プロ野球で「伝統の一戦」といえば、読売ジャイアンツと阪神タイガースの対決を指す。1936年に始まった両球団の歴史は、2026年で90年を迎えた。東京と大阪を代表する球団として、数々の優勝争いや歴史的な名勝負を繰り広げてきた両者の対決は、単なる公式戦の一カードではない。
その原点には、1936年12月に行われた「洲崎の決戦」がある。加えて、1959年の天覧試合、1973年の優勝決定戦、1985年のバックスクリーン3連発など、世代を超えて語り継がれる試合がライバル関係を形づくってきた。2026年は共同プロジェクト「THE CLASSIC SERIES」が10年目を迎え、両球団は新たな歴史を刻んでいる。2026年11月時点の公式成績も踏まえ、その由来から現在地までを整理する。
【由来を解説】なぜ巨人対阪神だけが「伝統の一戦」と呼ばれるのか?

「伝統の一戦」という呼び名が巨人対阪神に定着した理由は、大きく分けて二つある。
一つ目は、両球団が日本のプロ野球創設期から存在する歴史ある球団であること。二つ目は、長い年月にわたり、優勝争いや個人タイトルを懸けた激しい戦いを繰り返してきたことだ。
読売ジャイアンツの前身である東京巨人軍は1934年に創設され、大阪タイガースは1935年に誕生した。1936年に日本職業野球連盟が発足すると、両球団はプロ野球の歴史をともに歩み始める。
当時の野球界では、東京と大阪という二大都市の対抗関係も注目されていた。東京を代表する巨人と、大阪を代表する阪神。地域の誇りやファンの応援が球団に重なり、試合の勝敗以上の意味を持つようになった。
日本野球機構(NPB)の記録員コラムでも、戦後のプロ野球が東京と大阪の対抗構図を打ち出し、当時人気を集めていた東京六大学野球の早慶戦になぞらえる形で盛り上がりを期待した背景が紹介されている。
つまり、巨人と阪神の関係は、単純に歴史が古いから特別なのではない。都市間の競争、球団の伝統、ファンの熱量、そして勝負の積み重ねが重なった結果なのである。
「伝統の一戦」という呼称はいつから使われている?ここで押さえておきたいのが、1936年の球団同士の対戦開始と、「伝統の一戦」という言葉が定着した時期は同じではないという点だ。
NPBの2021年6月2日付の記録員コラムは、スポーツニッポンの内田雅也記者による歴史考察を紹介している。それによると、この表現が定着したのは戦後、とりわけ1949年から1950年にかけての2リーグ分立前後と考えられている。
1936年から対戦を重ねていた両球団が、戦後のプロ野球再編期に東京対大阪の象徴的なカードとして認識されるようになった。その過程で「伝統の一戦」という呼び名が広まったとみられる。
したがって、1936年は対戦の歴史的な出発点、1949~1950年前後は呼称が定着した時期、という二つの時間軸で理解すると分かりやすい。
【1936年・洲崎の決戦】伝統の一戦が生まれた歴史的な舞台
実は最初の対戦は洲崎球場ではなかった巨人と阪神の歴史を調べると、意外に思われる事実がある。両球団の公式戦での初対戦は、洲崎球場ではなく、1936年7月15日の名古屋・山本球場だった。
NPBの公式記録によると、この試合は連盟結成記念の全日本野球選手権大会で実施された。東京巨人軍と大阪タイガースが初めて公式戦で対戦し、結果は阪神の前身である大阪タイガースが8対7で勝利した。
当時のプロ野球は現在のような年間を通じたリーグ戦とは異なり、都市ごとの大会やトーナメントを組み合わせた形式で行われていた。球団の本拠地を中心とした現在の興行形態も、まだ確立されていなかった。
そのため、最初の対戦場所が名古屋だったことにも、当時のプロ野球の運営事情が表れている。
12月9日から始まった「洲崎の決戦」伝統の一戦の象徴的な起源となったのが、1936年12月に東京・洲崎球場で行われた年度優勝決定戦だ。
この年の日本職業野球連盟では、複数の大会で獲得した勝ち点を合計して優勝チームを決める方式が採用されていた。最終的に巨人と大阪タイガースが勝ち点2.5で並んだため、両球団による決定戦が実施された。
試合は12月9日に始まり、3試合制で争われた。
- 第1戦:巨人が5対3で先勝。
- 第2戦:大阪タイガースが5対3で勝利し、1勝1敗のタイに戻す。
- 第3戦:巨人が4対2で勝利し、初代王者に輝く。
