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高嶋政宏の亡くなった兄・道夫さんとは?1964年の事件と家族の歩みを2026年最新情報で検証

霧島 直人 霧島 直人 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
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俳優の高嶋政宏さんには、かつて生後わずか5カ月で亡くなった兄がいます。その人物は、父・高島忠夫さんと母・寿美花代さんの長男として1964年に誕生した道夫さんです。道夫さんは1964年8月24日未明、東京都世田谷区にあった高島家の自宅で、住み込みで働いていた当時17歳の家政婦によって殺害されました。

この事件は、当時の芸能界や社会に大きな衝撃を与えました。2024年5月放送のNHK「ファミリーヒストリー」では、高嶋政宏さん自身が兄の事件や、両親から受けた影響について語っています。さらに2026年8月には母・寿美花代さんも94歳で亡くなり、高島家の家族史に改めて関心が集まっています。

【結論】高嶋政宏の亡くなった兄は長男・道夫さん!家族構成を解説

高嶋政宏亡くなった兄

高嶋政宏さんの亡くなった兄は、高島忠夫さんと寿美花代さんの第一子である道夫さんです。

道夫さんは1964年に誕生しましたが、同年8月24日に起きた事件によって、生後5カ月という短い生涯を終えました。

高嶋政宏さんが生まれたのは1965年10月29日です。そのため、兄の事件が起きた当時、政宏さんはまだ誕生していませんでした。兄と一緒に過ごした幼少期の記憶があるわけではありません。

高島家の家族構成

高島家の家族構成を時系列で整理すると、次のようになります。

  • 父:高島忠夫さん。俳優・タレントとして活躍。2019年6月26日死去。
  • 母:寿美花代さん。元宝塚歌劇団のトップスターで女優。2026年8月3日死去。
  • 長男:道夫さん。1964年生まれ。生後5カ月で事件により死亡。
  • 次男:高嶋政宏さん。1965年生まれ。俳優として活動。
  • 三男:高嶋政伸さん。1966年生まれ。俳優として活動。

つまり、一般に知られる高島ファミリーは、道夫さんという長男を失った後に、政宏さんと政伸さんが誕生して形成された家族です。

父は昭和を代表する映画俳優、母は宝塚のスターという華やかな家庭でした。しかし、その家族の歴史には、芸能界での成功とは対照的な深い悲しみが刻まれていました。

【1964年8月24日の事件】高島忠夫の長男殺害事件は何が起きたのか

事件が発生したのは、1964年(昭和39年)8月24日の未明です。

当時34歳だった高島忠夫さんと32歳だった寿美花代さんは、東京都世田谷区上野毛の自宅で、生後5カ月の長男・道夫さんと暮らしていました。

自宅には住み込みの家政婦のほか、道夫さんの世話を担当する看護師もいました。

家政婦の「道夫ちゃんがいない」という訴えから始まった

事件当日の午前2時ごろ、住み込みで働いていた17歳の家政婦が、道夫さんの姿が見えないと騒ぎ始めました。

異変に気づいた高島夫妻は、ほかの家政婦や看護師とともに家の中を探しました。しかし、道夫さんは見つかりません。

当初、家政婦は物音を聞いたことや、窓の外に不審な男がいたことなどを説明したと報じられています。室内にも荒らされたような形跡があったため、夫妻は強盗が侵入し、赤ちゃんを連れ去った可能性を疑いました。

寿美花代さんが浴槽の中で道夫さんを発見

家の中や周辺を探しても道夫さんが見つからず、再び自宅に戻った寿美花代さんは、まだ確認していない場所があることに気づきました。

向かったのは浴室でした。

浴槽のふたを開けると、水の中に道夫さんが沈んでいたのです。

夫妻はすぐに道夫さんを抱き上げ、病院へ運びました。しかし、深夜で受け入れ先がなかなか見つからず、ようやく診察を受けられたときには、すでに心肺停止状態でした。

人工呼吸などの処置も及ばず、道夫さんの死亡が確認されました。

事件当初は外部からの侵入による誘拐・殺害が疑われましたが、その後の警察の捜査によって、事件の様相は大きく変わります。

【17歳家政婦の犯行動機】事件の真相と強盗を装った理由

警視庁の捜査で疑いが向けられたのは、最初に道夫さんがいなくなったと騒いだ住み込みの家政婦でした。

報道では、彼女は当時17歳で、記事上は家政婦Aと匿名で扱われています。捜査が進むにつれ、彼女の説明と現場の状況に複数の矛盾が見つかりました。

捜査で浮かび上がった不自然な点

強盗が侵入したという説明には、いくつもの疑問がありました。

  • 不審な男を見たという証言を裏付ける目撃情報がなかった。
  • 侵入者がいたとすれば反応するはずの飼い犬が吠えていなかった。
  • 普段は使用後に水を抜いていた浴槽に、事件当日は水が残っていた。
  • 道夫さんの遺体が浴槽に隠され、ふたまで閉じられていた。

