山田和利さんの訃報が公表されたのは、2025年8月26日です。発表したのは長男で俳優の山田裕貴さんでした。
2025年8月16日に60歳で永眠山田裕貴さんは自身のSNSを通じて、父親が8月16日に60歳で亡くなったことを報告しました。
発表によれば、山田和利さんは約4年前にがんを患い、闘病生活を送っていました。しかし、病気については本人の意思を尊重し、家族も公にはしていなかったといいます。
葬儀は近親者のみで執り行われ、供花や香典についても辞退する意向が示されました。
死因はがん?病名や闘病の詳細は公表されている?公表されている情報を整理すると、次のようになります。
- 死去日:2025年8月16日
- 享年:60歳
- 闘病期間:約4年間
- 病気:がん
- がんの種類:公表されていない
- 具体的な治療内容:公表されていない
- 葬儀:近親者のみで実施
つまり、がんを患って闘病していたことは家族から明らかにされていますが、具体的ながんの種類や治療経過、直接的な死因の医学的詳細までは公表されていません。
2026年8月、娘の山田麻生さんが一周忌に思いを投稿2026年8月には、娘でモデルの山田麻生さんが父親の一周忌に際してSNSで思いをつづりました。
約4年間がんと闘っていた父親を振り返り、東京で仕事を頑張ることと、そばで見守ることしかできなかったという心境を明かしています。
また、父親について、厳しい一面がありながらも家族思いの人だったと振り返りました。
この投稿からは、プロ野球選手や指導者として知られた山田和利さんが、家庭では子どもたちにとって大きな存在だったことが伝わります。
【プロフィール・経歴】東邦高校から1983年ドラフト4位で中日へ

山田和利(やまだ・かずとし)
- 生年月日:1965年6月3日
- 出身:愛知県
- 投打:右投右打
- 身長・体重:178cm・82kg
- 出身高校:東邦高校
- ドラフト:1983年4位
- 主な所属球団:中日・広島
- 現役時代の主なポジション:遊撃手
- 死去:2025年8月16日(60歳)
山田和利さんは愛知県の東邦高校出身です。
東邦高校は愛知県を代表する野球の名門校として知られ、数多くのプロ野球選手を輩出してきました。
山田さんは1983年のドラフト会議で中日ドラゴンズから4位指名を受け、プロ入りしました。
日本野球機構(NPB)の公式選手記録でも、東邦高校出身、1983年ドラフト4位という経歴が確認できます。
中日ドラゴンズ時代:俊足と堅守を武器に活躍中日では主に遊撃手としてプレーしました。
守備力と走力を備え、内野だけでなく外野もこなせるユーティリティープレーヤーとして評価されていました。
特に1988年には82試合に出場し、打率.268、41安打を記録しています。
一軍での出場機会を増やし、選手としての実績を積み上げた時期でした。
1991年に広島東洋カープへ移籍1991年、山田さんは音重鎮さんとともに広島東洋カープへ移籍しました。
移籍後は出場機会を広げ、1992年には93試合に出場。75安打、8本塁打、29打点、打率.282という成績を残しました。
さらに1995年には94試合に出場し、12本塁打、53打点を記録しています。
1995年は本塁打と打点の両方で自己最高の数字を残したシーズンでした。
1996年に中日へ復帰し現役引退1996年にはトレードで中日に復帰しました。
ただし、同年限りで現役を引退しています。
中日と広島というセ・リーグの2球団でプレーし、それぞれの球団で異なる役割を担ったことが、山田さんの選手人生の特徴です。
【通算成績・ポジション】山田和利の打率、本塁打、打点を検証
山田和利さんの現役時代を数字で振り返ると、突出した一つのタイトルよりも、複数のポジションをこなす能力と打撃面での貢献が特徴として浮かび上がります。
NPB公式記録による通算成績
通算出場試合366
試合
通算打率.262
本塁打22
打点102
安打
227本
盗塁
21個
打数
865
出塁率
.341
出典:日本野球機構(NPB)個人年度別成績。2025年シーズン終了時の公式記録。
| 年度・球団 | 試合 | 打率 | 本塁打 | 打点 |
|---|---|---|---|---|
| 1988年・中日 | 82 | .268 | 2 | 7 |
| 1992年・広島 | 93 | .282 | 8 | 29 |
| 1995年・広島 | 94 | .270 | 12 | 53 |
