西郷隆盛の写真は本当に残っているのか。幕末から明治維新にかけて日本の歴史を大きく動かした人物でありながら、西郷隆盛本人の真正な写真は、2026年11月現在も確認されていない。インターネットや歴史書で見かける有名な顔写真のような画像も、実際には死後に制作された肖像画である。
その肖像画を描いたのは、イタリア人画家・版画家のエドアルド・キヨッソーネ。制作には弟の西郷従道と従弟の大山巌の顔が参考にされた。また、上野公園の銅像やフルベッキ写真、別人の肖像写真など、西郷の顔をめぐる話題には誤解も多い。写真が残らなかった背景から、本当の顔に迫る肖像画の歴史まで、現存資料をもとに整理する。
【結論】西郷隆盛の写真は本当に現存するのか?2026年の最新状況

最初に答えを示すと、西郷隆盛本人が写っていると確実に認定された写真は現存していない。
西郷隆盛は1827年に生まれ、1877年の西南戦争で亡くなった。写真撮影の技術が日本にも広まり、明治政府の要人たちが次々と肖像写真を残していた時代を生きた人物である。
実際、大久保利通や伊藤博文など、同時代の政治家には本人の写真が残されている。それだけに、西郷だけが写真を残していないという事実は、歴史上の大きな謎として語り継がれてきた。
息子・西郷菊次郎が伝えた写真に関する証言西郷の写真が残っていないことを考えるうえで注目したいのが、実子である西郷菊次郎の証言だ。
小学館の歴史情報誌『サライ』が紹介した菊次郎の証言には、次の言葉がある。
「父は生前写真というものは唯の一度もとったことがありません」
これは、父親の生前の姿を知る家族から伝えられた重要な証言である。少なくとも、西郷家に伝わる記憶では、西郷は生前に写真を撮影していなかった。
写真嫌いを裏付ける1872年の書簡さらに興味深いのが、滋賀県立琵琶湖文化館が紹介している西郷自筆の書簡である。
この書簡は1872年、欧米に滞在していた大久保利通に宛てたものと考えられている。追伸部分には、大久保の肖像写真について「醜体」と批判する記述が残されている。
この書簡は長らく所在不明だったが、2023年9月に滋賀県内で再発見され、筆跡や旧刊行資料との照合によって自筆原本と確認された。
写真に対する西郷の否定的な感覚をうかがわせる一次史料であり、写真嫌いという人物像を考えるうえで貴重な材料となっている。
ただし、写真を嫌ったことだけが撮影しなかった理由なのか、それとも別の事情があったのかまでは断定できない。現在のところ、確かなのは本人の真正な写真が確認されていないという点だ。
【肖像画の正体】キヨッソーネが描いた西郷隆盛の顔と制作秘話
多くの日本人が西郷隆盛の顔として思い浮かべる、太い眉、大きな目、立派な口ひげを持つ男性の肖像。その正体は写真ではなく、1883年に制作されたコンテ画である。
作者はイタリア出身のエドアルド・キヨッソーネ(Edoardo Chiossone、1833~1898年)。明治8年に来日し、大蔵省紙幣局で銀行券や印紙のデザイン、銅版技術の指導などに携わった人物だ。
なぜキヨッソーネが西郷の肖像を描いたのか制作を依頼したのは、大蔵省の初代印刷局長を務めた得能良介だった。
得能は西郷と親交があり、娘の清子が西郷従道に嫁いでいたことから、西郷家とも深い関係を持っていた。西郷の死後、本人の肖像が残されていないことを惜しみ、キヨッソーネに制作を依頼したと、鹿児島県の教育関係資料に記されている。
肖像画の下部には「E.Chiossone, Tokio 1883」という署名があり、明治16年に東京で制作されたことがわかる。
西郷従道と大山巌の顔がモデルになったキヨッソーネは、西郷本人の写真を参考にしたわけではない。代わりに、近親者の顔や周囲の人々の証言をもとに、西郷の容貌を再構成した。
具体的には、次の2人の顔がモデルになったとされる。
- 西郷従道:西郷隆盛の実弟。肖像画の顔の上半分の参考モデル。
- 大山巌:西郷隆盛の従弟。肖像画の顔の下半分の参考モデル。
つまり、一般に知られる西郷隆盛の肖像は、実弟の顔と従弟の顔を組み合わせ、さらに親族や旧知の人物の記憶を反映させた作品なのである。
単純に2人の顔を合成しただけではない。周囲の人々から意見を聞き、西郷らしい表情や風貌を再現しようとした点が重要だ。
現在見られるキヨッソーネの肖像は原画なのか意外に知られていないのが、キヨッソーネが制作した当初の肖像画は現存しないという事実である。