こうした状況を追及された家政婦Aは、事件当日の午後1時30分ごろ、犯行を自供したと文春オンラインの2026年の事件検証記事は伝えています。

犯行の背景にあった看護師への嫉妬

2026年3月に掲載された文春オンラインの事件検証記事では、犯行の背景について、看護師Kへの強い嫉妬心があったと紹介されています。

家政婦Aは新潟県佐渡島の出身で、中学卒業後に集団就職で上京しました。工場で働いた後、知人の紹介を通じて1963年末ごろから高島家で住み込みの家政婦として働き始めたとされています。

もともと寿美花代さんの大ファンだった彼女にとって、憧れのスターの家庭で働けることは大きな喜びでした。

家事だけでなく、出産後の寿美さんに代わって道夫さんの世話も担当するようになり、夫妻から信頼されていたといいます。

ところが、家政婦Aが付き人として仕事に出る機会が増えると、高島家では新たに看護師Kが雇われました。

看護師Kは医療機関での勤務経験があり、赤ちゃんの世話や病気への対応も任せられる存在でした。報道によれば、看護師Kの給与は家政婦Aの約3倍だったとされています。

加えて、夫妻がアメリカ旅行を計画した際、道夫さんの世話を看護師Kに頼んだことなどから、家政婦Aの嫉妬心が強まったと伝えられています。

事件直前には、風邪を引いた家政婦Aに対して寿美さんが道夫さんに近づかないよう伝えたことも、本人の不満を強めるきっかけになったとされています。

自分より看護師が信頼されているという思い込みが、取り返しのつかない犯行へとつながりました。

事件発生から裁判までの時系列
時期 出来事 確認されている内容
1963年 高島夫妻が結婚 高島忠夫さんと寿美花代さんが結婚。
1963年末ごろ 家政婦Aが勤務開始 高島家で住み込みの家政婦として働く。
1964年8月24日未明 事件発生 生後5カ月の道夫さんが自宅の浴槽で殺害される。
1964年8月24日午後 犯行を自供 家政婦Aが午後1時30分ごろに犯行を認めたと報道。
1964年9月・10月 家庭裁判所の手続き 刑事処分相当と判断され、検察に逆送された。
1965年6月 東京地裁の判決 懲役3年以上5年以下の不定期刑。
1968年 仮出所 模範囚として仮出所したと報じられている。
1965年・1966年 政宏さん・政伸さん誕生 高島夫妻に次男と三男が誕生。

この事件は、当時17歳だった家政婦Aが未成年でありながら、成人と同じ刑事裁判を受けた事件としても知られています。

なお、判決や仮出所については、2026年の文春オンラインが紹介した事件資料に基づくものです。

【寿美花代と高島忠夫への影響】事件後も消えなかった家族の傷

道夫さんを失った高島夫妻の悲しみは、事件が解決したからといって消えるものではありませんでした。

特に、第一発見者となった寿美花代さんは、長い年月が経過しても事件の影響を抱えていたことを、2013年のフジテレビ系ドキュメンタリー番組で明かしています。

寿美花代さんが語った後悔と浴室への恐怖

2013年6月に放送された「独占密着!真実の高島ファミリー『忠夫さん、死ぬまで一緒やで』~寿美花代・献身愛で闘う夫の病~」では、事件から約49年が経過した当時の寿美さんの心境が紹介されました。