| 通算 | 366 | .262 | 22 | 102 |
特に注目したいのは1995年です。
12本塁打、53打点という数字は、山田さんが単に守備固めや代走を担うだけの選手ではなかったことを示しています。打撃でもチームに貢献できる選手だったのです。
現役時代のポジションは遊撃手だけではなかった山田さんの主なポジションは遊撃手です。
ただし、報道では内野・外野の複数ポジションを守れる選手として紹介されています。
このような選手は、チーム事情に応じて守備位置を変更できるため、監督にとって起用しやすい存在です。
現代のプロ野球でいうユーティリティープレーヤーに近い役割を担っていました。
366試合という出場記録だけで選手としての価値を判断するのではなく、守備の柔軟性や複数の役割をこなした点にも注目する必要があります。
【人物・球団相関】山田和利さんと家族、関係者のつながり
山田和利さんの人生を理解するには、野球人生と家族との関係を分けて整理すると分かりやすくなります。
| 人物・球団 | 山田和利さんとの関係 | 確認できる内容 |
|---|---|---|
| 山田裕貴さん | 長男 | 俳優。父の死去を2025年8月に公表 |
| 山田麻生さん | 娘 | モデル。2026年8月に一周忌の思いを投稿 |
| 山田裕貴さんの母 | 妻・子どもたちの母 | 2024年の家族ラジオ出演で存在が確認できる |
| 中日ドラゴンズ | 選手・指導者として所属 | 1983年ドラフト4位で入団 |
| 広島東洋カープ | 選手・指導者として所属 | 1991年に移籍、引退後もコーチなどを歴任 |
| 音重鎮さん | 移籍に関係する元選手 | 1991年にともに広島へ移籍 |
2024年8月、山田裕貴さんがパーソナリティーを務めるニッポン放送の『山田裕貴のオールナイトニッポン』に、山田和利さん、母親、妹の山田麻生さんが出演しました。
山田家の家族がそろってメディアに登場したことで話題になりました。
それまで妹の麻生さんについて詳しく紹介する機会が多くなかった裕貴さんにとっても、家族との関係を見せる貴重な機会でした。
娘・山田麻生さんはモデルとして活動山田麻生さんは、山田裕貴さんの妹でモデルとして活動しています。
ファッションショーや広告などに出演し、モデルとして独自のキャリアを築いています。
2025年10月には自身のSNSで結婚を発表しました。その際、父親が8月に亡くなったことにも触れ、周囲への感謝と今後への思いを伝えています。
ここで注目したいのは、山田和利さんの子どもたちが、それぞれ異なる分野で活動している点です。
父親がプロ野球選手だったからといって、子どもたちも同じ道を進む必要はありません。裕貴さんは俳優、麻生さんはモデルとして、それぞれの仕事を続けています。
【引退後の活動】中日・広島でのコーチ歴と2021年の退団
山田和利さんは現役引退後も野球界に残り、指導者として活動しました。
選手としての経験を生かし、若手選手の育成や守備・走塁面の指導などに携わっています。
中日で指導者としてのキャリアをスタート引退後は中日でコーチを務め、その後、広島でも指導者として活動しました。
現役時代に複数のポジションを経験したことは、守備指導などの仕事にも生かせる経験だったと考えられます。
2011年から広島に復帰2011年には広島の二軍守備・走塁コーチに就任しました。
その後の経歴は次のとおりです。
- 2011年: 広島の二軍守備・走塁コーチに就任
- 2012年: 球団編成部に所属
- 2015年: 二軍守備・走塁コーチに復帰
- 2018~2020年: 一軍内野守備・走塁コーチ
- 2021年: 二軍内野守備・走塁コーチ
選手としての経験だけでなく、球団編成部での業務も経験している点が特徴です。現場での指導と球団運営の双方に携わっていました。
2021年11月3日に広島退団が発表された広島東洋カープは2021年11月3日、山田和利さんの退団を発表しました。
当時は二軍内野守備・走塁コーチを務めていました。
この退団以降、広島のコーチとして活動する姿は見られなくなりました。2025年の訃報によって、プロ野球の指導者としてのキャリアを振り返る報道も増えています。
なお、2021年の退団理由について、病気が原因だったとする公式発表は確認されていません。約4年前からがんを患っていたという2025年の家族発表だけをもって、退団との因果関係を断定することはできません。
【親子関係の真相】山田裕貴が父から受け継いだものとは?