鹿児島県教育関係資料によると、完成した作品は西郷家に贈られたものの、太平洋戦争中の東京空襲で焼失した。現在広く見られる図版は、戦前に撮影された作品の写真をもとに再製されたものだ。
そのため、現在目にする肖像画は、当時の西郷を直接撮影した写真でも、制作当初の原画そのものでもない。ここを理解しておくと、西郷隆盛の写真をめぐる誤解がかなり解消される。
キヨッソーネ以外にも西郷を描いた画家がいた西郷の顔を知る人物や、実際に本人と接した経験を持つ画家による肖像画も残されている。
例えば、床次正精は西郷と面識があり、その記憶をもとに明治20年頃の肖像画を制作した。西郷従道や黒田清隆ら、本人を知る人々の意見を取り入れながら修正を重ねたという。
また、肥後直熊は西郷の屋敷の隣家で育ち、幼少期に本人と接していた人物である。1927年の没後50年に際して、少年時代の記憶や親族の意見を反映した肖像画を公表した。
これらは写真ではないものの、キヨッソーネの作品とは異なる視点から西郷の顔を考えるための重要な資料である。
【関係者・資料一覧】西郷隆盛の写真と肖像画をめぐる人物相関
西郷隆盛の顔をめぐる問題は、複数の人物と資料が関係している。誰が実際のモデルで、誰が肖像画を制作し、誰が銅像を造ったのかを整理すると、写真と肖像画の違いが理解しやすい。
| 人物・資料 | 西郷との関係 | 写真・肖像における役割 |
|---|---|---|
| エドアルド・キヨッソーネ | イタリア人画家・版画家 | 1883年に有名な西郷隆盛の肖像画を制作 |
| 西郷従道 | 実弟 | 肖像画の顔の上半分の参考モデル |
| 大山巌 | 従弟 | 肖像画の顔の下半分の参考モデル |
| 得能良介 | 親族・旧知の人物 | キヨッソーネへの肖像画制作依頼者 |
| 床次正精 | 本人と面識のある画家 | 自身の記憶をもとに肖像画を制作 |
| 高村光雲 | 彫刻家 | 1898年の上野公園の西郷隆盛銅像を制作 |
| 永山弥一郎 | 西郷の側近 | 肖像写真が西郷本人の写真と誤認された人物 |
この一覧からわかるのは、現在の西郷隆盛の顔が、本人を撮影した一枚の写真から生まれたものではないということだ。
家族の顔、知人の記憶、画家の技術、後世の彫刻家の表現が重なり、今日の西郷像が形成されてきたのである。
【フルベッキ写真の真相】西郷隆盛が写っているという説は本当か
西郷隆盛の写真をめぐる議論で、特に有名なのが「フルベッキ写真」だ。
この写真には、宣教師ギドー・ヘルマン・フリドリン・フルベッキと、多数の日本人男性が写っている。侍姿の男性たちが集まった集合写真であり、幕末の志士たちが一堂に会した歴史的な記録だという説が広まった。
写真に西郷隆盛や坂本龍馬、勝海舟、伊藤博文などが写っているという説もある。しかし、実際には人物の特定に問題があった。
フルベッキ写真はいつ撮影されたのか2024年、日本写真学会誌に掲載された伊藤泰雄氏の研究論文「顔認証技術を用いた古写真の人物特定~『フルベッキ写真』への応用~」は、この問題に新しい検証材料を提示した。
研究では、写真の人物を特定するため、顔認証技術を利用。岩倉具定・具経兄弟や佐賀藩出身者の写真などを比較対象として分析している。
その結果、フルベッキ写真には岩倉兄弟のほか、佐賀藩関係者らが写っていることが確認された。撮影時期についても、岩倉兄弟が長崎に到着した1868年12月10日から、フルベッキが長崎を離れた1869年3月23日までの間と推定されている。
この年代は、幕末の志士たちが一堂に会した写真という従来の説明とは整合しない部分がある。
顔認証による西郷隆盛の検証結果同論文では、西郷隆盛の比較対象として、本人の写真ではなくキヨッソーネが描いた肖像画を使用した。
その結果、西郷隆盛とされた人物番号13番との顔の類似度は9.3%。研究では同一人物ではないと判定されている。
また、写真に写っている人物を坂本龍馬とする説も検証された。坂本龍馬は撮影時期にはすでに亡くなっているが、比較対象との類似度が78.0%となり、見た目だけで人物を判断する危険性も示された。
なお、顔認証技術には画像の鮮明さや撮影時の年齢差などによる誤判定の可能性がある。そのため、AIの数値だけで歴史上の人物を完全に特定できるわけではない。
