八名さんは岡山東高校(現在の岡山東商業高校)で野球に打ち込み、甲子園にも出場しました。その後、明治大学に進学。野球部では厳しい上下関係を経験し、2年秋に退部しています。
1956年、東映フライヤーズ(現在の北海道日本ハムファイターズにつながる球団)に入団。プロ野球選手として投手の道を歩み始めました。
日本野球機構の公式記録によると、八名さんのプロ野球在籍は1956年から1958年までの3年間。通算成績は次のとおりです。
- 登板:15試合
- 勝利:0勝
- 敗北:1敗
- 防御率:3.86
- 投球回:28回
プロ生活が終わるきっかけとなったのは、1958年8月10日の近鉄戦でした。
Number Webの2025年5月のインタビュー記事によると、試合中に投球動作へ入った際、ひび割れていた投手板にスパイクが引っ掛かり、腰を強打。病院で骨折が判明し、2度の手術を受けることになりました。
その年のオフ、球団から東映本社で働くよう告げられた八名さん。しかし、人事課を訪ねると、待っていたのはサラリーマンの仕事ではなく、映画撮影所での勤務でした。
本人も当初は俳優経験がなく戸惑ったと振り返っています。こうして、野球選手としての人生が終わり、映画俳優としての新しい人生が始まりました。
なぜ悪役俳優になったのか?高倉健や鶴田浩二との縁八名さんは、東映の撮影所で俳優としての訓練を受け、映画の世界に入りました。当初から悪役専門を目指していたわけではありません。
しかし、当時の東映では任侠映画が人気を集め、高倉健さんや鶴田浩二さんらが主役として活躍していました。八名さんは、主役に撃たれて倒れる悪役の演技を見て、自分ならもっと印象的に演じられるのではないかと考えたことを、双葉社のインタビューで明かしています。
やがて、二枚目の主役を目指すよりも、悪役として自分の個性を磨く道を選びます。40代になってから、自分は高倉健さんとは違う俳優なのだと受け止め、悪役を極める方向へ進んだとNumber Webの取材で語っています。
この転換は、八名さんの俳優人生を特徴づける重要な決断でした。主役を引き立てる脇役であっても、観客の記憶に残る人物を演じる。その専門性を磨いたことが、後の悪役商会結成につながります。
【悪役商会と青汁CM】「まずい!もう一杯!」誕生の裏側

1983年、八名さんは悪役を専門に演じる俳優集団「悪役商会」を結成しました。八名さんがリーダーを務め、ギャングや悪党などを得意とする俳優たちが集まりました。
悪役商会の特徴は、単に怖い顔をした俳優を集めたことではありません。映画やテレビドラマの中で、主役と対峙する悪役に独自の存在感を持たせることにありました。
八名さん自身も、作品ごとに悪役の表情や立ち居振る舞いを工夫。Number Webのインタビューでは、洋画の俳優の酒やたばこの扱い方を研究し、煙を演技に取り入れるなど、自分なりの表現を追求していたことが紹介されています。
代表的な出演作品には、次のような映画・テレビ作品があります。
- 映画『飢餓海峡』
- 映画『仁義なき戦い』シリーズ
- 映画『網走番外地』シリーズ
- テレビドラマ『西部警察』
- NHK連続テレビ小説『純情きらり』
- テレビドラマ『マイガール』
- 特撮作品『キカイダー01』
時代劇、任侠映画、刑事ドラマ、特撮まで、幅広いジャンルで活躍しました。悪役として知られる一方、後年には穏やかな人物や祖父役なども演じ、役柄の幅を広げています。
キューサイ青汁CMの「まずい!もう一杯!」はアドリブだった八名信夫さんの名前を聞いて、真っ先に青汁CMを思い出す人も多いでしょう。
キューサイの青汁CMで八名さんが顔をしかめながら発した「まずい!もう一杯!」は、当時のテレビCMを代表する印象的なフレーズになりました。
この言葉が生まれた背景には、撮影現場での意外な出来事があります。
2019年に公開されたキューサイ社長へのインタビュー記事によると、当初のCM台本には「体にいいね」といった肯定的な表現が用意されていました。
ところが撮影中、実際に青汁を飲んだ出演者が、その味について正直な感想を口にします。そこで撮影に立ち会っていた創業者が、まずいと言うことを認める代わりに、商品を肯定する言葉も加えるよう提案しました。
その場で生まれたのが「まず〜い、もう一杯!」というアドリブです。キューサイの社長自身が、撮影現場でのやり取りと、出演者による即興のセリフだったことを説明しています。
なぜ「まずい」という言葉が大ヒットしたのか「まず〜い、もう一杯!」という意外性のある表現が、青汁の知名度を大きく高めました。
当時の健康食品の広告では、健康に良いことや栄養価の高さを前面に出す表現が中心でした。しかし、キューサイのCMは、その逆を行くものでした。