寿美さんは、夜に道夫さんの世話を家政婦に頼んでいたことについて、自分が一緒に寝ていればよかったのではないかという後悔を抱いていたと語っています。

加えて、浴槽で息子を発見した経験は、日常生活にも影響を及ぼしていました。

「いまだに、お風呂っていうとシャワーしか浴びれない」

これは2013年の番組で寿美さんが明かした言葉として、デイリースポーツが報じたものです。

また、事件直後には赤ちゃんの泣き声をまねた電話や、息子を思い起こさせる悪質ないたずら電話も相次いだと報じられています。

大切な子どもを失った夫妻にとって、事件は単なる過去の犯罪ではなく、その後の人生にも影を落とす出来事だったのです。

高島忠夫さんも長男の死を抱えて生きた

高島忠夫さんは、俳優としてだけでなく、テレビ司会者としても長年活躍しました。

寿美花代さんとの料理番組「ごちそうさま」は1971年から1998年まで続き、夫婦で親しまれるきっかけにもなりました。

しかし、芸能界で明るい姿を見せ続けたことと、家庭内で悲しみを抱えていたことは別の問題です。

2013年の番組では、事件の後遺症が長年続いていたことが明らかになりました。表舞台での華やかな活動の裏には、家族として乗り越えなければならない苦しみがあったのです。

【高嶋政宏の幼少期と政伸との兄弟関係】両親が事件を語らなかった理由

高嶋政宏さんと弟の高嶋政伸さんは、兄・道夫さんが亡くなった後に生まれました。

2024年5月6日放送のNHK「ファミリーヒストリー」では、高嶋家の歴史が紹介され、道夫さんの事件についても取り上げられました。

両親は兄の事件について子どもたちに話さなかった

政宏さんは番組内で、両親が兄の事件について普段ほとんど話さなかったと振り返っています。

両親は事件の悲しみや苦しみを、子どもたちにできるだけ見せないようにしていたそうです。

政宏さんは、事件について次のように語っています。

「一切話をしてくれたこともない」

ただし、完全に何も伝えなかったわけではありません。政宏さんによると、高校生ごろ、食事を終えた後に両親から一度、きちんと説明を受けたことがあったといいます。

幼い子どもにとって、兄が亡くなった経緯を理解するのは簡単ではありません。両親があえて詳細を語らなかった背景には、子どもたちに自分たちと同じ苦しみを背負わせたくないという思いもあったと考えられます。