しかし、撮影時期、人物の移動記録、既知の肖像写真との照合を組み合わせた研究結果は、フルベッキ写真に西郷が写っているという説を強く否定する材料になっている。
【偽物写真の見分け方】西郷隆盛の写真と間違えやすい画像の正体
西郷隆盛の写真を検索すると、白黒の男性肖像や集合写真が多数表示される。しかし、すべてが本人の写真というわけではない。
ここで注意したいのは、意図的に作られた偽物と、別人の写真に後世の人が誤った説明を付けたものは別だということだ。
1. キヨッソーネの肖像画を写真と誤認するケース最も多い混同の一つが、キヨッソーネのコンテ画である。
この作品は陰影や肌の質感まで細かく表現され、非常に写実的に仕上がっている。そのため、白黒の肖像写真と並べられると、本人の写真だと誤解されることがある。
しかし、制作年は1883年。西郷が亡くなった1877年から6年後である。写真ではなく、複数の人物の容貌や証言をもとに描かれた絵画だ。
2. 永山弥一郎の肖像写真を西郷と取り違えるケース別人の写真として知られるのが、永山弥一郎の肖像写真だ。
永山は西郷の側近として活動した人物で、かつてその写真が西郷隆盛の真影として扱われた経緯がある。「永山西郷」と呼ばれることもあった。
2025年5月の『週刊文春』の歴史取材記事でも、この写真が取り上げられ、永山弥一郎という人物の肖像として再検討された。写真の人物が誰なのかという問題は、西郷本人の写真が存在しないこととも深く関係している。
3. フルベッキ写真の人物を西郷と決めつけるケースフルベッキ写真は、集合写真の中から西郷らしい人物を探すという見方が広まったことで、人物の誤認が起こりやすくなった事例である。
古写真では、撮影時期や撮影場所、裏面の書き込み、所蔵記録などが重要になる。顔が似ているという理由だけでは、本人と認定できない。
本物かどうかを判断する5つの基準- 撮影時期:西郷の生存期間である1827年から1877年の間に撮影されたものか。
- 所蔵元:博物館、図書館、公文書館など、原資料の管理者が明確か。
- 来歴:誰がいつ撮影し、どのような経緯で写真が保管・公開されたのか。
- 人物の裏付け:同時代の記録や親族の証言、独立した資料による裏付けがあるか。
- 画像の種類:写真なのか、コンテ画なのか、石版画や後世の複製なのか。
特に重要なのは、本人の真正な写真がない以上、キヨッソーネの肖像と似ているかどうかだけでは判断できないという点だ。そもそも比較の基準となる確実な本人写真が存在しないからである。
【上野公園の西郷隆盛銅像】写真のない本当の顔はどう定着したのか
西郷隆盛の顔を象徴するもう一つの存在が、東京都台東区の上野公園にある銅像だ。
1898年に建立されたこの銅像は、没後21年を経て、西郷の旧友たちによって功績をたたえる目的で造られた。
制作を担当したのは彫刻家の高村光雲。高さは約3.7メートル、胸囲は約2.6メートルにも及ぶ大きな作品である。
なぜ軍服ではなく浴衣姿なのか上野公園の西郷像は、軍服姿ではなく、着物姿で犬を連れた独特の姿をしている。
これは、うさぎ狩りに出かける西郷の姿を表現したものとされ、愛犬のツンも一緒に造形されている。
台東区の公式観光情報でも、この銅像は上野公園を代表する観光スポットとして紹介されている。
政治家や軍人としての威厳を前面に出すのではなく、日常の西郷を表現したところに、この銅像の特徴がある。
妻・糸子が語ったとされる有名な言葉銅像に関する有名な逸話として、除幕式に出席した妻の糸子が、像を見て次のように述べたという話が伝わっている。
「宿んしはこげんなお人じゃなかったこてぇ」
標準語にすると「うちの主人はこんな人ではなかった」という意味だ。
この言葉は、西郷の顔が本人に似ていなかったという話として紹介されることが多い。一方で、普段着の姿で人前に立つことへの違和感を示した言葉だったという解釈もある。
実際の意図を一つに決めることは難しいが、この逸話は、西郷の家族が知っていた姿と、後世に社会が作り上げた英雄像との違いを象徴している。
西郷隆盛の写真が存在しないからこそ、肖像画や銅像は単なる容貌の再現を超え、周囲の人々が抱いた西郷の人物像を表現する作品になったのである。
【西郷隆盛の写真】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:西郷隆盛の本物の写真は現在も見つかっていないのですか?