「まずい」というマイナスイメージの言葉をあえて使い、続けて「もう一杯」と伝えることで、視聴者に強烈な印象を残したのです。
広告として巧みだったのは、商品の味を隠さなかったことだけではありません。まずいと感じるほどの青汁でも、健康のために飲み続ける価値があるというメッセージを、短いセリフで表現した点にあります。
Number Webは、八名さんが1990年から25年以上にわたってCMに起用されたと紹介しています。一方、日刊ゲンダイの2019年の記事ではCM放映開始を1986年としています。資料によって初回放映と長期起用の時期に差はありますが、長年にわたり八名さんが青汁の顔を務めたことは共通しています。
このCMは、悪役俳優として定着していた八名さんのイメージを、親しみやすいものへと変える転機にもなりました。怖い顔でにらみながら、どこかユーモラスな言葉を発する。そのギャップが幅広い世代に受け入れられたのです。
ちなみに、Number Webの2025年のインタビューでは、八名さんは青汁を毎日飲んでいるのかという質問に、冗談交じりに「飲んでねえよ」と答えています。CMの印象だけで、本人の現在の食生活まで決めつける必要はありません。
【岡山空襲と自伝】悪役の素顔は人情家だった
9歳で経験した1945年の岡山空襲八名さんの人生を語るうえで、俳優や野球選手としての経歴と同じくらい重要なのが、少年時代の戦争体験です。
1945年6月29日、八名さんは9歳で岡山大空襲に遭いました。当時、父親は国鉄の岡山鉄道局に勤めており、家族は岡山駅近くの官舎で暮らしていました。
空襲で家を焼かれ、避難する途中で家族とはぐれた八名さん。後に家族と再会し、岡山県内の平島へ疎開しました。
2023年の週刊ベースボールONLINEのインタビューでは、空襲後に進駐軍の兵士が学校でキャッチボールをしている姿を初めて見たことが、野球との出会いだったと振り返っています。
当時は野球道具もありません。教室の座布団の綿と軍手でミットを作り、生のサツマイモを丸く切ってボールにする。そんな工夫から、野球への情熱が始まりました。
一方、空襲の記憶には、助けられなかった同級生の姿も残っています。2024年の岡山放送のインタビューでは、あの時の恐怖と、戦争が人の心に残す傷について語っていました。
自伝『悪役は口に苦し』に込めた思い「戦争はいろんなものを破壊するけれど、人の心まで変えてしまう」
2024年8月、八名さんは小学館から自伝『悪役は口に苦し』を出版しました。89歳の誕生日に合わせた出版として報じられ、同年9月には故郷の岡山市で出版を祝う会も開かれています。
この本では、岡山空襲の経験から、野球との出会い、明治大学時代、東映フライヤーズでのプロ生活、俳優への転身、悪役商会の結成まで、波乱に富んだ人生が振り返られています。
タイトルの「悪役は口に苦し」は、健康に良い薬ほど口に苦いという意味のことわざ「良薬は口に苦し」を連想させるものです。悪役を演じてきた人生と、俳優として人に伝えたい思いを重ねたタイトルと受け取れます。
岡山放送の出版記念報道では、八名さんは自分の生き方を振り返って書いた本だと説明し、人が生きていくうえで思いやりが大切だという趣旨の言葉を残しています。
映画の中では何度も人を脅し、撃たれ、倒れてきた八名さん。しかし、実際の人生では戦争の記憶を伝え、被災地の人々を応援し、地域の人たちとの交流を大切にしてきました。
悪役という仕事を長く続けたからこそ、その外見や役柄とは異なる人間的な部分が、より鮮明に伝わるの可能性があります。
自主制作映画や被災地支援にも取り組んできた八名さんは、俳優としての出演だけでなく、自ら映画を制作する活動にも取り組んできました。
代表的な自主制作映画には、次の2作品があります。
- 『おやじの釜めしと編みかけのセーター』
- 『駄菓子屋小春』
2019年の日刊ゲンダイのインタビューでは、八名さん自身が企画・主演・監督・脚本・編集を担当したことを明かしています。2作品の制作費は合計約6000万円で、スポンサーや映画会社に頼らず、自費で制作したと説明していました。
制作の背景には、東日本大震災後の被災地支援があります。悪役商会のメンバーにゆかりのある宮城県気仙沼市や、福島県南相馬市などで、芝居を中心とした慰問活動を行ってきました。
映画を制作して終わりではなく、被災地で無料上映会を開き、子どもたちと交流する。こうした活動は、俳優としての知名度を社会に還元する取り組みでもありました。
加えて、公式サイトでは、2020年5月から2025年9月まで山陽放送ラジオの「八名信夫の井戸端会議」に月1回出演していたことも紹介されています。番組はいったん休止となりましたが、故郷の人々に元気を届けようと始めた活動でした。
【プロの結論】91歳の八名信夫が現在も伝え続けているもの