この3試合で大きな存在感を示したのが、巨人の沢村栄治と大阪タイガースの景浦将だった。沢村は巨人のエースとしてマウンドに立ち、景浦は投打でタイガースを支える中心選手として対抗した。
第1戦では景浦が沢村から本塁打を放ち、第2戦ではタイガースが勝利。最終戦では沢村の力投もあり、巨人が初代王者の座を手にした。
NPBが2021年に掲載した球跡巡りの記事によれば、この決定戦で沢村は3試合にわたってフル回転した。後年、本人が戦場での戦いよりも厳しかったと語ったほどの激闘だったという。
洲崎球場は1936年秋に完成した球場で、現在の東京都江東区に位置していた。わずか51日間の工事で建設され、木造スタンドや不安定な地盤など、現在の大型球場とは大きく異なる環境だった。
球場は実働約2年で姿を消したが、2005年5月2日には江東区によって「伝統の一戦(巨人・阪神)誕生の地」と記された記念碑が設置されている。現在もNPBの野球史を語る重要な場所として紹介されている。
【歴史年表・関係性一覧】巨人と阪神が刻んだ90年の名勝負
両球団の歴史を理解するには、試合結果だけでなく、時代ごとの象徴的な出来事と選手同士の関係を見ることが欠かせない。
阪神タイガースの球団史やNPBの記録、野球専門メディアの特集を整理すると、次のような節目が浮かび上がる。
| 年代・日付 | 主な出来事 | 歴史的な意味・関係者 |
|---|---|---|
| 1936年7月15日 | 山本球場で初対戦 | 阪神の前身、大阪タイガースが8対7で勝利 |
| 1936年12月9~11日 | 洲崎の決戦 | 巨人が2勝1敗で初代王者に |
| 1949~1950年前後 | 呼称が定着した時期 | 2リーグ分立前後、東京対大阪の対抗構図が浸透 |
| 1959年6月25日 | 日本初のプロ野球天覧試合 | 長嶋茂雄が村山実からサヨナラ本塁打 |
| 1973年10月22日 | 優勝を懸けた最終決戦 | 甲子園で巨人が阪神を破り、V9を達成 |
| 1985年4月17日 | バックスクリーン3連発 | バース、掛布雅之、岡田彰布が本塁打 |
| 2016年 | THE CLASSIC SERIES開始 | 両球団による共同プロジェクトがスタート |
| 2023年9月14日 | 阪神が18年ぶりのリーグ優勝 | 甲子園で巨人に4対3で勝利 |
| 2026年 | THE CLASSIC SERIES 10年目 | イベントロゴを刷新し、新たな歴史づくりへ |
この年表で注目したいのは、単に巨人が勝った、阪神が勝ったという結果ではない。両球団の対戦が、プロ野球の節目となる場面に何度も登場している点だ。
1959年6月25日:歴史に残る天覧試合1959年6月25日、後楽園球場で行われた巨人対阪神戦は、日本プロ野球史に残る試合となった。
昭和天皇と香淳皇后がプロ野球を観戦された、日本初のプロ野球天覧試合である。
試合は巨人と阪神が点を取り合う展開となり、4対4で迎えた9回裏、巨人の長嶋茂雄が阪神の村山実からサヨナラ本塁打を放った。最終スコアは巨人5対4阪神。
この一打は、長嶋と村山という二人のスター選手のライバル関係を象徴する出来事として語り継がれている。
放送ライブラリーのニュース映画記録にも、この試合の詳細が残されている。長嶋の劇的な一打だけでなく、王貞治や阪神の小山正明らも登場した、プロ野球の注目度を高める歴史的な一戦だった。
1973年10月22日:甲子園で決まった巨人V91973年の巨人と阪神の対決は、優勝争いという意味で特に重要な試合だった。
10月22日、阪神甲子園球場で行われた最終決戦は、勝ったチームが優勝するという極めて緊張感の高い一戦だった。
阪神は前年まで続いた巨人の優勝を止めるべく戦ったが、結果は巨人の勝利。巨人は球団史に残る9年連続リーグ優勝、いわゆるV9を達成した。
阪神にとっては目の前で優勝を逃す悔しい結果となった一方、巨人にとっては黄金時代を象徴する出来事となった。
この試合については、当時巨人の正捕手を務めた森祇晶氏が後年、日刊スポーツの特別寄稿で振り返っている。両球団の優勝争いが、選手だけでなくスタンドの観客を巻き込む大きな出来事だったことが分かる。
1985年4月17日:バックスクリーン3連発阪神ファンにとって、巨人戦の歴史を語るうえで外せないのが1985年4月17日の試合だ。
阪神甲子園球場で行われた巨人戦。阪神は1対3とリードを許していたが、7回裏に球場の空気を一変させる出来事が起きた。
