEIの報道では、JRA発表に基づき、全治には6か月以上の休養が必要と伝えられました。
この故障によって春のクラシック戦線から離脱。北海道での手術や療養を経て、長い休養に入ることになりました。
2013年2月の京都記念で復帰約10か月の休養を経て、ジョワドヴィーヴルは2013年2月10日の京都記念で競馬場に戻ってきます。
距離は芝2200メートル。久々の実戦は7着でしたが、競走生活を再開できたこと自体が大きな一歩でした。
続く3月9日の中日新聞杯では6着。そして5月12日のヴィクトリアマイルでは、東京競馬場の芝1600メートルで4着に入ります。
勝ったのはヴィルシーナ。ジョワドヴィーヴルの走破タイムは1分32秒6で、GⅠの舞台で上位争いに加わる走りを見せました。
この4着は、単なる着順以上の意味を持っていました。前年の骨折から復帰し、少しずつ実戦を重ねてきた馬が、再びGⅠで力を示したからです。
次走には6月1日の鳴尾記念が予定されていました。完全復活への期待が高まり始めた時期でもありました。
【2013年5月29日の最期】調教中の故障と予後不良の理由を解説
ジョワドヴィーヴルの競走生活は、2013年5月29日に突然終わりを迎えます。
栗東トレーニングセンターで発生した事故2013年5月29日朝、ジョワドヴィーヴルは鳴尾記念への出走に向けて、栗東トレーニングセンターのウッドチップコースで追い切りを行っていました。
ラジオNIKKEIがJRA発表に基づいて同日報じた内容によると、調教中に左下腿骨開放骨折を発症し、予後不良となりました。
当時の競馬報道では、午前6時ごろ、4コーナー付近で追い切りを中止したとされています。騎乗者が異変を感じて下馬したものの、左後脚は脚を着けないほどの状態で、下腿骨の粉砕骨折が確認されました。
なぜ予後不良と判断されたのか今回の故障で重要なのが、「左下腿骨開放骨折」という診断です。
開放骨折とは、骨折した部分が皮膚を破り、外部に通じた状態になる重度の骨折です。粉砕骨折を伴う場合は骨そのものの損傷も大きく、歩行や体重を支える機能を回復させることが極めて困難になることがあります。
競走馬は人間と異なり、体重を支える四肢の機能が生命維持にも深く関係しています。重度の脚部損傷では、患肢を十分に使えないことによる身体への負担や、回復の見込みなども考慮しなければなりません。
ジョワドヴィーヴルの場合、左下腿骨の開放骨折という深刻な損傷を負い、予後不良と判断されました。その後、安楽死の処置が取られています。
ここでいう「予後不良」は、単に競走能力を失ったという意味ではありません。治療による回復が見込めず、生命を維持することも難しいと判断された状態を指します。
故障の原因は特定されているのか事故の原因については、慎重に区別する必要があります。
当日の報道では、前日からの雨によってウッドチップコースの馬場状態が悪かったことが伝えられています。一方、取材報道では、特別に異常な悪条件が確認されていたわけではなく、調教前の歩様にも目立った異常はなかったとされています。
そのため、雨や馬場状態が直接の原因だったと断定することはできません。JRA発表で確認できるのは、調教中に左下腿骨開放骨折を発症したという事実です。具体的にどのような力が加わり、なぜ骨折に至ったのかという事故原因の詳細までは公表されていません。
2012年にも右後脚を骨折していたため、以前の故障との関連を気にする人もいます。しかし、2013年の左脚の骨折が前年の右脚の故障によって引き起こされたとする公式な説明はありません。左右の異なる部位の故障を、医学的な因果関係が確認されたものとして扱うことはできません。
松田博資調教師も復活への期待を寄せていた当時のデイリースポーツなどの競馬報道では、管理していた松田博資調教師が、回復してこれからの活躍を楽しみにしていたところだったという趣旨のコメントを残しています。
直前のヴィクトリアマイルで4着に入り、鳴尾記念への出走も予定されていた状況でした。陣営にとっても、復帰後の成長を見守っていた矢先の出来事だったことが伝わります。
2013年5月29日、ジョワドヴィーヴルは4歳でその生涯を終えました。JRAの競走馬情報でも、同日付で競走馬登録が抹消されています。
【ジョワドヴィーヴルの現在】2026年の状況と知っておきたい事実
2026年現在、ジョワドヴィーヴルは現役の競走馬ではありません。2013年5月29日に予後不良となり、安楽死の処置が取られたためです。
JRAの競走馬情報には、プロフィールや全7戦の記録、獲得賞金などが現在も掲載されています。登録上の抹消年月日は2013年5月29日です。
現在も確認できる主な公式記録JRAの競走馬データから確認できる主なプロフィールは次のとおりです。
- 馬名:ジョワドヴィーヴル(Joie de Vivre)
- 生年月日:2009年5月13日
- 性別・毛色:牝馬・鹿毛
- 父:ディープインパクト
- 母:ビワハイジ
- 母の父:Caerleon
- 生産牧場:ノーザンファーム
- 馬主:サンデーレーシング
- 調教師:松田博資
- 通算成績:7戦2勝
- 総賞金:95,948,000円
- 主な勝ち鞍:2011年阪神ジュベナイルフィリーズ
- 登録抹消日:2013年5月29日
ジョワドヴィーヴルについては、短い競走生活や故障の経緯から、記憶が混同されやすいポイントがあります。
- 誤解:阪神ジュベナイルフィリーズだけの1勝馬。