山田和利さんを語るうえで欠かせないのが、息子である俳優・山田裕貴さんとの関係です。
裕貴さんは父親と同じプロ野球選手を目指した時期がありました。しかし、最終的には俳優という別の道を選びました。
山田裕貴は幼少期から父親に憧れていた山田裕貴さんは子どものころ、父親の背中を追いかけて野球を始めました。
小学生から中学生まで野球に取り組み、父親と同じプロ野球選手を目指していた時期もあります。
しかし、中学時代に所属した硬式野球チームではレギュラーを獲得できず、野球を続けることに挫折を感じるようになりました。
父親がプロ野球選手だったことは誇りである一方、比較されることへのプレッシャーにもなっていたと、裕貴さん自身がテレビ番組などで振り返っています。
父親から野球を教えてもらわなかった理由興味深いのは、山田裕貴さんが父親から直接野球を教わる機会がほとんどなかったというエピソードです。
2019年のテレビ番組出演時、裕貴さんは父親とキャッチボールをしたこともほとんどなく、野球の話をすることも少なかったと明かしました。
2025年の訃報後に報じられた過去の発言では、父親がプロ野球選手とアマチュア選手との関係に関する当時のルールを守り、家族である息子にも野球を教えなかったという背景が紹介されています。
一方で、家族でテレビや映画を楽しむ時間はあったといいます。
その環境が、裕貴さんが芸能界に関心を持つきっかけの一つになりました。
父親は俳優・山田裕貴の演技にも厳しかった俳優として活動を始めた後も、山田和利さんは息子の仕事に関心を持っていました。
裕貴さんは過去のインタビューで、父親が出演作品をよく見ており、演技に対して厳しい意見を伝えてくることを明かしています。
演技に力が入りすぎていることや、もっと存在感を出すべきだという趣旨の指摘を受けたこともあったそうです。
2019年のスポニチ報道でも、父親からの厳しい演技評価について紹介されています。
プロ野球選手と俳優という異なる世界に生きながら、父親が息子の仕事を見守り続けていたことが分かるエピソードです。
「元プロ野球選手の息子」から「山田裕貴の父」へ2024年3月、裕貴さんはテレビ番組で、父親との関係について興味深いエピソードを披露しました。
芸能活動を始めた当初は、自分が「プロ野球選手の息子」として紹介されることに悔しさを感じていたそうです。
そこで、いつか父親から「山田裕貴の父親」と呼ばれるようになりたいと考えていました。
その後、父親から「最近はお前の父親だと言われる」と電話で伝えられたことを明かしています。
息子が俳優として認められ、父親の知名度を超える存在になったことを実感できるエピソードです。
この親子関係は、単に有名人の父と息子という関係にとどまりません。
父親の背中を追い、挫折し、別の道を選び、やがて自分の名前で評価されるようになった息子。その歩みの中には、山田和利さんの存在が深く関わっていました。
【誤解を整理】山田和利について知っておきたい5つの事実
インターネットで山田和利さんを調べると、現役時代の成績や家族構成、死去に関する情報が混在しています。特に間違えやすいポイントを整理します。
| よくある疑問 | 確認できる事実 |
|---|---|
| 2026年現在も存命? | 2025年8月16日に死去 |
| 死因は特定の種類のがん? | がんの闘病は公表されたが、種類は非公表 |
| 山田裕貴は息子? | 実の長男 |
| 山田麻生は娘? | 山田裕貴さんの妹で、山田和利さんの娘 |
| 2021年の退団は病気が理由? | 退団発表と闘病開始の因果関係は公表されていない |