巨人の槙原寛己から、阪神のランディ・バースがバックスクリーンへ3ラン本塁打を放つ。続く4番の掛布雅之も、そして5番の岡田彰布も、相次いでバックスクリーンへ本塁打を打ち込んだ。
バース、掛布、岡田によるバックスクリーン3連発である。
阪神球団の公式ユニフォーム史でも、この出来事は1985年4月17日の巨人戦として記録されている。同年、阪神は21年ぶりのセ・リーグ優勝を決め、11月2日には日本シリーズで西武を破り、リーグ分立後初の日本一を達成した。
巨人との一戦で生まれた歴史的な一場面が、その後の球団の黄金期を象徴する記憶になったのである。
2023年9月14日:阪神が巨人戦で18年ぶりの優勝を決める伝統の一戦は、過去の映像だけで語られるものではない。近年の代表的な出来事が、2023年9月14日の阪神対巨人戦だ。
阪神は甲子園で巨人に4対3で勝利し、18年ぶり6度目のセ・リーグ優勝を決定した。
6回に佐藤輝明の2点本塁打などで試合を動かし、巨人の反撃を振り切った。NPBの公式試合記録には、42,648人の入場者とともに試合の詳細が残されている。
かつて巨人のV9を決めた舞台となった甲子園で、今度は阪神が巨人を相手に優勝を決める。この対照的な歴史は、ライバル関係の新たな象徴になった。
【2026年最新】THE CLASSIC SERIESの開催日程と90周年の意味
2016年に始まった両球団の共同プロジェクト「伝統の一戦~THE CLASSIC SERIES~」は、阪神タイガースと読売ジャイアンツが2016年シーズンから共同で展開しているプロジェクトだ。
歴史ある対決を単なる試合興行にとどめず、両球団が協力してファンに伝えていく取り組みとして始まった。
これまで復刻ユニフォームや共通ビジュアル、球場内イベントなどを通じて、両球団の歴史を紹介してきた。2023年には1936年当時のユニフォームをモデルにした復刻ユニフォームを、甲子園と東京ドームの試合で着用する企画も実施された。
2026年1月21日の阪神球団公式発表によると、プロジェクトは10年目を迎え、イベントロゴを一新。次の100周年までの10年間に新たな歴史を刻む初年度として、選手たちの試合や瞬間が後世に語り継がれることをテーマに掲げた。
2026年のTHE CLASSIC SERIES開催日程2026年のイベント対象試合は、阪神主催の甲子園3連戦と巨人主催の東京ドーム3連戦だった。
| 開催日 | 対戦カード | 開催球場 | 主催側 |
|---|---|---|---|
| 4月14日~16日 | 阪神対巨人 | 阪神甲子園球場 | 阪神 |
| 5月22日~24日 | 巨人対阪神 | 東京ドーム | 巨人 |
この日程は阪神タイガースの2026年1月21日付公式発表に掲載されたものだ。甲子園では阪神がホーム、東京ドームでは巨人がホームとなり、それぞれの本拠地で歴史ある対決を演出する形となった。
阪神主催の4月14日から16日の3連戦では、入場者プレゼントとして「伝統の一戦タオル」の配布も発表された。
なお、THE CLASSIC SERIESは1936年に始まった対戦そのものの名称ではなく、2016年に始まった共同プロジェクトの名称である。この二つを混同しないことが、歴史を理解するうえで大切だ。
【2026年の対戦成績】巨人と阪神の通算記録・現在の力関係
2026年の直接対決は阪神16勝、巨人8勝、1分2026年のレギュラーシーズンにおける両球団の対戦成績は、NPBの公式チーム勝敗表で確認できる。
阪神16勝、巨人8勝、引き分け1試合。25試合の直接対決で、阪神が大きく勝ち越した。
勝率で見ると、阪神は.667、巨人は.333。2026年の伝統の一戦では阪神が優位に立ったことが数字から分かる。
2026年セ・リーグ最終順位でも阪神が首位2026年のセ・リーグは全143試合の日程を終了し、阪神が優勝、巨人が2位という結果になった。
| 項目 | 阪神タイガース | 読売ジャイアンツ |
|---|---|---|
| 最終順位 | 1位 | 2位 |
| 試合数 | 143 | 143 |
| 勝利 | 79 | 76 |
| 敗北 | 62 | 64 |
| 引き分け | 2 | 3 |
| 勝率 | .560 | .543 |