八名信夫さんの2026年現在を理解するには、単に「まだ俳優を続けているのか」という視点だけでは不十分です。
プロ野球選手としての夢をけがで断たれ、俳優として新しい道を歩み、悪役という専門性を確立。さらに青汁CMによって、映画ファン以外にも名前が知られるようになりました。
その後は自主制作映画、被災地支援、ラジオ、講演、戦争体験の継承、地域の健康啓発へと活動の幅を広げています。
2026年の岡山駅前での特定健診啓発と日本刀の寄贈は、こうした人生の延長線上にある出来事です。
特に興味深いのは、青汁CMで全国に広めた「まずい」という言葉を、今度は健康診断の啓発にも生かしていることです。かつては商品を印象づける広告の言葉でしたが、現在は自分や家族の健康を守るためのメッセージとして響いています。
また、情報を受け取る側にも判断基準が必要です。八名さんの近況を調べる場合、次のように情報を区別すると、誤解を避けられます。
| 情報の種類 | 判断のポイント |
|---|---|
| 現在の活動 | 日付のある自治体発表やテレビ報道を優先 |
| 死亡説 | 本人・所属先の発信と報道機関の訃報を確認 |
| 年齢 | 生年月日と記事の掲載年月日を照合 |
| 青汁CM | キューサイの公式説明や本人のインタビューを参照 |
| 野球経歴 | NPBの公式選手記録を基準にする |
| 戦争体験 | 本人のインタビューや自伝を参照 |
テレビへの出演回数だけで、俳優としての現役・引退を判断するのも適切ではありません。八名さんの場合、映画やテレビでの出演歴に加え、地域社会に向けた活動や、自身の経験を次世代に伝える仕事も大切な活動になっています。
91歳という年齢を数字だけで捉えるのではなく、何を続け、誰に何を伝えようとしているのか。その視点で見ると、八名信夫という人物の魅力がより深く理解できます。
【八名信夫の現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:八名信夫さんは2026年現在も生きていますか?
A1:はい。2026年6月11日に岡山駅前で特定健診の啓発活動に参加し、6月16日には備前長船刀剣博物館へ日本刀を寄贈しています。2016年のテレビ番組による死亡表示は誤りで、日本テレビも謝罪しています。
Q2:八名信夫さんは現在何歳ですか?
A2:2026年11月3日現在、91歳です。プロフィール類では1935年8月19日生まれとされています。ただし、NPBの公式選手データには7月19日という異なる日付の記載があります。
Q3:八名信夫さんは元プロ野球選手だったのですか?
A3:はい。1956年に東映フライヤーズへ投手として入団しました。1958年の試合中に腰を骨折して選手生活を断念し、その後、東映の映画撮影所で俳優としての道を歩み始めました。
Q4:悪役商会はいつ結成されましたか?
A4:1983年です。八名さんが中心となって、ギャングや悪党などの役を得意とする俳優集団を結成しました。
Q5:「まずい!もう一杯!」は八名信夫さんのアドリブですか?
A5:はい。キューサイの社長へのインタビューによると、撮影中に出演者が実際に青汁を飲んで味について率直な感想を述べたことがきっかけでした。創業者の了承を得て、その場のアドリブから有名なフレーズが誕生しました。
Q6:八名信夫さんの自伝は何という本ですか?
A6:小学館から2024年8月に出版された『悪役は口に苦し』です。岡山空襲の体験、プロ野球選手時代、俳優への転身、悪役商会の結成などがつづられています。
Q7:八名信夫さんは現在も岡山で活動していますか?
A7:はい。2026年6月にはJR岡山駅前で特定健診の受診啓発活動に参加し、備前長船刀剣博物館への日本刀寄贈も行いました。戦争体験の継承や地域との交流も続けています。
八名信夫さんは2026年11月現在91歳。死亡説の原因は、2016年に日本テレビが番組内で行った「故人」という誤表示であり、実際には本人が健在であると所属先が説明し、同局も謝罪しています。
2026年には、6月11日の岡山駅前での特定健診啓発活動、6月16日の備前長船刀剣博物館への日本刀寄贈という新たな話題がありました。
東映フライヤーズの元投手から俳優へ転身し、1983年の悪役商会結成、キューサイ青汁CMの大ヒットを経て、現在は地域活動や戦争体験の継承にも取り組んでいます。
「まずい!もう一杯!」という言葉で知られる八名信夫さん。その強烈な悪役のイメージの奥には、故郷を思い、人との出会いを大切にし、次の世代に伝えたいことを持ち続ける一人の人間の姿があります。
今後も、本人の公式サイトや岡山県内の自治体・報道機関から発信される情報を通じて、活動の歩みを見守りたいところです。