事実は7戦2勝。デビュー戦の新馬戦でも勝利しています。 - 誤解:桜花賞で故障した。
桜花賞は6着で、その後に右第1趾骨近位骨の骨折が判明しました。 - 誤解:2013年のヴィクトリアマイルで故障した。
同レースは4着で完走しています。致命的な故障が起きたのは17日後の調教中です。 - 誤解:ブエナビスタと全く同じ血統構成。
2頭は母ビワハイジを共有する半姉妹で、父はそれぞれ異なります。 - 誤解:予後不良は競走能力がなくなったという意味だけ。
実際には生命や回復の見込みに関わる深刻な状態を指し、同馬には安楽死の処置が取られました。
特に、最後のヴィクトリアマイルで4着に入っていたことは重要です。ジョワドヴィーヴルは、故障によって競走能力が徐々に衰えて引退したのではありません。復帰後のレースで上位争いを見せ、次走を予定していた最中に、調教中の重大な事故に遭いました。
【プロの結論】ジョワドヴィーヴルが競馬史に残した価値とは
ジョワドヴィーヴルの競走生活を振り返ると、特筆すべき点は3つあります。
第一に、血統への期待を実際のGⅠ勝利で証明したことです。ディープインパクトとビワハイジという組み合わせ、そしてブエナビスタの半妹という立場は、デビュー前から大きな注目を集める理由になりました。しかし、血統だけでGⅠを勝てるわけではありません。デビュー2戦目で阪神ジュベナイルフィリーズを制した走りこそ、彼女自身の能力を示す最大の証拠です。
第二に、故障を乗り越えて競走生活に戻ったことです。2012年の桜花賞後に骨折し、長い休養を余儀なくされました。それでも2013年には京都記念、中日新聞杯、ヴィクトリアマイルと実戦を重ね、最後のGⅠでは4着に入っています。7戦2勝という成績の背景には、休養と復帰を繰り返した時間がありました。
第三に、競走馬の故障と予後不良について考えるうえで、忘れてはならない存在であることです。競走馬にとって脚は、レースで速く走るためだけのものではありません。自分の体重を支え、日常生活を送るためにも不可欠です。重度の骨折が発生した場合、競走への復帰だけでなく、生命の維持そのものが難しくなることがあります。
ジョワドヴィーヴルのケースで重要なのは、2013年の最後のレースがヴィクトリアマイルの4着だったことです。成績の下降を理由に競走生活を終えたのではなく、復活への可能性を感じさせた直後に悲劇が起きました。
その意味で、彼女の記録は単なるGⅠ勝ち馬のプロフィールではありません。名血統の期待を背負い、2歳女王となり、故障から復帰して再び大舞台で走った競走馬の記録です。
ジョワドヴィーヴルに関するよくある質問(FAQ)
Q1:ジョワドヴィーヴルは何戦何勝の競走馬ですか?
A1:JRA通算7戦2勝です。2011年の新馬戦と阪神ジュベナイルフィリーズで勝利し、総賞金は9,594万8,000円でした。
Q2:ジョワドヴィーヴルの父と母は誰ですか?
A2:父はディープインパクト、母はビワハイジです。母の父はCaerleonで、生産牧場はノーザンファームです。
Q3:ブエナビスタとはどのような関係ですか?
A3:同じ母ビワハイジから生まれた半妹です。ブエナビスタの父はスペシャルウィーク、ジョワドヴィーヴルの父はディープインパクトです。
Q4:ジョワドヴィーヴルが予後不良になったのはなぜですか?
A4:2013年5月29日の調教中に左下腿骨開放骨折を発症したためです。重度の骨折で予後不良と判断され、安楽死の処置が取られました。
Q5:最後に出走したレースは何ですか?
A5:2013年5月12日のヴィクトリアマイルです。川田将雅騎手が騎乗し、芝1600メートルで4着に入りました。
Q6:福永祐一騎手は何回騎乗しましたか?
A6:通算5回です。新馬戦と阪神ジュベナイルフィリーズで2勝し、チューリップ賞3着、桜花賞6着、京都記念7着という成績でした。
Q7:2026年現在、ジョワドヴィーヴルは生きていますか?
A7:いいえ。2013年5月29日に調教中の故障で予後不良となり、安楽死の処置が取られています。現在はJRAの競走馬情報に当時のプロフィールと競走記録が残っています。
ジョワドヴィーヴルは、ディープインパクトとビワハイジの間に生まれ、ブエナビスタの半妹として大きな期待を集めた競走馬です。2011年の阪神ジュベナイルフィリーズではデビュー2戦目でGⅠを制し、JRA賞最優秀2歳牝馬にも選ばれました。
その後は桜花賞後の骨折による長期休養を経験しましたが、2013年に復帰。最後の出走となったヴィクトリアマイルでは4着に入り、復活の兆しを見せていました。
しかし、2013年5月29日の調教中に左下腿骨開放骨折を発症し、4歳でその生涯を終えました。通算7戦2勝という記録には、GⅠ制覇の輝きと、故障を乗り越えようとした努力、そして突然の別れが刻まれています。
2026年現在もJRAの公式記録から彼女の競走成績や血統をたどることができます。短い競走生活であっても、2歳女王として残した走りと血統的な存在感は色あせません。ジョワドヴィーヴルは、日本競馬の歴史に名を残すビワハイジの産駒の一頭として、これからも記憶されていく競走馬です。
主な事実確認資料: JRA競走馬情報、JRA「2011年度JRA賞」、JRA「第63回阪神ジュベナイルフィリーズ」公式回顧、ラジオNIKKEIの2012年4月13日・2013年5月29日付報道、2013年5月29日付デイリースポーツ競馬報道。