両チームの最終順位の差は2.5ゲーム。直接対決でも阪神が勝ち越しており、2026年は阪神がリーグ順位と対戦成績の両方で巨人を上回ったシーズンとなった。
これらの数値はNPBの2026年度公式戦成績に掲載された全日程終了時点の記録である。
巨人と阪神の通算対戦成績はどうなっている?2026年までのレギュラーシーズン通算対戦成績を、前身球団を含む集計データで見ると、次のようになる。
| 項目 | 巨人側から見た成績 | 阪神側から見た成績 |
|---|---|---|
| 通算試合数 | 2,142試合 | 2,142試合 |
| 勝利 | 1,143勝 | 921勝 |
| 敗北 | 921敗 | 1,143敗 |
| 引き分け | 78試合 | 78試合 |
| 勝率 | .554 | .446 |
この集計では、長い歴史の中で巨人が通算勝利数で先行している。2026年の直接対決では阪神が勝ち越したものの、通算では巨人が222勝上回る。
ここに、伝統の一戦の面白さがある。ある年の勝敗が、そのまま長期的な優劣を決めるわけではない。巨人が優位に立ってきた時代もあれば、阪神が強さを示す時代もある。両球団のファンにとっては、その時々の勢力図が変化すること自体が楽しみの一つとなっている。
なお、通算成績と2026年のシーズン成績は集計対象が異なる。通算成績は前身球団を含むレギュラーシーズンの累計であり、クライマックスシリーズなどのポストシーズン成績とは別に扱われる。
【現在のライバル関係】甲子園と東京ドームが生み出す特別な熱量
阪神甲子園球場と東京ドーム、それぞれの本拠地が持つ意味阪神と巨人の対決を語るうえで、球場の存在も欠かせない。
阪神の本拠地である阪神甲子園球場は、1924年に開場した歴史ある球場だ。高校野球の舞台としても知られ、阪神ファンにとっては球団の象徴ともいえる場所である。
一方、巨人の本拠地である東京ドームは、1988年に開場した日本初の全天候型ドーム球場として知られる。都市型の大型施設として、多くの観客を集めてきた。
甲子園と東京ドームでは、球場の構造も観戦環境も異なる。歴史ある屋外球場と現代的なドーム球場という対照的な舞台で、同じライバル対決が繰り返されることも、このカードの魅力となっている。
選手同士のライバル関係が歴史を作ってきた巨人と阪神の歴史は、チーム同士の対立だけでなく、個々の選手の名勝負によっても彩られてきた。
阪神球団の創設80周年記念企画では、伝統の一戦を象徴するライバルとして、次の組み合わせが取り上げられた。
- 村山実と長嶋茂雄:1959年の天覧試合にもつながる、投手と打者の象徴的な対決。
- 江夏豊と王貞治:昭和を代表する左腕投手と強打者による勝負。
- 掛布雅之と江川卓:1980年代を彩った阪神と巨人のスター選手同士の対決。
- 岡田彰布と原辰徳:それぞれの時代を代表する主力選手として注目された関係。
こうした選手同士の対決は、単なる個人成績以上の記憶をファンに残す。投手が打者を抑えた場面、主砲が勝負どころで本塁打を放った瞬間など、一つ一つのプレーが球団の歴史に刻まれていく。
現在のライバル関係はどう変化しているのかかつての巨人対阪神は、巨人が強さを誇り、阪神がその牙城に挑むという構図で語られることが多かった。しかし、現在は必ずしも一方的な関係ではない。
2023年には阪神が巨人戦で優勝を決め、2026年にも阪神が直接対決で勝ち越した。さらに2026年のセ・リーグでは阪神と巨人が1位、2位を占めている。
つまり、現在の両球団は、歴史的なライバルであると同時に、リーグの上位争いを担う競争相手でもある。
一方で、両球団が共同でTHE CLASSIC SERIESを展開している点にも注目したい。対戦相手を単に倒すべき存在として扱うのではなく、互いの歴史を尊重しながらプロ野球の魅力を発信する関係へと広がっている。
【プロの結論】伝統の一戦の本質は90年の歴史と変化し続ける競争にある
「伝統の一戦」という言葉には、長い歴史がある。しかし、その本質は過去の栄光を保存することだけではない。
1936年の洲崎の決戦で始まった象徴的なライバル関係は、1959年の天覧試合、1973年の優勝決定戦、1985年のバックスクリーン3連発、2023年の阪神優勝決定戦へと受け継がれてきた。
そして2026年、THE CLASSIC SERIESは10年目を迎えた。イベントロゴの刷新や両球団の共同企画は、歴史を振り返るだけでなく、次の時代に向けた新たな取り組みでもある。