山田和利さんのドラフト指名年度は、1983年です。
日本野球機構の公式記録には1983年ドラフト4位と記載されています。プロ入りした年とドラフト指名年度を混同しないことが大切です。
通算成績は366試合、打率.262一部のプロフィールでは現役期間の年数が異なる表現で紹介されることがありますが、NPB公式記録で確認できる通算出場試合数は366試合です。
また、22本塁打、102打点という数字も公式記録と一致します。
死去した日は8月16日、公表日は8月26日この2つの日付も混同しやすいポイントです。
- 2025年8月16日:山田和利さんが死去
- 2025年8月26日:山田裕貴さんが父親の死去を公表
10日間の差があるのは、本人の意思によって闘病を公表していなかったという家族の説明によるものです。
【山田和利に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:山田和利さんは現在どうしていますか?
A1:山田和利さんは2025年8月16日に60歳で亡くなっています。2026年8月には一周忌を迎え、娘の山田麻生さんが父親への思いをSNSで公表しました。
Q2:山田和利さんの死因は何ですか?
A2:約4年間がんを患い、闘病していたことが息子の山田裕貴さんによって公表されています。ただし、がんの種類や具体的な治療経過は明らかにされていません。
Q3:山田和利さんの現役時代の成績は?
A3:NPB通算366試合に出場し、227安打、22本塁打、102打点、打率.262を記録しています。
Q4:山田和利さんは中日と広島のどちらに所属していましたか?
A4:両球団に所属していました。1983年ドラフト4位で中日に入団し、1991年に広島へ移籍。1996年に中日に復帰して、その年に現役を引退しました。
Q5:山田和利さんの息子は誰ですか?
A5:俳優の山田裕貴さんです。裕貴さんは父親の影響で幼少期から野球に取り組みましたが、最終的には俳優の道を選びました。
Q6:山田麻生さんも山田和利さんの子どもですか?
A6:はい。モデルの山田麻生さんは山田和利さんの娘で、山田裕貴さんの妹です。2025年10月には結婚を公表し、2026年8月には父親の一周忌に際して思いをつづりました。
Q7:山田和利さんは引退後も野球に関わっていましたか?
A7:はい。中日や広島でコーチを務め、広島では球団編成部にも所属しました。最後は2021年11月に広島を退団しています。
山田和利さんは、中日ドラゴンズと広島東洋カープでプレーした元プロ野球選手です。
1983年のドラフト4位でプロ入りし、主に遊撃手として活躍。通算366試合、22本塁打、102打点、打率.262という成績を残しました。
現役引退後も野球界に残り、中日や広島でコーチを歴任。選手としてだけでなく、指導者としてもプロ野球に貢献しました。
2025年8月16日に60歳で亡くなりましたが、その訃報を通じて改めて注目されたのが、息子・山田裕貴さんとの親子関係です。
父親に憧れて野球を始めた裕貴さんは、挫折を経験しながら俳優という別の道を選びました。父親も息子の作品を見続け、時には厳しい意見を伝えていたといいます。
娘の山田麻生さんもモデルとして活動し、2026年には父親の一周忌に思いを寄せました。
山田和利さんの功績を振り返る際に大切なのは、通算成績だけでなく、選手・指導者・父親という三つの側面からその人生を見ることです。
プロ野球の記録に残る366試合。そして、異なる道を歩みながらも父親の影響を受けて成長した子どもたち。その足跡は、野球界だけでなく家族の記憶の中にも残り続けています。