政宏と政伸を仕事の現場にも連れて行った両親

同番組では、弟の高嶋政伸さんもVTRで登場しました。

政伸さんによれば、両親は仕事でロケに出かけるとき、子どもたちを必ず一緒に連れて行っていたそうです。

政伸さんは、父が家族で一緒にいることを望んでいたようだと振り返っています。

政宏さんも、両親が自分たちを一人にすることを心配していたと感じていました。スキューバダイビングをしようとした際にも、両親が泣いて止めたことがあったといいます。

当時は理由が分からなかったものの、兄の事件を知った後には、両親の心配を理解できたと語っています。

このエピソードからは、事件が政宏さんや政伸さんの誕生後の家庭環境にも影響していたことが伝わります。

高嶋政宏と高嶋政伸は不仲なのか

高嶋政宏さんと高嶋政伸さんは、ともに俳優として活動してきた実の兄弟です。

兄の道夫さんを失った高島家の歴史を共有する立場でもあり、2024年の「ファミリーヒストリー」では、それぞれの視点から両親との思い出を語りました。

兄弟関係については、過去の報道で日常的な交流の少なさが取り上げられたこともあります。しかし、それだけで不仲や絶縁と断定することはできません。

少なくとも、家族の歴史を振り返る番組では、両者がそれぞれの記憶を語り、高島家の過去と向き合っていました。

【2026年最新】高島家の現在と寿美花代さんの訃報、高嶋政宏の活動

2026年には、高島家にとって大きな節目となる出来事がありました。長年家族を支えてきた寿美花代さんが、94歳で亡くなったのです。

母・寿美花代さんは2026年8月3日に死去

テレビ朝日系の報道によると、寿美花代さんは2026年8月3日、老衰のため94歳で亡くなりました。所属事務所が8月6日に発表しています。

寿美さんは1948年に宝塚歌劇団へ入団し、トップスターとして活躍。1963年に退団して高島忠夫さんと結婚しました。

夫婦でテレビ番組の司会を務めるなど、芸能界でも広く親しまれた存在でした。2014年には宝塚歌劇団の殿堂入りも果たしています。

政宏さんは母の訃報に際して、次のコメントを発表しました。

「最期の最期まで大女優・寿美花代だった母でした」

葬儀は家族のみで執り行われたと報じられています。

父・高島忠夫さんは2019年に88歳で死去

父の高島忠夫さんは、2019年6月26日に老衰のため88歳で亡くなりました。

1951年に新東宝の第1期ニューフェイスとして芸能界入りし、映画俳優として活躍。その後はテレビ司会者や映画解説者としても人気を集めました。

寿美花代さんとの夫婦共演や、映画番組「ゴールデン洋画劇場」の解説など、昭和のテレビ・映画文化を代表する人物の一人でした。

2026年11月現在、道夫さん、忠夫さん、寿美さんの3人はすでに亡くなっています。高島家の歴史を知るうえで、2026年は大きな転換点となりました。

高嶋政宏さんは2026年も俳優として活動

高嶋政宏さんは1965年10月29日生まれ。成城大学法学部を卒業後、1987年公開の映画「トットチャンネル」で俳優デビューしました。

同作や「BU・SU」などで新人賞を受賞し、映画・ドラマ・舞台と幅広く活動してきました。

2026年の所属事務所・東宝芸能の公式プロフィールには、次のような出演情報が掲載されています。

  • NHK連続テレビ小説「風、薫る」
  • 映画「キングダム 魂の決戦」
  • Netflixシリーズ「ガス人間」
  • Netflixシリーズ「国民クイズ」
  • 映画「虎に翼」への出演決定

2026年も映画やテレビ、配信作品などで活動を続けています。

兄の事件を経験した両親のもとで育った政宏さんは、家族の歴史を公の場で語る機会を持つようになりました。2024年の「ファミリーヒストリー」での発言は、これまであまり語られなかった高島家の一面を伝えるものでした。

【高嶋政宏の亡くなった兄】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:高嶋政宏の亡くなった兄の名前は何ですか?
A1:兄の名前は道夫さんです。父・高島忠夫さんと母・寿美花代さんの長男として1964年に生まれましたが、生後5カ月で殺害されました。

Q2:高嶋政宏の兄が亡くなったのはいつですか?
A2:1964年8月24日未明です。東京都世田谷区上野毛の高島家の自宅で、当時17歳の住み込み家政婦によって殺害されました。

Q3:犯人の17歳の家政婦はなぜ道夫さんを殺害したのですか?
A3:報道によると、家政婦は自分よりも信頼されている看護師に嫉妬していました。道夫さんがいなくなれば看護師が辞め、自分が再び夫妻から頼られると考えたことが犯行の背景にあったとされています。

Q4:寿美花代さんは事件後、どのような影響を受けましたか?
A4:事件後も長く心の傷を抱え、2013年のテレビ番組では浴槽に入れず、シャワーだけで済ませていたことを明かしています。また、息子を守れなかったという後悔も語っていました。

Q5:高嶋政宏と高嶋政伸は兄の事件について知っていたのですか?
A5:両親は普段、事件についてほとんど話さなかったそうです。政宏さんは高校生ごろに一度、両親から詳しい説明を受けたと2024年のNHK「ファミリーヒストリー」で明かしています。

Q6:高島忠夫さんと寿美花代さんは現在も存命ですか?
A6:いいえ。高島忠夫さんは2019年6月26日に88歳で、寿美花代さんは2026年8月3日に94歳で亡くなりました。

高嶋政宏さんの亡くなった兄は、1964年8月24日に生後5カ月で命を奪われた道夫さんです。

事件の犯人は、当時17歳で高島家に住み込んでいた家政婦でした。看護師への嫉妬を背景に犯行に及び、強盗による侵入を装いましたが、捜査によって犯行が明らかになりました。

この事件は、父・高島忠夫さんと母・寿美花代さんに深い傷を残しました。寿美さんは長年、浴室に対する恐怖や息子を守れなかったという後悔を抱えていました。

一方、政宏さんと政伸さんは、両親が事件について多くを語らない家庭環境で育ちました。2024年のNHK「ファミリーヒストリー」で政宏さんが語った幼少期の記憶からは、両親が子どもたちを大切に守ろうとしていた様子が伝わります。

そして2026年8月、母・寿美花代さんも94歳で亡くなりました。父と母を見送った政宏さんは、俳優として現在も活動を続けています。

高島家の歴史を理解するうえで、道夫さんの事件は避けて通れない出来事です。それは単なる昭和の芸能ニュースではなく、一つの家族が大切な命を失い、その悲しみを抱えながら次の世代へと歩みをつないできた歴史でもあります。

事件の経緯だけでなく、寿美花代さんや高島忠夫さんの証言、そして政宏さんが語った幼少期の記憶を合わせて見ることで、高島家が歩んできた道のりがより深く理解できます。

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コンテンツディレクター 霧島 直人
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芸能担当15年。事務所の公式リリースと本人の公式SNSを一次情報とし、夕刊紙の報道は複数媒体が一致した場合だけ触れます。

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