伝統の一戦を理解するための3つの判断基準1. 歴史の起点と呼称の定着を分けて考える。
1936年の洲崎の決戦は象徴的な起源だが、「伝統の一戦」という呼び名の定着は1949~1950年前後とされる。さらにTHE CLASSIC SERIESは2016年に始まった共同プロジェクトだ。それぞれ異なる歴史的な意味を持つ。
2. 通算成績とシーズン成績を混同しない。
2026年の直接対決は阪神16勝、巨人8勝、1分だった。一方、通算成績では巨人が勝ち越している。どちらか一方の数字だけを見て両球団の優劣を判断するのではなく、対象期間を明確にすることが大切だ。
3. 名勝負だけでなく球団の関係性にも注目する。
伝統の一戦は、選手同士の勝負、地域の文化、球場の歴史、ファンの応援が重なって成立している。2026年の共同プロジェクトのように、対戦する両球団が歴史を共有する取り組みも、その魅力を理解するうえで重要な視点となる。
過去の名勝負を知ったうえで現在の試合を見ると、一つのプレーが持つ意味も変わってくる。90年の歴史を背負いながら、新しいスター選手たちがどのような試合を生み出すのか。それこそが、このライバル関係が長く愛されている理由だ。
【伝統の一戦に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:伝統の一戦はなぜ巨人対阪神なのですか?
A1:両球団が1930年代のプロ野球創設期から活動し、東京と大阪を代表する球団として長年にわたって激しい優勝争いや名勝負を繰り広げてきたためです。歴史の長さだけでなく、都市間の対抗意識やファンの熱量も呼称が定着した背景にあります。
Q2:伝統の一戦はいつから始まったのですか?
A2:両球団の公式戦での初対戦は1936年7月15日、名古屋の山本球場です。伝統の一戦の象徴的な起源は、同年12月に洲崎球場で行われた年度優勝決定戦とされています。
Q3:洲崎の決戦はどちらが勝ちましたか?
A3:巨人が大阪タイガースを2勝1敗で破り、プロ野球初代王者となりました。最終第3戦のスコアは4対2です。
Q4:「伝統の一戦」という呼び方はいつ定着しましたか?
A4:NPBの記録員コラムが紹介した歴史考察によると、1949~1950年前後、戦後の2リーグ分立期に定着したと考えられています。
Q5:2026年の巨人対阪神の対戦成績は?
A5:2026年のレギュラーシーズンは阪神16勝、巨人8勝、引き分け1試合です。阪神が大きく勝ち越しました。
Q6:2026年のTHE CLASSIC SERIESはいつ開催されましたか?
A6:4月14日~16日に阪神甲子園球場、5月22日~24日に東京ドームで開催対象試合が組まれました。2016年に始まった共同プロジェクトで、2026年は10年目に当たります。
Q7:巨人と阪神の通算対戦成績ではどちらが勝ち越していますか?
A7:2026年までのレギュラーシーズン通算集計では、巨人が1,143勝、阪神が921勝、引き分け78試合で、巨人が勝ち越しています。前身球団を含む集計です。
巨人対阪神が「伝統の一戦」と呼ばれる理由は、1936年から続く歴史だけではない。洲崎の決戦で生まれた最初の大きな激闘、戦後の呼称の定着、天覧試合や優勝決定戦など、数え切れないほどの名勝負が積み重なってきたからだ。
2026年は、阪神がレギュラーシーズンの直接対決で16勝8敗1分と勝ち越し、セ・リーグ優勝を達成。一方の巨人もリーグ2位に入り、両球団が上位を占めた。通算成績では巨人が先行しているものの、現在の勢力図は変化し続けている。
THE CLASSIC SERIESの10年目という節目も、両球団にとって新しい歴史をつくる機会となった。
90年前の洲崎球場から、甲子園、東京ドームへ。舞台や選手は変わっても、互いに負けられないという思いは受け継がれている。次の名勝負を生み出すのは、これからグラウンドに立つ選手たちだ。巨人と阪神の対決は、次の100周年に向けても、日本プロ野球を象徴するカードであり続ける。
主な参考資料:日本野球機構(NPB)公式記録・記録員コラム・球跡巡り、阪神タイガース公式サイト(球団史・90周年史・THE CLASSIC SERIES 2026発表)、読売ジャイアンツ公式情報、放送ライブラリー、日刊スポーツ、週刊ベースボール、スポーツニッポン、通算対戦成績集計資料。