A1:はい。2026年11月現在、本人の真正な写真として確実に認定されたものは確認されていない。写真嫌いだったとされ、実子の西郷菊次郎も生前に写真を撮ったことがなかったと証言している。
Q2:キヨッソーネが描いた西郷隆盛の肖像画は本人の顔ですか?
A2:本人を直接撮影した写真や写生ではない。1883年に制作されたコンテ画で、顔の上半分には弟の西郷従道、下半分には従弟の大山巌の顔が参考にされている。親族や知人の証言も反映された肖像画である。
Q3:フルベッキ写真に西郷隆盛は写っていますか?
A3:西郷が写っているという説は、2024年の日本写真学会誌掲載論文による顔認証研究で否定的な結果が示されている。西郷の肖像との類似度は9.3%で、同一人物ではないと判定された。
Q4:西郷隆盛の顔を最も正確に再現した肖像画はどれですか?
A4:キヨッソーネの作品が最も広く知られているが、本人の実際の顔と完全に一致する保証はない。本人と面識のあった床次正精や、幼少期に接した肥後直熊による肖像画も、異なる角度から風貌を考える貴重な資料となる。
Q5:上野公園の西郷隆盛銅像は本人に似ているのでしょうか?
A5:本人の真正な写真が存在しないため、写真との直接比較はできない。高村光雲が制作した銅像は、後世に定着した西郷像の代表的な表現であり、実際の容貌を完全に再現した証拠ではない。
西郷隆盛の写真をめぐる最大の事実は、2026年現在も本人の真正な写真が確認されていないということだ。
私たちがよく知る西郷の顔は、1883年にエドアルド・キヨッソーネが描いた肖像画を原型としている。西郷従道と大山巌の顔を参考にし、親族や知人の記憶を加えて制作された作品であり、写真ではない。
また、フルベッキ写真に西郷が写っているという説や、永山弥一郎の肖像写真を本人の写真とする誤認など、歴史上の人物の特定には慎重な検証が欠かせない。
西郷の本当の顔に迫るなら、次の3点を押さえておきたい。
- 写真と肖像画を区別する:有名なキヨッソーネ像は写真ではなく、死後に制作された絵画である。
- 原資料と来歴を確認する:フルベッキ写真や別人の肖像を、見た目だけで西郷本人と判断しない。
- 複数の肖像画を比較する:キヨッソーネだけでなく、実際に西郷と面識のあった画家の作品も参考にする。
写真が残されなかったことで、西郷隆盛の容貌には今も解き明かされていない部分がある。しかし、だからこそ肖像画や書簡、親族の証言、同時代の記録には大きな意味がある。
上野公園で親しまれる銅像も、キヨッソーネの肖像も、単に顔を再現したものではない。西郷と関わった人々が記憶し、後世に伝えようとした人物像そのものなのだ。
本物の写真が見つかるかどうかだけでなく、残された複数の史料を照らし合わせること。それが、西郷隆盛という人物の実像に近づくための手がかりになる。
主な検証資料
- 鹿児島県立図書館:キヨッソーネの肖像画、1883年の署名、モデルとなった人物。
- 滋賀県立琵琶湖文化館:1872年の西郷自筆書簡と写真に対する記述。
- 日本写真学会誌(2024年):伊藤泰雄氏によるフルベッキ写真の人物特定研究。
- 国立国会図書館国際子ども図書館:西郷隆盛の生涯と上野銅像の解説。
- 台東区公式観光情報:上野公園の銅像の建立年・制作者・大きさ。
- 週刊文春(2025年):永山弥一郎の肖像写真と西郷隆盛との誤認。